2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧
新大和川の河川敷を #二上山 を眺めながらテクテク。大和と河内・摂津を往来する人たちの道標であるとともに、縄文時代からの信仰の山。数々の#万葉集 にも詠われました #志貴皇子 #鴨の羽交 目次 新大和川の河川敷を東へテクテク 上古からの信仰の山 志貴皇…
河内の古代史 を考えながら #新大和川 河川敷をウォーキング。流域周辺の神社をお参り。#中臣須牟地神社。飛鳥時代の官道 #磯歯津路 のこん跡に #藤原氏 として栄華を極めた #中臣氏 の原点がうかがえます 目次 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじや) 古…
新大和川の南、松原市 #屯倉神社(みやけじんじゃ)。かつての大穀倉地帯 #依網屯倉(よさみやけ)のこん跡。今は #菅原道真公 を祀ります。境内に屯倉の米と銘水(酒屋井)による酒造の神を祀る #酒屋神社。境内の梅が見頃でした 目次 屯倉神社(みやけじん…
春の堤防をウォーキング&歴史散策。大和と河内を繋ぐ古代の水路・陸路のハブ #柏原市安堂。かつて #大和川 はここで北に向かい扇状地を形成しながら現在の大阪城の東一帯の内水湖に流れ込んでいました。飛鳥~奈良時代には最果ての #シルクロード #龍田道 …
千五百年にわたり #住吉大社 神主家であった #日本三家のひとつ #津守氏 の居館があったところに #アラハバキ 的な陽石(石棒)と陰石(胎内石)。住吉さんに残る子孫繁栄・五穀豊穣を祈る南北ラインと関係か。#仁徳天皇陵 目次 住吉の南北を繋ぐライン 出雲…
住吉大社の歴代神主であった #津守氏 居館があったところ。今は史跡保存されている住吉行宮跡・正印殿跡(二回目)。域内には小祠がいくつか。そのうち #結の神社 のそばに #陽石(石棒)と #陰石(丸石)。#アラハバキ信仰 目次 住吉さんの南。古代「住吉の…
かつて #住吉大社 神主家であった #津守氏 の居館があったところの #正印殿跡。#南北朝時代 には #南朝 #後村上天皇 の仮御所(#住吉行宮)が設けられました 目次 住吉行宮跡(正印殿跡) 住吉行宮(すみよしあんぐう) 本文 住吉行宮跡(正印殿跡) (34.60…