ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

一期一会(いちごいちえ)。藤色(フジバカマ)と浅葱色(アサギマダラ)の出逢いと旅立ち

時に2000キロも移動する #渡り蝶 #アサギマダラ。秋は本州(関東地方)から南西諸島や台湾に渡ります。関西では毎年10月上~中旬に #フジバカマ の群落に長旅の途中にやって来ます。今年も六甲山系の天空のお寺 #摩耶山天上寺(神戸市灘区)の境内にやって来ました #源氏物語

目次

本文

フジバカマ(藤袴)

山上憶良(やまのうえのおくら)が万葉集で詠んだ「秋の七草」のひとつ。

フジバカマ(藤袴)2025年10月2日。京都府立植物園

源氏物語では夕霧(ゆうぎり、光源氏の長男、中将)がいとこの玉鬘(たまかずら)に藤袴の花を差し出して「コクハク」するシーンで登場します。

花弁は素朴な藤色。

乾燥させると桜餅のような芳香を放ち、平安貴族の女性たちは藤袴の香を焚きこめて身につけていたそうです。

2025年10月4日。摩耶山天上寺(神戸市灘区)。延命地蔵尊の前に植えられた藤袴

日当たりの良い川の土手などに群生し万葉の時代には身近な草花のひとつでしたが、今は環境庁のレッドデータブック(準絶滅危惧種、NT)に記載されるほど昭和の河川開発で激減しました。

奈良の神社史跡めぐりで、地元の人たちが万葉ロマンの復活をかけて大切に育てているのを何度か見かけていました。

先日、希少種を育成している京都植物園でフジバカマが盛りを迎え、お食事中のツマグロヒョウモンを撮りながら、

アサギマダラが渡る頃を思い出し、神戸の摩耶山(まやさん)の天上寺(てんじょうじ)にやって来ているとの情報をGET。

アサギマダラ(浅葱斑)

天上寺は標高700メートルの摩耶山頂のお寺で、数十年前から、境内の一角でフジバカマを栽培し始めたところ、

10数年前から毎年10月上~中旬にアサギマダラが長旅の安息地としてやって来るようになったそうです。

見学できるチャンスは今週中!

居ても立ってもいられず、週末はあいにくの雨でしたが観察に行ってきました。

藤袴(フジバカマ)と浅葱斑(アサギマダラ)。摩耶山天上寺

アサギマダラは翅(はね)を広げて10センチ前後の大型蝶。

境内のフジバカマで休憩&お食事中のアサギマダラ

春には北(関東地方)、秋には遠く南西諸島や台湾に移動する渡り蝶。

2000キロ以上を移動する個体もいるそうです。

濡れて翅が傷ついたアサギマダラも

薄いブルーが浅葱色(あさぎいろ)。

少し調べてみると、平安時代の冠位でいうところの六位の服(袍、ほう)の色だそうです。

現代ですと、神社の神職さんが身に付けている袴(はかま)の色というとわかりやすいでしょうか。

源氏物語の夕霧は六位ですから浅葱色の服に身を包み、藤色の藤袴を手に、夕霧に熱いコクハクをしたのかも知れませんね。

自分(夕霧)は(親父の光源氏と同じく翔びまわる)アサギマダラ、貴女(玉鬘)はフジバカマとなって、私の思いを受け止めてください、と。

しかし一期一会の定め(渡り蝶の摂理)か…

あえなくフラれてしまいます。

もしこの(古代妄想)説がアタリだとすると、紫式部さんは、優れた恋愛小説家だけではなく、自然観察家でもあったんですね。

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よ~く観察してみると、翅(はね)の浅葱色の部分は半透明。

フジバカマが透けて見えますね。

蝶たちは花蜜を吸ってしばし休息の後、つぎつぎと雨の中、次の地を求めて西に向かって翔んで行きます。

見送る私は、小さな命たちの長旅の無事安全を祈るばかり。

摩耶山天上寺

帰り道は雨の中。

ロープウェイは雲の中。

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フジバカマとアサギマダラを育てていらっしゃるおやじ情報さんのブログです。

takakusaya-man.hatenablog.com

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