三島 #溝咋神社 最終回。#日本書紀、溝咋神社の御祭神伝承 #出雲伝承 は共通して父神を #事代主 としています(#古事記 は #大物主)。境内摂社 #事代主神社 は西側(西の宮?)から妻子が祀られる御本殿を見守っています #八尋熊鰐
目次
- 鴨(賀茂、加茂)の祖神(おやがみ)
- (境内摂社)事代主神社
- 日本書紀 八尋熊鰐(やひろわに)
- 古事記 大物主神(おおものぬしのかみ)
- 暗喩がヒントとなる隠された出雲
- 数々の異名を持つ事代主(コトシロヌシ)
本文
鴨(賀茂、加茂)の祖神(おやがみ)
前回記事の系図に父神と妹神の名を加えました。
天日方奇日方(クシヒカタ)以降、鴨(賀茂、加茂)と呼ばれた系図は、事代主(出雲)と玉櫛姫(活玉依姫、三島)を祖神として始まります。
(境内摂社)事代主神社
溝咋神社の御祭神ファミリー(母娘神、相殿に祖父神・兄神)が鎮まる御本殿の西側に、御本殿を見守るように事代主神社の社殿。
現在の社地は遷座地で、創建の元宮はここから北東一キロほどの今は団地の中の石碑が建てられているところ。
記録が無いので、かつての社殿の姿を知ることは出来ませんが、事代主は今と同じく御本殿を 西の宮 から見守っていたのでしょうか。
日本書紀 八尋熊鰐(やひろわに)
日本書紀・神代巻・上)事代主神、化爲八尋熊鰐、通三嶋溝樴姬・或云玉櫛姬而生兒、姬蹈鞴五十鈴姬命。是爲神日本磐余彥火火出見天皇之后也
事代主神は、八尋熊鰐(やひろわに)となって三島溝樴姫(玉櫛媛)のもとに通い、生まれた媛蹈鞴五十鈴媛命は神武天皇の后になった*1
古事記・中巻一)三嶋湟咋之女・名勢夜陀多良比賣、其容姿麗美。故、美和之大物主神見感而、其美人爲大便之時、化丹塗矢、自其爲大便之溝流下、突其美人之富登。(此二字以音。下效此)爾其美人驚而、立走伊須須岐伎(此五字以音)乃將來其矢、置於床邊、忽成麗壯夫、卽娶其美人生子、名謂富登多多良伊須須岐比賣命、亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣。是者惡其富登云事、後改名者也。故、是以謂神御子也
三嶋湟咋の娘の勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)の美しい容姿に、三輪の大物主神は朱い丹塗り矢に化け、姫が用を足しに来る頃を見計らい、川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていく時に、ほと(冨登、陰所)を突いた。姫は驚き走り回ったあと、その矢を自分の部屋の床に置くと麗しい男の姿に変わった。そうして生まれた子が富登多多良伊須須岐比売命(ほと・たたらいすすきひめ)である。またの名を、比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすきよりひめ)。「ホト」の名が良くないとして改名した。
暗喩がヒントとなる隠された出雲
あらためて記紀を比較してみると、名前は違えども、同じ登場人物による同じ歴史が書かれています。
日本書紀は淡々と歴史に若干の神話テイストを加えて、一方、古事記は100%神話テイストで。
古事記では女性の陰所を嫌って改名したという「ホト」は「冨登」の字が当てられていますね。
出雲東王家の「冨家、とみけ」つまり「登美家、とみけ」と字が両被りしますが、これは偶然ではなさそう…
日本の古代史において、古事記の筆者が書けなかった歴史 、 隠された出雲 のヒントを私たちは読まされているのかも知れません。
数々の異名を持つ事代主(コトシロヌシ)
なお、兵庫県西宮市の 西宮神社(西宮大神、蛭子命)は、全国約3,500社という えびす社 の総本社。
事代主は 蛭子命(ひるこのみこと)であり、 七福神のえびす様(大漁の神様、漁業の守り神) でもあります。
八尋熊鰐となって通ったという日本書紀の話は、おそらく「大きな出雲の丸木舟またはその船団」の表象であり、事代主の 海人 の属性を表しています。
丸木舟は「鰐ザメ」に見えますし「熊」は出雲の人々が信仰した「熊野=クナト神」を暗喩しています。
事代主が玉櫛姫のもとに通った弥生時代、現在の西宮市(西宮神社)と茨木市(ミシマのクニ、東奈良遺跡)は古大阪湾の水際で直接、繫がっていました。
八尋熊鰐が通ったルートです。
さて、溝咋神社はひとまず終わりです。