元旦二日、前回紹介した諏訪神社(大阪)から北に徒歩15分、#阿遅速雄神社 に参拝。生駒山系を遥拝する東向きの神社。江戸期には八剣(やつるぎ)神社、八剣大明神と呼ばれたのは飛鳥時代の #草薙の剣 盗難事件が由来。
目次
本文
阿遅速雄神社(あじはやおじんじゃ)
(34.6887129, 135.5653369)/大阪市鶴見区放出東3丁目31−18/JR学研都市線・放出駅から徒歩5分。駐車場はありません
御祭神:阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)
御祭神の名は聞き慣れない人も多いと思いますが、出雲口伝系図では、アジスキタカヒコ(味耜高彦など)は、オオクニヌシの息子であり、父上の死を契機に大和葛城に移住*1した史実上の人物とされています。*2
元旦二日。朝の光に照らされた境内
当社は、前回紹介した諏訪神社(大阪)から北に徒歩15分。
諏訪さん参拝は早朝でしたが、阿遅速雄神社には7時半ぐらい。高くなった太陽が東の方から境内を明るく照らしていました。
八剣神社(やつるぎ)の由来
当社は江戸期には八剣神社、八剣大明神と呼ばれていました。
熱田神宮に納められている三種神器の一、草薙の剣(くさなぎのつるき) に由来するもので、その歴史的な経緯が境内の碑に書かれていましたので、要約しておきました。
ふつう、この手の刻字は読みづらいものですが、太陽の光のおかげでくっきり読めました。
前半、要点)・天智期668年、新羅の国の僧・道行が熱田宮(熱田神宮)の草薙の剣を盗み、国に持ち帰ろうとした帰途、難波津で嵐に遭い漂着したのが放出村
・「これは神罰」と怖れ御神剣を放り出し逃げ去る
・残された御神剣は当社に奉納された後、勅旨により686年に熱田宮に返還される
・御神剣の御分霊は当社に残り、その後も朝廷により祀られていた
・江戸期・中御門天皇の御世(1723)に 八剣大明神 として奉幣を賜る(以外省略)