古代伊勢湾、浅海の浮島に創建(古墳時代後期、欽明天皇元年)された #津島神社。 当時の地形を考えながら、境内で水辺のこん跡を探しました
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名古屋の古代の地形・海岸線
名古屋の歴史を紹介するサイトに掲載された古代の地形(海岸線、下記リンク)
○印で囲ったところが、津島神社の位置。
古墳時代後期の創建当時(欽明天皇元年、540)、津島神社は遠浅の海に浮かぶ島でありました
現在、津島神社は、伊勢湾の海岸線(木曽川河口)から約10キロの内陸に位置しますから、古地形を想像するのはたいへん難しいですね。
なお、冒頭の古地形は、猿投神社(さなげじんじゃ、愛知県豊田市猿投町)に伝えられる「尾張國養老元年之図(伝・奈良時代)」という古地図を元につくられています。
(猿投神社に確認したところ、所蔵している古地図は非公開とのこと。海岸線に松の木が描かれた「西暦七一七年」銘で出ているカラー版は、制作年代が新しい模写絵とのこと。)
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その後、川が運ぶ土砂が堆積した沖積平野で、現在の大名古屋が形成されます。
現在の地形は、ほぼ江戸期に形成されています。
【参照したサイト】
【当ブログ、海進と海退沖積カテゴリー記事】
名古屋に限らず、現在の沿岸大都市部は当時、いずれも浅海もしくは潟で、台地(島)の海岸近くに、次々と神社が創建された時代でした。
海が浅くなる(海退)とともに、川が運ぶ土砂が堆積した扇状地付近から、葦(蘆)の茂る湿地帯へ、さらには稲作に適した広大な沖積平野へと変化し、人の移動と定住を促し、弥生時代、そして、古墳時代の沿岸社会と文化を創出します。
津島神社の水辺のこん跡
津島神社の境内で、水辺のこん跡を探してみました。