前回 #四天王寺 と #熊野信仰 について書きましたが、その続き。熊野の神様の使い #ヤタガラス(八咫烏)は #道祖神 的な導きの神格で #太陽の化身 ともされています。その姿を大阪の東、生駒山系の中に「今でも見る」ことができると考えています。#飛鳥
目次
本文
四天王寺と熊野信仰
前回のつづき。
四天王寺には、平安〜鎌倉時代に盛んになった熊野詣(くまのもうで)に関連して、
・石鳥居(西門、さいもん)付近に、窪津王子社(第一王子社)が遷座した熊野神社が鎮座していたほか、
・南大門には、南の熊野を遥拝する、熊野権現礼拝石がある、ことを紹介しました。
熊野信仰とは?
出雲伝承では「熊野」は出雲の原初的なクナト神(岐の神、くなどのかみ、ふなとのかみ、ちまたのかみ)であるとし、
出雲の祖神、かつ、道祖神の神格としています。
出雲国風土記では、
出雲国一之宮・熊野大社(出雲市八雲町)の御祭神を、
伊弉奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなぎのまなご くまのにます かむろのみこと)
つまり「イザナギ」としています。
このような、出雲発祥のクナト神のとらえ方は、
熊野地方(和歌山県、三重県)のイザナギ信仰、
熊野詣の九十九王子社(熊野の分霊)の道祖神的神格と、見事に符合します。
つまり、出雲のクナトと熊野の神は、本質的に同じ神様として結ぶことができます。
神使のヤタガラス
熊野の神様(熊野権現)の使いは ヤタガラス です。
その三本足は、活躍中のサッカー日本代表のシンボルとして有名ですね。

八咫烏と書き、「八咫、ヤタ」とは「たいへん大きい」「広大な」という意味です。
巨大な三本足の烏(カラス)。
実際にそんな巨大生物がバサッ!バサッ!と翔んできたら、地上の人や建物は吹き飛ばされてしまいますよね。😀
導きのヤタガラス
実は、長い旅路の熊野詣を見守ってくれる「巨大ガラス」が大阪にいます。
四天王寺の熊野権現遥拝石は、熊野詣のひとつの出発点として、南の熊野三山を遥拝しますが、
東から「導きのヤタガラス」が見つめています。
私は、四天王寺の東側の六階に住んでいますが、我が家から、かろうじて見える、ヤタガラス。
私が「生駒の大鳥」と呼ぶヤタガラスの姿です。

もちろん今の四天王寺の境内からでは、周囲の高い建物に囲まれて見えません。
(五重塔からは見えますが、塔内は全面撮影禁止)
当ブログでたくさん紹介して来た大阪の東、生駒山系の景色です。
中央の頭が天照山。
向かって左翼が生駒山(電波塔や生駒山上遊園地がある)、
右翼が大原山。
太陽の化身。ヤタガラス
次は、秋分ごろに、大阪城の天守閣広場から撮ったものですが、
太陽は、ほぼ真東の天照山付近から昇っています。

春分秋分には太陽は真東から昇りますから、
四天王寺からでも、春分秋分には、ヤタガラスの頭から太陽が昇る景色を見ることができるはずです。
*****
ただし、
ここまで紹介したヤタガラスは熊野詣が盛んになった平安期以降に定着した信仰です。
では、それ以前は?
四天王寺の「飛鳥」
四天王寺は、推古天皇が第33代となった593年に創建されました。
この年が日本の歴史区分でいう「飛鳥時代」の始まりです。
伽藍の重要な「東西ライン」軸の東には、
(今では高い建物に囲まれて隠れてしまい、忘れられているけれど)
日出ずるところから「まさに飛び立とうとする大鳥」の姿があります。
「飛鳥時代」という言葉の始まりには定説はありませんが、
私は「生駒の大鳥」が「飛鳥」命名の起源となった、と確信しています。
正確に言うと、起源のひとつとなった、と確信しています。(飛鳥は、明日香村も含めて複数います。)
この「飛鳥」は、後の熊野詣の時代から「ヤタガラス」の信仰に変容してゆきます。