ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【津島神社(4)】古代の浅海のこん跡

古代伊勢湾、浅海の浮島に創建(古墳時代後期、欽明天皇元年)された #津島神社。 当時の地形を考えながら、境内で水辺のこん跡を探しました

目次

本文

名古屋の古代の地形・海岸線

名古屋の歴史を紹介するサイトに掲載された古代の地形(海岸線、下記リンク)

○印で囲ったところが、津島神社の位置。

古墳時代後期の創建当時(欽明天皇元年、540)、津島神社は遠浅の海に浮かぶ島でありました

名古屋の古代の地形(元絵は尾張養老元年之図)

現在、津島神社は、伊勢湾の海岸線(木曽川河口)から約10キロの内陸に位置しますから、古地形を想像するのはたいへん難しいですね。

現在の名古屋地図

なお、冒頭の古地形は、猿投神社(さなげじんじゃ、愛知県豊田市猿投町)に伝えられる「尾張養老元年之図(伝・奈良時代)」という古地図を元につくられています。

(猿投神社に確認したところ、所蔵している古地図は非公開とのこと。海岸線に松の木が描かれた「西暦七一七年」銘で出ているカラー版は、制作年代が新しい模写絵とのこと。)

  • 熱田神宮は、地図東(右)の南に突き出した半島の先端にありました

  • 古代の「琵琶島・枇杷島」に位置するところに、後に清州城が建てられました

猿投神社収蔵の古地図の模写絵(制作年代は新しいもの。猿投神社宮司談)

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その後、川が運ぶ土砂が堆積した沖積平野で、現在の大名古屋が形成されます。

現在の地形は、ほぼ江戸期に形成されています。

左)江戸期、右)現代

【参照したサイト】

network2010.org

【当ブログ、海進と海退沖積カテゴリー記事】

www.zero-position.com

弥生の海退と(古墳時代の)沖積平野の形成

名古屋に限らず、現在の沿岸大都市部は当時、いずれも浅海もしくは潟で、台地(島)の海岸近くに、次々と神社が創建された時代でした。

海が浅くなる(海退)とともに、川が運ぶ土砂が堆積した扇状地付近から、葦(蘆)の茂る湿地帯へ、さらには稲作に適した広大な沖積平野へと変化し、人の移動と定住を促し、弥生時代、そして、古墳時代の沿岸社会と文化を創出します。

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津島神社の水辺のこん跡

津島神社の境内で、水辺のこん跡を探してみました。

東鳥居と楼門の間の石の浮橋

津島神社 神苑

尾張津島天王祭の案内 江戸期の津島神社は川に挟まれていた

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