ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【三島溝咋神社(Ⅱ)】媛蹈鞴五十鈴媛とは【謎の古代史考察の分水嶺】

三島(大阪府茨木市)#溝咋神社 の二回目。御祭神 #媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずのひめのみこと) #銅鐸 の名を持つ #姫巫女 は神武天皇皇后としてヤマト #出雲屋敷 に住み #三輪山 を遥拝する祭祀の祭主になりました

目次

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娘神・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)

媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)

玉櫛姫(たまくしひめ、活玉依姫)の娘神。

日本書紀に初代神武天皇(ヒコ)の皇后(ヒメ)となった記されている姫巫女。

古事記では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)または富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)。

たくさんの名前でヤヤコシイですが😅

日本の謎の古代史を考えるときに母神とともに忘れてはならない 最重要人物のひとり です。

当ブログではこの姫巫女の足跡を追って神社や史跡を紹介してきましたが、

橿原神宮近く、畝傍山(うねびやま)の東山麓の東大谷日女命神社の御祭神であり、

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奈良市内・ササユリの神社として知られる率川神社の御祭神でもあります。

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三輪山の初代祭主(姫巫女、日女巫女)

ササユリ(生駒山中で撮影。2021年6月)

初代皇后となった狭井・ササユリの姫巫女は、三輪山山麓、狭井川(さいがわ*1)のほとりの 出雲屋敷 に住み、

山の辺の道。狭井川と出雲屋敷の古びた案内板(大神神社)山百合は笹百合の誤記

母神の阿武山遥拝(大阪府茨木市)にならい、神奈備三輪山を遥拝する祭祀を始めました。

纏向から三輪山を遥拝するようになったオオタタネコ以前のヤマト創世記のお話です。

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どのような祭祀を行っていたのかは、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)の名からある程度、推測することができます。

媛蹈(たたら)とは「金属精錬*2」のことであり、五十鈴(いすず)は「たくさんの銅鐸」のことと考えると、

三輪山の狭井川のほとりで銅鐸を「ナラ」し、ヤマトの五穀豊穣と子孫繁栄を祈ったことでしょう。

ちなみに金属精錬の銅鐸工房跡は、媛蹈鞴五十鈴媛が生まれた東奈良遺跡、彼女が住んだ出雲屋敷の近くの唐古鍵遺跡で、それぞれ確認されています(どちらも紀元前200年〜の遺跡で、ほぼ同時期の操業)

両遺跡の銅鐸工房の操業時期から考えて、媛蹈鞴五十鈴媛が生きた時代、つまり、神武(イワレヒコ)が初代天皇に即位したのは紀元前100年前後になります。

謎の日本古代史考察の分水嶺

媛蹈鞴五十鈴媛とそのロイヤルファミリーを、いつの時代のどのような人物でとらえるかは、史料や伝承によるしかありません。

例えば、出雲伝承(出雲東王家伝承=冨家口伝)をヒントに歩き回って考察した結果、今回のような記事になりました。

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古代史(神代)を主に記紀神話から解釈するには限界があり混乱します。おそらく神話化による史実の有耶無耶こそが記紀を作成した者(側)の意図のひとつでしょう。

しかし、各地の神社の御由緒、出雲伝承や各地の風土記、言い伝え、地元の案内板などを丁寧にたどってゆくと、意外にも史実を学ぶ根拠や物証に出逢うことがよくあります。

三島溝咋神社に祀られているロイヤルファミリーを記紀神話)中心に解釈するのか、

伝承などをヒントに考察し、物証(史実)を集めて行くのか、

謎の日本古代史考察の分水嶺です。

次回は、三島溝咋神社に祀られている息子神と謎の父神について。

謎の父神…もうおわかりな方、いますかね?

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*1:サイノカミ信仰(塞の神・幸の神)による名

*2:出雲伝承ではタタラ製鉄を含む