前回紹介した穴師(奈良県桜井市)兵主神社は、もともと #牛頭天王 を祀っていたという考察は #出雲伝承(#出雲と大和のあけぼの)を元にしました。しかし出雲伝承ではさらに奥深い歴史が紹介されています #徐福
目次
本文
出雲伝承の話
当ブロクでたびたび紹介する出雲伝承(口伝)が始めて書籍「出雲と大和のあけぼの」として世に出たのが2007年。
著者のペンネーム・斎木雲州氏の本名は富(とみ)さんで、この方が司馬遼太郎さんのサンケイ新聞時代(当時)の先輩・T氏。
弥生古代の出雲王国は西王家と東王家のいわゆる連邦制で、交代制で主王(大穴持)と副王(少穴彦)に就いたといいます。
ちなみに第八代大国主(八千矛)の時代の副王は東の事代主(少名彦として知られる、八重波都身)と伝えています。
富さんは東王家の嫡流の末裔、つまり事代主の直系の子孫ということになり、この家系では古代から明治に至る、約二千年の日本史のウラガワの情報を、一子相伝の口承で繋いできたといいます。(その全国に張り巡らされた情報網を出雲散家いずもさんけ、財筋たからすじと言ったそうです)
個人的に門外不出の口伝があるということは、近所の歴史好きの師匠から聞いていたのですが、それが書籍化されたことを知った時(2017〜18年頃)、早速、図書館に行って読み込みました。
古代史考察の点と線
それが契機となって、出雲口伝の信憑性を確かめるために、まずは地元の大阪、それから奈良、京都、近畿、やがては津軽にまで足を運んだりしました。
大筋において、出雲伝承は空白の歴史の「点」を教えてくれており、それをもとに自分で歩いて調べて考えた「線」を引くとすんなりとシナリオがはまることが多く、つまり、ほぼ史実を伝えていると考えています。
奈良県桜井市穴師の話
前回紹介した「奈良県桜井市穴師」の話も、
たまたま通りがかった大阪のくすりの町・道修町の少彦名神社の神農祭で、牛の角を持つ古代中国の薬祖神・神農さんの像を始めて拝見してから、
かねてから疑問に思っていたり、分からないでいた事について、頭の中で「線」が引かれ、
2021年の三輪山周辺のフィールドリサーチから三年越しで、一気に奈良県桜井市穴師(兵主神社)に繋がりました。
【前回記事】
その「点」となった話を「出雲と大和のあげほの」から書き起こしました。
【出雲伝承】斎木雲州著「出雲と大和のあけぼの」より
原文(91〜92ページ)を一部抜粋して紹介します。
私も初めて読んだ時、大陸の古代史が含まれていてチンプンカンプンだったのですが、「神農さん=蚩尤」説で、あらためて読み返すと、重要な内容であったと考え直しています。
八神の第三神・蚩尤は「牛の角」を持ちます。
同じく「牛の角」を持つ薬祖神・神農さん(神農炎帝)は、大陸の三皇五帝(神話)時代の第三代。
そして牛頭天王も、読んで字の如く「牛の角」を持ちます。
次の内容については、次回あらためて詳説します。
…笛吹に住んだ尾張家の一部は、後に三輪山の西北麓・穴師に移住した。その地名は穴師(金属精錬者)が住んだことによる。この付近で金属精錬が行われたことは、三輪山の南麓に金屋(かなや)の地名があることでも知られる。
そこに穴師坐射楯兵主神社(あなしにいますいたてひょうずじんじゃ)を建てた。「射楯」の字はホアカリの息子「五十猛」の発音の「イタケ」を「イタテ」に変え、当てはめたものである。
(中略)兵主(ひょうず)とは、中国のシャントン半島方面の古代信仰であった。戦国時代の斉国(さいこく)では八神を信仰した。徐福 の家系は斉国の出身であったので、八神の信仰を和国に伝えた。
八神については「史記」の「邦禅書」に書かれている。八神の第一は天主である(これは ユダヤの信仰 に基づくという)。兵主は八神のうちの第三で、蚩尤(しゆう)を祀る。蚩尤は西方を守る武の神だとされる。