2019年4月11日に始めた当ブログは7年目に入りました。#古代妄想 をテーマに好きなことを書いた記事総数は1400本を超えました(最近はペースが落ちていますが)。そろそろ当ブログのまとめ記事も始めようかなと考えていて今回はその1本目。#三輪山 #大神神社 #出雲屋敷 # ヤマト創世記
目次
本文
三輪山の麓。辺津磐座群
三輪山(みわやま)を御神体とする自然崇拝の様式が残る大神神社は、歴史的に見ても、日本最古級の神社。
奥津(磐座、奥宮)は三輪山の山頂で、西の奈良盆地の方向に下る遥拝道にそって中津磐座があり、山麓の狭井神社周辺に辺津の磐座(いわくら)群があります。

神浅茅原(かむあさぢはら)
私がときどき訪れる山の辺の道あたり(桜井市茅原)です。
茅原は「ちわら」と読みます。
同名の地名は奈良盆地を挟んだ西の御所市にもありますが、こちらは茅原(ちはら)と読みます。
日本書紀・崇神天皇七年条に「神浅茅原、かむあさぢはら」てして書かれているのは、桜井市か?御所市か?ということになりますが、
私は三輪山麓の桜井市茅原の方が「神」の名が付くのにふさわしい神秘的な聖域っぽさを感じています。
私が出雲屋敷跡と推定する湿地(ここだけは土地が一年中ジメっています。おそらく湧水池)から見て、ちょうど真東の方向が三輪山山頂です。

ここから見ると、春分・秋分の日の出は、三輪山山頂からとなります。

宗像三女神の祭式
ちなみに、大神神社の奥津−中津−辺津の祭式は、宗像大社(福岡)、厳島神社(広島)、貴船−上賀茂−下鴨(京都)と共通する「三女神の様式」です。
三女神はタゴリヒメ−タキツヒメ(お滝さま)−イチキシマヒメ(弁天さま)。
宗像三女神のことで、それぞれ龍神・水神であり、龗神(おかみがみ)です。
本家の宗像では交通(航海)の神様としても崇められています(道祖神とは違う)
タゴリヒメは水源地、
タキツヒメは「多岐」に分岐し「滝」がある中流域、
イチキシマヒメは海や山麓に広がった扇状地(ナガラ)のことで、弥生時代以降の稲作都市圏、
をそれぞれ守護する姫神様です。
京都は地下水脈の街でもあるため、水源地にあたる貴船神社には、高龗神(たかおかみ)=闇龗神(くらおかみ)が鎮座します。ゆえに宗像三女神と結びつけるのは難しいかも知れませんが、よく探してみると、京都にも三女神のこん跡が見られます。
話は逸れますが、私が「生駒の大鳥」と呼ぶ中心、大阪市から東の天照山そばを通る奈良超えの峠道(国道308号線)を「暗峠(くらがりとうげ)」と言いますが、闇龗神の信仰が地名の起源になったものと推定しています。

三輪山信仰の起源=ヤマト創世記
辺津の磐座群(狭井川のほとり)から三輪山を遥拝したのが媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ、初代・神武天皇の皇后)で、出雲屋敷(姫御所)に住まいしたのが、現在の大神神社の起源と考えられます。
出雲伝承系図・三島溝杭神社社伝によると、
媛蹈鞴五十鈴媛命は、出雲の事代主(ことしろぬし)と摂津三島*1の玉櫛媛(たまくしひめ。活玉依姫いくたまよりひめ)の娘で、
三輪山の麓で、大王の姫巫女(ひめみこ)としての役割を、母から受け継ぎました。
魏志倭人伝・ヤマタイコクの「ヒミコ」は「ヒメミコ」が誤って伝えられた言葉と考えられます(出雲伝承など)。
ただし、ヤマタイコクは西暦200年代のことで、ここでお話しているヤマト創世記から三百年ぐらい後の話です。
古代日本の統治体制は「ヒメ・ヒコ制*2」で、ヒメは祭祀権を、ヒコは四権(司法行政立法軍事)を司りました。
ヒコは、ヒメの人気*3に支えられ、大王としての統治権を維持できたというのが「ヒメ・ヒコ制」が続いた理由です。*4
これらのお話を総合すると、媛蹈鞴五十鈴媛命は、弥生時代前期末(紀元前200年〜100年)の実在女性と推定されます。
日本古代史においては「謎の空白」と言われる時代の話です。
三輪山の麓、ヤマト纏向(まきむく)の時代に相当します。
