北海道 #厚真町 の遺跡調査から「擦文時代→ #アイヌ文化期」と区分されてきた歴史の流れに新しい解釈が生まれつつあります。アイヌ文化は、旧石器時代からのヒトとモノの往来と結びつきから生まれた可能性。#厚真町軽舞遺跡調査整理事務所
目次
本文
厚真。長い長い北海道の歴史と文化のハブ


道央南部・太平洋に面する厚真町(あつま)は、
①石狩低地帯を通って日本海へ抜ける「勇払越え」のルートに隣接しているほか、
②厚真川を遡上して、富良野方面〜十勝大雪山系の黒曜石産地に繋がり(縄文時代)、さらにオホーツク海へ抜ける陸路の起点でもありました。
縄文海進の約6,000年前(縄文早〜中期)には、現在の海岸線から約14キロ奥の厚真市街まで海が入り込み、

当時、①と②は水路で繋がっており「厚真(太平洋)〜石狩低地帯〜日本海(古石狩湾)」は丸木舟で移動できたものと考えられます。

縄文時代には置戸・白滝などの黒曜石(母材)が厚真で「仕上げ加工」され、遠くは津軽海峡を越えて、北東北まで輸送されていたことがわかっています。
このようなものづくりにおける分業体制と海の輸送は、日本海のヒスイ縄文文化と共通する特徴です。


厚真は、北海道の歴史や文化の交わり、そして、現代に繋がるアイヌ文化の成立を考える上で、重要なハブポジションにありました。
厚幌ダム遺跡群


市内を流れる厚真川の上流域には、厚幌ダムの開発に伴って発見された約1,000年前から約400年前にかけての厚幌ダム遺跡群があり、
主要な3か所から出土した遺物は「擦文・アイヌ文化期の精神及び葬送儀礼に伴う遺物群」として文化財指定され、
厚真町軽舞遺跡調査整理事務所に収蔵されています。一般展示室のほか、特別展示室では、これらの貴重な遺物を見学することができます(要事前連絡)
https://www.town.atsuma.lg.jp/gikai/wp-content/uploads/2023/03/setumeisiryou2-1.pdf
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2022年晩秋に訪問し、スタッフの乾さんに質問をした際に大阪から来たことを伝えると「せっかくですから」と特別展示室を見学させていただきました。
当時はアイヌ文化はもちろん、北海道の歴史に対する知識も浅く、大した質問もできなかったのですが、ひとつひとつ丁寧にお答えいただいたことを覚えています。
当ブログの今回の一連のアイヌ文化の考察記事は、この時教えていただいたことが出発点となっています。
アイヌ文化のゆりかご
旧石器〜縄文時代からの歴史の流れの中で、いわば「アイヌ文化のゆりかご」として遺跡群を捉える乾さんのお考えや特別展示室のことについては、
わかりやすく、かつ、詳しい記事がありますので、関心のある方はこちらをご覧になってください。
【記事をChatGPTで要約👍】
北海道厚真町やその周辺の遺跡調査から、従来「擦文時代→アイヌ文化期」と区分されてきた歴史の流れに新たな解釈が生まれつつある。厚真川流域では旧石器時代から続く人々の営みの痕跡が見つかり、13世紀以降の集落遺構や交易品、精神文化の変化を示す遺物が多数出土。考古学的発掘を通じ、アイヌ文化の起源や人とモノの往来の道が太古から結びついてきた可能性が示されている。