ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

古代上町半島・考

【生國魂神社元宮(お旅所跡)】生駒の大鳥を眺めながらアラハバキ信仰を考える

大阪城公園南西入口そば #生國魂神社 元宮跡(お旅所跡)。ここから大阪城外堀の向こうに #生駒の大鳥 を眺めることができます。弥生の人々は日本最古級の祭祀場から、#クニウミ #子孫繁栄 を祈ったと考えています #アラハバキ 目次 大阪最古の祭祀場 生國魂…

日出づる、飛び立つ鳥の高揚感。神鳥が相次いで生まれた飛鳥という新時代

はじめに 遣隋使 #小野妹子 に #聖徳太子 が託した #隋の煬帝 への親書『#日出る処の天子。書を日没する処の天子に致す。恙なきや』…にじみ出る #飛鳥時代 を迎えた高揚感。神の鳥が次々と羽ばたきました #白鳳 #斑鳩 #白雉 #朱鳥 目次 大阪四天王寺。飛鳥と…

【深江郷土資料館】笠縫氏の伝統技術 大嘗祭・伊勢式年遷宮の笠細工

はじめに 深江稲荷神社に隣接する #深江郷土資料館。深江の鋳物師(人間国宝)#角谷一圭氏(故人)鋳造品、#深江笠縫保存会 の菅細工、各地の人間国宝級の工芸品が展示されています #大嘗祭 #伊勢神宮式年遷宮 #笠縫の島 目次 深江郷土資料館(大阪市東成区…

【深江稲荷神社】大和の笠縫氏が摂津に移住。すげ笠づくりで栄えた街

はじめに 古代の大和 #笠縫氏。おそらく古墳時代、摂津国・笠縫島(大阪市東成区)に移り住む。子孫は湿潤な地に水路を引きスゲを栽培。江戸期にすげ笠づくりが盛んに 目次 深江稲荷神社(大阪市東成区) 深江稲荷神社 摂社 末社 すげ笠づくりの街 本文 深江…

【生国魂神社お旅所跡】天照山(生駒の大鳥)を見晴るかす 太古 クニウミ祭祀の聖地

はじめに 大阪城外堀 南西に #生国魂神社お旅所跡。ここは生國魂神社(天王寺区)の元宮。太古、海に囲まれたこの地は #クニウミ祭祀 の聖地。ここから #天照山(#生駒の大鳥)を見晴るかすことができます #十種神宝 #生玉 #足玉 #生島大神 #足島大神 目次 …

【石山の謎】大阪城 豊臣石垣公開プロジェクト【豊臣期天守と徳川期天守】

はじめに 現在の #大阪城 は昭和〜平成に、ほとんど再築された鉄筋コンクリート製。その前には #豊臣期天守(約40m)#徳川期天守(約50m)が存在しました。昭和時代に発掘された豊臣期天守の古い石垣遺構を恒久的に見学できる施設が建設中 目次 大坂城の歴…

【日出処の国】外国使節団は難波津から【生駒の大鳥】を見る

はじめに 古墳時代中期以降、西の難波津に面した上町半島(現在の上町台地)は、外交使節団を迎え入れる国際港湾都市でした。この地に都、大寺、城を築いた人たちは、共通して生駒(大鳥)の景観を重視しました 目次 外国使節団受け入れる国際港湾都市【難波…

【山越来迎図の秘密】摂津・河内平野 二本の【太陽の道】が指すところ③

はじめに 春分秋分の夕刻、西の #石鳥居 の真ん中に没する夕陽を観て #西方極楽浄土 を想う #四天王寺 #日想観法要。その起源は創建時から重視された #太陽の道。#阿弥陀如来 #山越来迎図 目次 四天王寺ラインが明石海峡を指す理由・考 四天王寺から見て阿弥…

【天照山】生駒の大鳥。太陽のただ射す所の蔭【暗峠】

はじめに ネット時代はありがたく前回記事を読んだTamaoさんより #生駒の大鳥 の頭の山が #天照山 という名であることを教えていただきました。#暗峠 との位置関係も正確にわかり古代妄想がいろいろと繋がりました #影向(ようごう) 目次 天照山(生駒の大…

【摂津河内の太陽の道①】日出づる処の生駒の大鳥、日没する処の石鳥居

はじめに 私の古代妄想の原点 #四天王寺。#聖徳太子(推古天皇) はなぜここに #和 のシンボル #日出づる国 の玄関口の大寺を建立したのでしょうか。あらためて整理 #生駒の大鳥 目次 生駒の大鳥(開物命名) 四天王寺・日想観法要と伽藍の秘密 四天王寺と生…

【四天王寺 石神堂牛王尊】菅原道真公とご眷属の牛の話(後半)【道明寺天満宮】

はじめに 菅公のご眷属が牛、それも #臥牛 である理由2回目。少し京都・北野天満宮から離れて、大阪の #道明寺天満宮 #道明寺(土師寺) 四天王寺 #石神堂牛王尊 で考えました。 #菅原道真公 の祖先 #土師氏 は古代の建築土木の総合請負業であることからの…

【比売許曽神社】下照姫を祀る同名の社がこん跡を含めて大阪市内に三社

はじめに 先日紹介した奈良県葛城 #長柄神社の御祭神は #下照姫(したてるひめ)。山陰と葛城に名が残る #子授け安産の姫神 を祀る社がなぜか大阪市内に三か所。#比売許曽神社 二社(東成区東小橋、天王寺区高津町)と #産湯稲荷神社(天王寺区小橋町) 目次…

【私の古代妄想史②】背広姿のカタリベ【司馬遼太郎エッセイより】

はじめに 私の古代妄想史・2回目。初期の #司馬遼太郎 さんのエッセイに出雲の不思議な話が2つ。司馬さんの先輩T氏は島根(出雲)の名族出身。自分の代で出雲の社家をやめ大阪に出て新聞記者に。#語部 #斎木雲州 目次 司馬遼太郎が考えたこと(1)新潮文…

【融通念佛宗総本山 大念佛寺】大阪・秦氏のこん跡を探して【クマタのハタさん】

はじめに 日本古代史 #秦氏。北九州~瀬戸内沿岸に足跡を残し、物部氏を滅ぼしてから(#秦河勝)次に登場するのが伏見や京都。なぜか大阪で足跡が途絶えます #良忍 #融通念佛宗 #大念佛寺 #藤原秦氏 #百万遍念仏 目次 杭全(クマタ)の(秦)ハタさん 大阪(…

【瓢箪山稲荷神社(1)】秀吉公も見た 生駒の大鳥【千成瓢箪・妄想話】

はじめに 天守閣に上った #豊臣秀吉。大坂城の巽の方 生駒山の大ガラスの足元に #ふくべ稲荷 を勘請。ふくべは #ヒョウタン のことでこれにて #千成瓢箪となる? #瓢箪山稲荷神社 #保食大神 #瓢箪山古墳 目次 妄想・千成瓢箪(譚) 瓢箪山稲荷神社(東大阪市…

【四天王寺 番匠堂】千四百年、絶えることなく受け継がれた古代の建築技術【日本最古の会社 金剛組】

はじめに 縄文以来の木造建築技術。そこに渡来の技術が融合して #四天王寺 は建立され、今もなおその匠の技術は伝え続けられています。#番匠堂は #宮大工(番匠)の人々の叡智とたゆまぬ努力を顕彰するお堂。日本最古の会社 #金剛組 目次 四天王寺 番匠堂 日…

【杭全神社(2)】坂上氏・平野郷の氏神さん 千二百年の歴史【狛犬・足止め祈願】

はじめに 大阪市平野区。中世~近世に堺とともに栄えた環濠集落 #平野郷 の氏神さん #杭全神社。創建以来千二百年間、坂上氏一族(#七名家)が守り続けてきました。本殿狛犬の前足に紐をくくり家出人を探す #足止め 祈願 目次 杭全神社(くまた、大阪市平野…

【土塔神社跡】四天王寺七宮の一社跡 仁王碑が見守る基壇【超願寺境内 竹本義太夫墓所】

はじめに 四天王寺の南大門から徒歩五分。#四天王寺七宮 の一社 #土塔神社跡 は #土塔山超願寺 境内。蘇我馬子の子・慧観が聖徳太子から賜った経や舎利を納める三重塔を建て防火のため土で固めたのが名の由来。#人形浄瑠璃 の #竹本義太夫墓所 もあります #…

【転法輪の話(3)】八角墳 飛びたつ鳥 新しいクニづくりのコンセプト【日出る処の天子】

はじめに 昨年冬。#中尾山古墳(明日香) の現地説明会に参加。専門家の間では #八角墳 は飛鳥時代の大王の墳墓様式との認識が定着しつつあるようです #転法輪 #八街 #飛鳥時代 #日出る処の天子 #四天王寺 目次 八角墳について 飛鳥時代 大王の墳墓様式か? …

【転法輪】八方にひろがる あまねく神仏習合のシンボル【雑考回】

はじめに 四天王寺伽藍の中心は #転法輪石。仏法(#聖徳太子)と神道(#太陽祭祀:#推古天皇)が交わるところのシンボル、目に見える#以和貴『和をもって貴しとなす』でしょうか #難波宮 #八角殿 目次 四天王寺の転法輪石【以和貴のシンボル】 四天王寺西大…

【仁徳天皇の治水】茨田堤 難波の堀江【秦氏・考】

はじめに 古墳時代中期の #仁徳天皇期。淀川と大和川から流れ込む大量の水を制御するため全長20キロに及ぶ #茨田堤 の水路を造り #難波の堀江 を開削し広大な大阪平野(河内国)を創出しました。謎の #秦氏の姿も見え隠れします 目次 茨田堤(まんだのつつみ…

【荒陵 アラハカ】四天王寺の東かも知れない。前方後円墳のことかも知れない

はじめに 四天王寺 の山号は #荒陵山 #アラハカ。よく #アラハバキ信仰 との関係が推理されます。春分・秋分の日の出ラインに #御勝山古墳。山号の由来は東で、古墳時代を象徴する #前方後円墳 のことを #荒陵 と称していたのかも知れません 目次 四天王寺 …

【四天王寺】春分・秋分 転法輪石が指す日の出の方向に【御勝山古墳】

はじめに 四天王寺伽藍中心の #転法輪石 春分・秋分に日の出・日の入の方位を指します。東の日の出ライン上に #物部守屋祠。さらに1.8キロ先に #御勝山古墳(後円部の墓域中心)さてこれは偶然でしょうか 目次 四天王寺境内・転法輪石の東に守屋祠 守屋祠…

【四天王寺七宮の一社 久保神社】もうひとつの願成就宮 熊野大神の三柱 大岩小岩大明神

はじめに あらためて四天王寺の東の神社史跡を巡り始め。#四天王寺七宮 の一社 #久保神社。建立に際して守護神として創建。一帯が川底の窪地であったことからの名と伝承。謎がさらに深まる増えるお社 #もうひとつの願成就宮 #熊野大神の三柱 #大岩小岩大明神…

【弥栄神社】桜散り、始まる新緑と花の季節【ピザを焼ける神社】

はじめに 大阪市生野区の #弥栄神社。”いやさか””やさか”ですが、ここでは”やえい”と読みます。三方の鳥居は桜の彩り。ほかに目を楽しませてくれる境内。御由緒以上に歴史の深い神社であるような気がします #神社でピザ焼き #えんむすび 目次 弥栄神社(やえ…

【新説・四天王寺】ベールに包まれた守屋祠が物語る謎【物部さん考】

四天王寺 物部守屋祠(太子の月命日(22日)公開) はじめに 四天王寺にあったと推理される熊野神社を探す目的で書き始めた #新説・四天王寺 シリーズ。調べるほどに新たな謎がさらに謎が呼ぶ展開に。#物部守屋 #守屋祠 #日出ずる処 #丁未の乱 目次 新説・四…

【新説・四天王寺】石神堂 御神体の正体【牛王尊】

はじめに 四天王寺、亀井堂の前の #石神堂 #牛王尊。お堂内には大小の臥牛像。大正期の境内図には #石神神社 と。その位置、横長形、大きさから、かつての御神体は境内にあった古墳時代の #長持型石棺蓋 で間違いなし 目次 四天王寺 牛王尊 石神堂 『大阪四…

【新説・四天王寺】古い時代、熊野神社があったこん跡【堀越神社の案内板と浮橋】

はじめに かつて #四天王寺 石鳥居の付近に #熊野神社 があったことは近くの #堀越神社 説明板に書かれています。実際にどのあたりに鎮座していたのか。転法輪石から西の延長線上に #西大門 その前に神社様式の #浮橋 目次 堀越神社 熊野第一王子の由緒 石鳥…

【新説・四天王寺】熊野のこん跡 『あしかき』三首の考察【道標神・クナト信仰】

はじめに 『難波津や ふるき昔の あしがきも まちかきものを 転法輪所』鎌倉時代、#四天王寺 #転法輪石 を詠んだ #慈円(愚管抄の著者、天台座主)の詩。#あしがき の解釈がたいへん難しい。#クナト信仰 #熊野詣 #道標の信仰 新カテゴリー #新説四天王寺 目…

【新説・四天王寺】八十国の百隈来にし大寺や 往きて戻れぬ事のあるかも【難波津と防人の詩】

はじめに 万葉集巻二十 兵部省役人だった歌人 #大伴家持 選 #防人の詩 約九十首が掲載。徴兵された東国の人々が #難波の海 を見つめ前線に向かう自身と家族の行く末を案じた心情を詠います。その中に #四天王寺 にあったと推定される社のヒントがあるかも知…