淀川北岸の三島江に鎮座する #三島鴨神社(みしまかもじんじゃ、大阪府高槻市)。弥生古代の #ミシマ のクニのこん跡を探して参拝。鳥居横の案内パネルにビックリ!オモテの由緒に対するウラの伝承 #出雲口伝 #クナト #狗奴国
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三島鴨神社
大阪府高槻市三島江2丁目7−37/34.8024542, 135.6106465/JR高槻駅・阪急高槻市駅からバスで約20分。駐車場はありません
オモテの由緒
オモテの由緒)三島鴨神社は、大山祇神と事代主神を祭神とし、その起源は、仁徳天皇の時代(4〜5世紀頃)に淀川の洪水を防ぐために茨田堤(まんだのつつみ)が築かれた際、大山祇神が淀川鎮守の神として摂津の「御島」へ鎮座されたとしています。慶長三年(1598年)の淀川堤防修築を機に、社殿が淀川の川中島から現在地へ移ったと伝わるほか、江戸時代の観光ガイド「摂津名所図会」には唐崎・西面・柱本等の産土神で、伊予三島(愛媛県)・伊豆三島(静岡県)と合わせて「三個の三島」と称したとあります(以下略)
ウラの伝承
正面鳥居のそばに興味深いパネルを発見。
グーグルマップで調べると、このパネル、ずいぶん以前からここに置かれているようです。
はじめて読む人はビックリ!人によっては『アホな!!』というレベルの話でしょう😀が、状況証拠的に社務所公認のようですね。
文字起こしして起きましたので、よかったらジックリお読みください。
ウラの伝承)日本で初めて広域的な統一王国を作った出雲族はインドから来た クナ(ト)族 である。ワニを川の神、コブラを森の神として祀り恐れた。この二つの神が合わされて 竜神信仰 が生まれた。農耕民族である彼らは、ワラで竜神を作り、木に巻き付けて拝むようになった。当神社の注連縄(しめなわ)は氏子さん方(注連縄保存会)の手作りです。大鳥居の注連縄は両端が巻き付けてあり、本義を伝承する大変貴重な注連縄です。注連縄で巻き付けた木は、ご神木とされ、伐るのは禁じられた。水田に水を流すのは山森 であり、当神社を川中島に創建したのは川と山森に対する竜神信仰と考えられる。また自然との共生の意味で、奪い取った米や樹木に対する命の再生を願う行いが新たな命を吹き込んだ注連縄や御神札(おふだ)との暮らしである。日本ではワニをサメ、コブラをセグロウミヘビに代えられた。当神社を含め、出雲系神社に六角形の神紋が多い理由はセグロウミヘビの鱗の形(竜鱗紋、りゅうりんもん)に由来するためである。
この内容は、当ブログでたびたび紹介している出雲伝承そのもの!(冨家(登美家)口伝、齋木雲州氏)
当ブログは、この出雲伝承を断片的に追いかけて、現地に足を運び考察することがあるのですが(現在のミシマめぐりもその一環)、ここで拝見するとはビックリです。
齋木雲州氏のことは、司馬遼太郎さんのエッセイの中「T氏=富(トミ)氏」として知ったのがキッカケ。
なお斎木氏はワニとコブラで「竜蛇信仰」と呼ぶことが多いです。
ワラで竜神を作り、木に巻き付けて拝む様式は、出雲〜伯耆地方の 荒神さん に多く、津軽でも一部見ることができます。
なぜ津軽?という方に。
クナ(ト)すなわち蝦夷(エミシ)と呼ばれたまつろわぬ人々。
「クナ(ト)」は三国志魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に、ヤマタイコクに抵抗した 狗奴国(クナコク)として伝えられています。
齋木氏は「熊野」の語源として出雲族の祖神・クナトを紹介していますが、パネルの筆者はおそらく狗奴国との連想を計算して「ト」を消したものと思われます。
三島鴨神社は次回に続きます。