ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【石舞台古墳を見下ろす丘】少年太子の上宮? 上居の上宮寺【明日香伝承】

目次

まえがき

聖徳太子は、お父さん(用明大王)の住まい(宮殿)より高い丘(上宮)に住んでいたという、実にシンプルな理由で「上宮太子(皇子)」と呼ばれました。

上宮太子聖徳太子に相当する人として確かに実在していました。

しかし後世の『聖人化』で、創作と考えられる話も多く、その実像はベールに包まれています。

本文

上宮太子聖徳太子)の明日香村伝承

昨年から足を運びたいと思っていた明日香の上居(じょうご)の上宮寺(じょうぐうじ)にお参りしました。

ここには、明日香村の地元で語り継がれてきた上宮太子の伝承が濃厚に残っています。

上居)上居と書いて「じょうご」と読む。由来に諸説あるが、大和方言で高所の集落を意味する上居(かみい)と関係があるようだ。岡の集落から多武峰(とうのみね)に通じる西多武峰街道に沿った集落で、青年の聖徳太子が馬でよく上居を走り回られたという言い伝えが残る。坂道を上ると上宮寺があり、寺の裏手から眼下に石舞台をはじめ壮大な経験が広がる。

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大字上居(じょうご) 上宮寺(じょうぐうじ) 説明板

上宮寺)寺号は「仏生山 上宮皇院 上宮寺」。聖徳太子生誕の地とされる橘寺は「仏頭山 上宮皇院 菩提寺」だから、上宮寺も皇室との関係が深かったと伝えられている。寺伝によると聖徳太子上宮の地という。境内に鎌倉様式の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、層塔などがある、上宮寺裏手高台からの眺望は抜群。

上宮伝承 上宮寺

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上宮寺(奈良県高市郡明日香村大字上居587)

上宮寺(奈良県高市郡明日香村大字上居587) *1

明日香観光の人気スポット、石舞台古墳を横目に大字上居の丘を目指して徒歩約30分(車で約5分)。

無人の境内には、説明板に書かれた鎌倉様式の宝篋印塔(ほうきょういんとう)と層塔があるほか、特に目を惹くものはありません。

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上宮寺 本堂 鎌倉様式の宝篋印塔(ほうきょういんとう)と層塔

本堂裏庭に見事なハスが一輪。

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上宮寺

眺望がすばらしいと書かれている墓域への小道に地蔵さんが並んでいます

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上宮寺

遠望・石舞台古墳

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上宮寺 南側谷向こうの山系 梅雨明けの夏空

はるか下に石舞台古墳が見えます。

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上宮寺から石舞台古墳

少しわかりにくいと思いますので、丘を下って来た休憩所から石舞台古墳

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石舞台古墳(史跡公園の外から)

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上宮寺 ハス シオカラトンボ

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*1:カーナビでは”明日香村上居587”でOK