ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

国石, ヒスイの古代史(翡翠) の検索結果:

【守屋神社(里宮)】信濃と大阪を繋ぐ物部守屋の点と線【物部さん考】

はじめに ようやく参拝がかなった #守屋神社(里宮)。人里離れた #守屋山 麓に鎮座。#丁未の乱(587年)で太子に討たれ #物部氏(宗家)の最後の当主となった #物部守屋 が祀られています。当ブログ #物部さん考 も簡単に振り返り 目次 守屋神社(物部守屋神社) 守屋神社 境内 物部さん考/開物の古代妄想シナリオ(主要な過去記事) 本文 守屋神社(物部守屋神社) 標高1,651mの守屋山の麓、諏訪大社上社(二社)のある茅野市と伊那市をつなぐ国道152号線沿いに鎮座。 (35…

【五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)】弥生時代後期(1~2世紀頃)の鉄器づくりのムラ

はじめに 淡路島北部、西側の海岸線から約3キロ、標高約200mの丘陵地の #五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)。2004年に発見され、弥生時代後期(1~2世紀頃)の鉄器づくりのムラであることがわかりました #倭国大乱 #板状鉄斧(ばんじょうてっぷ)#鉄鋌(鉄てい) 目次 五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき) 復元された竪穴工房(SH307) ごっさ鉄器工房 鉄器の原料となった板状鉄斧(ばんじょうてっぷ、鉄鋌(鉄てい)) 播磨灘を眺望する景色 【古代妄想・関連記事】河内の鉄鋌…

【縄文・弥生・古墳時代のDNA三段階】日本人の起源について

はじめに 国立科学博物館館長で遺伝人類学者 #篠田謙一氏 の「人類の起源」新刊記念対談。特に気になった #日本人の起源 に関するポイント二点。過去記事あわせて妄想解説 目次 日本人の起源 北海道縄文人のDNA解析 縄文・弥生・古墳時代のDNA三段階説 本文 日本人の起源 近年 日本人の起源 について、遺伝子学(DNA分析)からの研究成果が次々と発表されています。 その中で、興味深い記事が報道されました(ダイヤモンドオンライン/2022年7月26日/「弥生人」の定説に待った、ゲ…

【天岩戸神社】天岩戸の磐座と神話伝承が残る天香具山南麓の神社

はじめに 稲穂がたわわに実る10月初旬 #天岩戸神社(奈良県橿原市)に参拝しました。各地に天岩戸神話の伝承が残る神社がありますが、当社は神話に登場する #天香具山 南麓に鎮座。美しい竹林の中の四個の #磐座 が御神体。珍しい #三つ鳥居 の拝所 目次 天岩戸神社(奈良県橿原市南浦町) 絵馬でつづる天岩戸神話 本文 朝の日に照らされる天香具山 2021年10月上旬の参拝。稲刈り直前の時期で、稲穂がたわわに実っていました。 天香具山近くの田んぼ 天岩戸神社(奈良県橿原市南浦町) …

【比売許曽神社】下照姫を祀る同名の社がこん跡を含めて大阪市内に三社

はじめに 先日紹介した奈良県葛城 #長柄神社の御祭神は #下照姫(したてるひめ)。山陰と葛城に名が残る #子授け安産の姫神 を祀る社がなぜか大阪市内に三か所。#比売許曽神社 二社(東成区東小橋、天王寺区高津町)と #産湯稲荷神社(天王寺区小橋町) 目次 比売許曽神社(ひめこそじんじゃ、大阪市東成区東小橋3丁目) 比売許曽神社 境内 下照姫 大阪上町台地に痕跡含めて三社 アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(全54話完結) 本文 比売許曽神社(ひめこそじんじゃ、大阪市東成区東…

ヒスイのモノづくり史(1)縄文から弥生へ【アラハバキ解 新章】

はじめに 日本の国石は #ヒスイ。#唐古鍵遺跡 でその美しさに魅せられて始めた #ヒスイのものづくり史。時間と労力をかけて硬い #翡翠 に孔をあける意味 #アラハバキ解 であらためてまとめたいと考えています。まずは縄文から弥生。よかったらご覧ください 目次 アラハバキ解 第37章公開 ヒスイのものづくり史(1)縄文~弥生 【過去記事】ヒスイの古代史シリーズ(1)~(7) (1)石器づくりの「たたき石」から始まった歴史 (2)【ざっくり】生まれ方と歴史 (3)縄文中期(約5,0…

モノで見える化【古代 津軽の文化圏】交流と交易の歴史【備忘録】

はじめに 津軽の面白さは歴史の中で文化圏が交わった場所であることでしょうか。一つめは #津軽海峡 を挟んで #北方文化圏 どうしで。二つめは日本海交易で #糸魚川(越)や #出雲 と。三つめは6世紀以降 #蝦夷(えみし、えぞ)として中央の文化圏と 目次 文化圏が交わったところ 旧石器時代 縄文時代(中・後期) 縄文から弥生時代への過渡期(亀ヶ岡文化) 古墳時代~(平安時代)。蝦夷 北海道庁サイト(たいへんわかりやすい) アイヌ語の文化圏(東北北部も含まれます) 続縄文、オホー…

【オホーツク文化】北海道北西部の沿岸一帯 一千年続いた交易文化【北海道大学探訪(2)】

はじめに 北海道大学総合博物館(#考古学)では、本州の古墳時代の半ばにあたる4世紀から鎌倉時代の13世紀にかけて、約1,000年続いた #オホーツク文化 をテーマに #礼文島 各遺跡からの出土品の展示をしていました 目次 オホーツク文化 礼文島55遺跡 縄文以来 日本海・北海道交易のこん跡 オホーツク文化の生活 オホーツク文化 北海道の古代史編年には弥生時代がなく、代わって『続縄文文化(~7世紀)』、その後、8世紀~中世の『擦文(さつもん)文化』が続きます。 ここまでは、ある…

糸魚川で翡翠探しの二年生 ヒスイ鑑定談

『ぬなかはの底なる玉をもとめて』今年もやってきました糸魚川。 www.zero-position.com 佐渡帰りで直江津航路にする理由がコレ。直江津から糸魚川まで車で約50分。今年は奥さんとヒスイ拾い。 抱負は『雌伏一年、キツネ石には騙されない。白い石を探す。大ものは狙わない。ゴツゴツを探せ。』 去年は半日、ヒスイ海岸(糸魚川駅から近く)と姫川(フォッサマグナミュージアムから約20分のところ)で探しましたが、キツネ石に騙されてヒスイの『ヒ』にもお目にかかれませんでした。 *…

【国石ヒスイの古代史(15)】玉作の物部氏と忌部氏 古代王朝に仕えた祭祀の一族★★【三種の神器・雑考(5)】

まとめ 物部氏、忌部氏は古代王朝で祭祀を行う一族で、それぞれ玉作の職業集団を有していました。物部系の玉祖連は400年代の難波と河内、忌部系の玉作集団は500年前後のヤマトで、活動のピーク期とエリアは異なります 目次 難波玉作部は物部★★ ヤマト曽我の玉作は忌部★★ 本文 難波玉作部は物部★★ 玉祖道(たまおやのみち)玉造稲荷神社(大阪市中央区)~玉祖神社(八尾市神立) 玉祖神社(八尾市)と玉造稲荷神社(大阪市中央区)は玉祖道(たまおやのみち)で繋がっています。 玉祖神社の御祭…

【三種の神器・雑考(3)】八尺瓊勾玉は古代難波で造られた!?【敏達の五条宮 × 玉作部】★★★

まとめ 敏達天皇の和風諡号は #渟中倉太珠敷天皇 ヒスイ大玉の宮にすむ天皇という意味。渟中倉太珠(ぬなくらのふとたま)が #八尺瓊勾玉 であるなら #古墳時代末期 の #古代難波 で造られた可能性も? #五条宮 #難波玉作部 #難波祝津宮 目次 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) 第30代敏達大王 点と線★★★ 難波祝津宮(欽明)と五条宮(敏達) 本文 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) 三種の神器の成立時期を考えるひとつの手がかりが、産地と製法が類推できる八尺瓊勾玉(やさかにの…

【ものづくり日本の始まりの地・糸魚川から】アビガン(ファビピラビル)で見え始めた新型コロナの出口戦略【ヒメ様の手のひらに】

…の勾玉) 当ブログ・国石ヒスイの古代史シリーズで紹介していますが、簡単に言うと、 ものづくり日本のスタイルは、縄文時代、糸魚川ヒスイの加工、地場産業化(地域内分業化)から始まった そんな、おそらく世界最古の歴史ある場所で、日本、いや、全世界が待望する新型コロナ治療薬の(原薬)生産が始まるということは、実に象徴的な意味があると思います。 www.zero-position.com www.zero-position.com www.zero-position.com 糸魚川を中…

日本古代製鉄の謎(2)歴史秘話ヒストリア『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』を見て【番組批評・リライト】

*視聴して、同じ意見や印象を持たれた方が多かった(SNS(FB))ようですので、少しリライト(追記)しました。第三版になります(2020年2月18日。初稿2月15日)今後の視聴の参考になさってください。 NHKが相次いで古代の鉄をテーマにした番組を流している(NHKスペシャル・アイアンロードなど)。 先日は歴史秘話ヒストリアを見た(2月12日放送分『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』) 本記事は、その歴史秘話ヒストリアを見ての感想です。 ***** ヒストリアでは…

日本古代製鉄の謎(1)糸魚川ヒスイの再発見で教訓とするべき考古学の歴史

古代の鉄の話をするのに、少し当ブログ「ヒスイの古代史」の話をお許しいただきたい。 関西人の私は縄文時代について、最盛期(縄文中期)の本場を知らないのがネック。 去年の秋、新潟・北陸・東北の各地の縄文遺跡や博物館・資料館を20ケ所近く巡り、話も聞けたおかげで多少なり知識が増え、考え方も変わった。 日本の『ものづくり文化』の背骨 中でも、糸魚川ヒスイの日本海沿岸の加工・分業スタイルが「縄文-弥生-古墳時代」に貫かれ、現代日本の『ものづくり』に繋がっていることを学んだのは大きな収穫…

住𠮷さんあたり(13)大社の東 古社・多米神社之跡【苗見神社、種貸神社】古代豪族・多米連

ひさしぶりに大阪歴史博物館(大阪市中央区)に見学に行ったが、ここでブログを書くようになって、ひとつひとつ展示物を注意深く見るようになった。 大阪市内・神社仏閣の縁起物(絵馬や土人形)を展示しているコーナーを見て回っていて足が止まる。 種貸(たねかし)人形も睦(むつみ)犬も、住吉大社、境内末社の種貸社で頒布している。 (むつみ犬(睦犬)は安産の御礼参りのほかに「腰痛除のお願い」をする際に奉納される) 住吉土人形 種貸人形 むつみ犬 www.zero-position.com 「…

日本古代製鉄の謎(0)シリーズをはじめるにあたって【鐵で鉄を切れるのか?】

刃牙道(ばきどう)板垣恵介 第七巻(宮本武蔵編) いきなり当ブログのいつものテイストと違い、スミマセン。 次男の愛読書、笑。板垣恵介さん作の漫画「刃牙道(ばきどう)」第7巻より。 最先端科学で再生した剣豪・宮本武蔵が、武闘会で対戦相手の青龍刀を日本刀でスパッと切る衝撃!?のシーン。 漫画なので荒唐無稽と思われる向きもおられると思うが、あながち、あるんじゃないかと思っている。 いやもちろん、もしあるとしても、宮本武蔵ほどの達人だからできる技だとは思う。 日本の古代製鉄、例えば、…

八尾市立歴史民俗資料館・所蔵【ヒスイ製の鏃(ぞく)】世界で2品しかない珍品【国石 ヒスイの古代史(翡翠)(14)】

玉祖(たまのおや)神社にお参りする前に、麓の八尾市立歴史民俗資料館にお伺いし、ヒスイ勾玉について丁寧に教えていただいた。 八尾市立歴史民俗資料館 収穫のひとつをご覧いただこう。残念ながら資料写真だけ。現在、実物は展示されていない。 写真の下段、八尾市大竹(心合寺山古墳)出土のヒスイ製の鏃(ぞく)。いわゆる装飾の矢じり(7.4センチ) (Arrowhead―shaped Jade、矢じりの形をしたJade、ヒスイ) 八尾市大竹出土のヒスイ製の鏃(ぞく)裏・表 八尾出土品を拡大 …

難波玉作部・物部氏のこん跡 水越弥生遺跡と都夫久美神社★国石 ヒスイの古代史(翡翠)(13)物部さん考(18)

俊徳街道・十三街道。ふるくは玉祖道(たまおやのみち)と称された 古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE 前回記事(玉祖神社) www.zero-position.com 玉祖神社は八尾市神立(こうだち)の山腹に鎮座し、境内から見下ろす周辺で確認されている前方後円墳は4つ。 玉祖神社一帯 西側の学校周辺も集落遺跡(勾玉・管玉出土) 中でも心合寺山古墳(しおんじやま、八尾市大竹)は航空地図でもはっきりと形がわかる全長160メートルの…

【阪堺電車】えびす町 停留場 長い歴史に幕【2020年1月31日で閉鎖】

三連休の初日、生駒の山腹でアップダウンのところを半日以上歩いてさすがに足腰が。(´▽`) www.zero-position.com 今朝は、百舌鳥古墳群(堺市)あたりまで早朝ウォーキングして、古代妄想リサーチするつもりだったが、歩くのが面倒になり、阪堺電車(はんかいでんしゃ、チンチン電車)で行くことにした。 通天閣、今宮戎神社そばの「えびす町」から堺市「大小路」という駅で下車(約30分)、仁徳天皇陵まで歩く(約30分)コース。 えびす町は始発(終点)駅で、朝早い時間なので、…

生駒山腹 大阪平野を一望する玉祖神社 長鳴鶏(天然記念物)と見ごろのスイセン【国石 ヒスイの古代史(翡翠)(12)玉祖道】

前回記事 www.zero-position.com 古代勾玉の道・玉祖道(たまのおやみち) 玉祖道(俊徳街道、十三街道) 大阪・玉造(玉造稲荷神社)と、八尾市神立の玉祖神社(たまのおやじんじゃ)を結ぶ街道があり、玉祖道と呼ばれた。 玉祖道は、俊徳道(しゅんとくみち)を通り、生駒(いこま)山系の十三峠を超え、大和に抜けるルートでもあるため、後の時代に俊徳街道や十三街道などとも云われた。 玉祖神社(たまのおやじんじゃ)(創建は和銅3年 710年) 玉祖神社は、最寄りの近鉄電車・…

【玉造稲荷神社】弥生・古墳時代の玉作、丁未の乱の戦場、豊臣・徳川期は大坂城の鎮守 【時の地層】

玉造稲荷神社 鳥居と本殿 向こうが北で大阪城方面 玉造稲荷神社の長い歴史をご由緒にあわせて解説。 玉造稲荷神社・ご由緒(文字起こし。色文字部分) 古代勾玉作りの難波玉作部(なにわたまつくりべ)が居住していた地で、現在の(大阪)玉造の地名もこれに由来致します。 御神紋の勾玉 当神社の創祀は、垂仁天皇18年(BC12年)にさかのぼるといわれる古社であります。 鳥居前・玉造岡の碑、岡と云われた境内の高さ 玉作岡は難波玉作部(玉作職人)の集団居住地であったと云われている。 私が住む南…

河内にやってきた糸魚川の玉作集団・難波玉作部の居住地跡 玉造稲荷神社★★★国石 ヒスイの古代史(翡翠)(11)物部さん考(17)

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE 前回記事 www.zero-position.com 年末年始で間が空いてしまったが、ヒスイの古代史の続き。 物部氏の独占 物部氏は、今でいう通貨価値としても通用するヒスイと鉄を独占し、 前方後円墳の造営と水田開発(=国土開発)利権も独占する 「独り勝ち」の状態(西暦400~500年代がピーク) これに対し、ヤマト王権と諸豪族が連帯し、丁未の乱(587年)が起きたと考えている。 丁未の乱は…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(10)丁未の乱は古墳(モノノベ)時代を強制終了した経済の覇権戦争 ★★★ 物部さん考(16)

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE 丁未の乱(ていびのらん、587年)で物部氏(宗家)とともに前方後円墳の古墳時代が実質的に終わった。そして、副葬品としてのヒスイ勾玉や埴輪などの「ものづくり産業」も終焉を迎えた。 前回記事 www.zero-position.com ヒスイの歴史 教科書では、崇仏派の聖徳太子&蘇我氏が、排仏派の物部氏(宗家、守屋)を滅ぼし、四天王寺さんを建立したと教えられる。 しかし、そもそも、蘇我氏はいた…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(9)物部氏とヒスイの特別で重要な関係 ★★★ 物部さん考(15)

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE 前回、ヒスイ勾玉と物部氏には「ある特別で重要な関係」が推理され、実は、それが物部氏(宗家)が徹底的に滅ぼされ、ヒスイが隠ぺいされた理由ではないかと考えている、と書いた。 前回記事 www.zero-position.com 古代の経済学の基礎(成り立ち) 答えの前に物々交換から始まった古代の経済のことを少し。 物々交換の経済は「モノ」と「流れ」と「交換(場)」で成り立つ(商品―流通―市場)…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(8)ヒスイ勾玉 衰退と消滅そして忘却の謎 ★★ 物部さん考(14)

前回記事 www.zero-position.com なぜヒスイは千三百年もの間、忘れ去られていた? 弥生の宝石箱 一級品の輝き(唐古・鍵考古学ミュージアム) 日本では、奈良時代中期を最後に、文学者・田中御風さんの推理でヒスイ峡が再発見された昭和初期まで、糸魚川で原石が採れることすら 忘れ去られて いた。 糸魚川にヌナカワヒメ伝説は残っていたが、ヒスイ産地であることは伝承も残っていなかった。 これは異常な状況だと思う。 結論からいうと 組織的に隠ぺいされた からだと考えている…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(7)長者ヶ原遺跡とヌナカワヒメ伝説から糸魚川ヒスイを最初に推理した文学者【相馬御風・童謡かたつむり作詞家】

前回から続く www.zero-position.com 前回紹介した古事記や出雲風土記の、高志(糸魚川)ヌナカワヒメと出雲オオクニヌシ(ヤチホコ)の神話、 実は、日本古代史を考えて行く上で、考古学、いや、日本人に 貴重な教訓 をもたらしてくれたことをご存じだろうか? 実は昭和の初期、小滝川でヒスイ峡(天然記念物)が発見されるまで、日本に産地はないという考え方が一般的で、縄文時代の大珠・小珠、弥生~古墳時代の勾玉がたくさん出土しているにもかかわらず、 「大陸からの輸入」を前提…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(6)ヌナカワ姫を探せ!ヒスイ工房跡・長者ヶ原遺跡【長者ヶ原のビーナス】

※ヌナカワは「奴奈川」「沼川」「淳名川」などの表記がある。記事では「ヌナカワ」または「ぬなかわ」とした ぬなかわの底なる玉のような美しい姫とオオクニヌシの伝説 古事記の大国主の神話の段。ヌナカワ姫と出雲のオオクニヌシが結ばれた話(ざっくりあらすじ) ヌナカワ姫の美しさの話はオオクニヌシまで届いた。八千矛(やちほこ)と呼ばれたオオクニヌシは舟に乗り馬で駆け、姫のもとに向かった。寝屋から出てこない姫にヤチホコは「今すぐ妻にしたい」と歌を詠んだが、姫は「明日の夜まで待ってほしい」と…

ものづくりで方言と標準語を創造した縄文はあらためてスゴイ!と思う【今年。北・東日本めぐりのまとめ】

昨日で、この度の「北陸・新潟・佐渡・津軽・福島巡り(仕事の合間の弾丸めぐり)」で、縄文の土器・土偶については、おおよそ書き出した。 www.zero-position.com ヒスイ(翡翠)を始めとした「古代日本海の地下資源」はまだ少し。 www.zero-position.com ***** 大阪人の私には、目からウロコ。 漠然と日本(文化)は西から始まったと思っていた。もちろん、水田稲作の弥生時代はおおむね、そうであると思う。 しかしその前の長~い時代。 縄文文化は北・東…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(5)ハヤブサはイトカワで新発見 私はイトイガワで再発見(=古代妄想)

ご注意)記事中「ハヤブサ」の話はありません。念のため(´▽`) 前回記事(4) www.zero-position.com この国の文化は北・東日本から始まり今に繋がっている 約5,000年前、ヒスイ大珠が作られ始め、海路・陸路で拡散。今より温暖で海が深かった縄文中期の文化・交易圏は圧倒的に北・東日本。 火焔型土器など「モノを通しての信仰的な表現」の華がひらき、三内丸山を始め、当時、日本海に接した集落に櫓(やぐら)やウッドサークルなど「巨大木造建築」が林立した。 火焔土器(馬…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(4)縄文中期 ギルド工房・匠の技から生まれる大珠(たいしゅ)北・東日本に流通

前回記事(3) www.zero-position.com 糸魚川でヒスイの大珠(たいしゅ)が造られ始め、北日本、東北、関東に広がっていった様子を紹介。 ヒスイ工房遺跡(寺地遺跡、長者ケ原遺跡(記事後半)) 希少な糸魚川のヒスイ(硬玉)産地を流域に持つ、青海川・姫川周辺には、9ケ所の縄文中期遺跡が発見されている。 このうち、海沿いの寺地遺跡(石斧とヒスイハンマー利用の大角地遺跡に直近)、段丘の長者ケ原遺跡でヒスイ大珠の加工跡が見つかっている。(寺地遺跡にも巨大木造、四本柱のウ…