ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【春日大社】藤原氏(中臣氏)の血脈の謎を辿る(Ⅰ)春日の暗号「浮雲」「押雲」【若宮神社】

お盆に #鎌足公 のお墓(阿武山古墳)に参拝して以来、藤原氏(中臣氏)の歴史をあらためてたどり始めています。#春日大社 の御祭神で藤原氏の祖神 #天児屋根命御子神 #天押雲根命 を祀る #若宮神社

目次

本文

神護景雲ニ年(768年)、藤原不比等の孫の永手が春日大社を創建したというのが通説ですが、

春日大社 幣殿と由緒書

この春日一帯は藤原氏氏神が祀られていたところで、実際の創建(本宮、御蓋山山頂の浮雲峰を遥拝する祭祀場)はそれ以前、間違いなく平城京(710年)以前であると個人的に考えています。

春日大社の祭祀の本質は、御蓋山山頂の浮雲 を遥拝することであると考えるからです。

春日大社 境内図 真上の本殿が並ぶ西側の奥に浮雲峰(御蓋山山頂の本宮)遙拝所

御間道(おあいみち)

御蓋山の山頂に「浮雲」=創建の年号になった景雲、が描かれてますね☁️

春日大社 南門の境内図(拡大)

有名な南門をくぐると、若宮神社への 御間道(おあいみち)

春日大社 南門

御間道とは、本殿域から御祭神(天児屋根命)の御子神である 天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)若宮神社までの参道のこと。

神鹿のレリーフが施された春日灯籠がずらりと並ぶ景色は、鎌倉時代、ここから始まりました。

ザ奈良 な景色のひとつです。

春日大社 御本殿と若宮を結ぶ御間道(おあいみち)

(先の境内図に描かれた遙拝所とは別で)途中、浮雲峰遙拝所の鳥居。春日原生林の中の鳴雷神社(なるかみじんじゃ)の遙拝所も兼ねています。

水神は雷神でもあります。

浮雲峰本宮泰遙拝所(鳴雷神社遙拝所)

御祭神と水分神(みくまりのかみ)の遙拝所(いずれも禁足地)

御間道の立派な若宮大楠。

春日大社 若宮神社 若宮大楠

春日大社 若宮神社

御祭神∶天押雲根命(あめのおしくもねのみこと*1

若宮神社の御本殿を正面から撮影することは禁止されています。ご注意を。

若宮神社 御由緒

若宮の創建は平安後期ですが、平安京の危機に際して、白河・鳥羽の二人の上皇藤原忠実・忠道親子・二人の関白が創建に関わっています。

天皇家が神代より祭祀を司ってきた藤原家(中臣氏)の祭祀にあらためて頼ったこん跡とも言えます。

境内では、若宮おん祭 の行列絵巻(レプリカ)が展示されていました。

若宮創建から九百年続く例祭で、毎年12月17日に斎行され、奈良の一年を締めくくります。

若宮おん祭の行列絵巻(レプリカ)

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*1:wikiより。中臣寿詞(なかとみのよごと)の伝承や摩氣神社の社伝、大同本紀などの史料の記述を総合すると、天孫降臨のとき地上には未熟で荒い水しか存在せず、父の命によって天押雲根命が高天原より天津水(天忍石長井水)を持ち還り、この水を皇孫(すめみま)に奉ったとされる。これらの伝承では天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)の神名で登場する