第31代用明大王(豊日大兄、池辺大宮)
奈良県 #明日香村 #橘寺。#聖徳太子 の誕生地。イエス・キリストの約六百年後、厩(うまや)で誕生した日本の聖人の始まりの地らしく、伝承にもとづく数々の聖蹟が残されています 目次 橘寺(たちばなでら) 橘寺 太子の聖蹟が各所に残る境内 境内の花など …
はじめに 諏訪大社上社の #神長官(じんちょうかん)として中世をピークに明治期まで続いた #守矢家。当ブログ #物部さん考 の一環として #神長官守矢家資料館 を訪問 目次 神長官裏古墳 27代目に現れる武麿(弟麿) 点を繋ぐ線 地域に残る物部守屋の伝承 本…
はじめに 私の古代妄想史・2回目。初期の #司馬遼太郎 さんのエッセイに出雲の不思議な話が2つ。司馬さんの先輩T氏は島根(出雲)の名族出身。自分の代で出雲の社家をやめ大阪に出て新聞記者に。#語部 #斎木雲州 目次 司馬遼太郎が考えたこと(1)新潮文…
四天王寺 物部守屋祠(太子の月命日(22日)公開) はじめに 四天王寺にあったと推理される熊野神社を探す目的で書き始めた #新説・四天王寺 シリーズ。調べるほどに新たな謎がさらに謎が呼ぶ展開に。#物部守屋 #守屋祠 #日出ずる処 #丁未の乱 目次 新説・四…
目次 本居宣長「管笠日記」の記述 石舞台との双墳説もある都塚古墳 都塚古墳の埋葬者は? 豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ、推古女帝) 記紀・改葬の記述 用明大王(日本書記) 推古女帝(古事記) 欽明系図 石舞台古墳は用明天皇の墓だった!?(1) ま…
目次 上宮寺(上居)~石舞台古墳(島庄)のラインの先の島庄遺跡 縄文以来の一等地だった島庄遺跡 用明大王の池辺大宮(いけのべのおおみや) 石舞台古墳は用明大王の墓だった!? まとめ 明日香村の #上宮寺 から石舞台古墳を眺望する先に #用明天皇 の #…
目次 島庄遺跡・謎のトライアングル*1 嶋宮(池辺宮)跡の可能性 島庄(しましょう)と上居(じょうご) 完璧な舞台配置★★ まとめ 石舞台古墳 の近く #明日香村島庄(しましょう)に謎のトライアングル。昭和47年(1972年)の発掘調査の結果、一辺42…
目次 上宮太子(聖徳太子)の明日香村伝承 上宮伝承 上宮寺 遠望・石舞台古墳 まえがき 聖徳太子は、お父さん(用明大王)の住まい(宮殿)より高い丘(上宮)に住んでいたという、実にシンプルな理由で「上宮太子(皇子)」と呼ばれました。 上宮太子は聖徳…
ここでは奈良時代より前の話をします。 お気づきになっている方もいるかもしれませんが、最近、当ブログでは、大王(おおきみ)という言葉を使うようになりました。 例えば、第16代仁徳天皇というのをやめて、仁徳大王という風に。 しかし、第40代天武天…
大阪歴史博物館の最上階では、北側の大阪城から南側の難波宮まで一望できる。 周辺の神社を含めて、説明を入れてみた。 秀吉の大阪城は、玉造稲荷神社あたりまでが三の丸(城の外縁)という壮大な建造物であった。 www.zero-position.com 正面に生駒の山並み…
前回の続き www.zero-position.com 上社(二宮)と下社(二宮)が違う理由を考える 諏訪大社・下社二宮と上社二宮は距離的に離れており、それぞれ異文化の雰囲気。下社は大注連縄(おおしめなわ)など出雲文化が残っている。上社にはない。 諏訪大社四宮めぐ…