ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

物部さん考(11)物部守屋の「もの」 諏訪大社・古代妄想ガイド★★★ 信濃と大阪・上町台地(4)

前回の続き

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上社(二宮)と下社(二宮)が違う理由を考える

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諏訪大社・下社二宮と上社二宮は距離的に離れており、それぞれ異文化の雰囲気。下社は大注連縄(おおしめなわ)など出雲文化が残っている。矢印は川の流れ。上川から諏訪湖に入り天竜川に注ぐ

諏訪大社四宮めぐりをして感じたのは、とにかく下社二宮と上社二宮の違い。

まず下社二宮について

下社二宮には大注連縄や龍神信仰などの「元出雲」様式に、反り橋・浮島の「物部」様式が乗っかっている。

大きな社でよく見られる「出雲後物部(いずものちもののべ)」の姿だ。解説すると・・・

出雲勢力は、日本海側(新潟)から信濃川を遡上するルートで科野(しなの、松本市安曇野一帯)から諏訪地方に先に入った(北から先に)

一方、物部勢力は後から、天竜川遡上あるいは甲府市北上ルートで南から諏訪地方に入り一帯を拠点化、その後、下社二宮を皮切りに、生島足島神社(上田市)、科野といった出雲テリトリーを飲み込んでいった(南から後に)

と大まかに推理している。この見方は、前方後円墳などの考古学的観点、記紀などで伝えられる歴史観点(東遷)と、おおむね、矛盾しないと考えている。

問題は下社二宮

一番引っ掛るのが下社(二宮)に「反り橋がない」こと、つまり、モノノベ様式を踏襲していないことだった。

考えられる理由はひとつ。

物部氏滅亡後の造営であれば、物部氏を象徴する反り橋(太鼓橋)を造ることはない。

物部氏丁未の乱(587年)で聖徳太子軍に敗れ、大阪の地で滅びた。

上社(二宮)はいつ造られたのか?

ポイント1:用明期(587年)諏訪湖の南に「社檀」が設けられた【知る人ぞ知る話】

(青文字の抜粋文中)用明天皇二年、587年とは丁未(ていび)の乱の年。一致する。

「大祝」とは諏訪大社特有の制、いわゆる最高神官で、神格化されていた時期もあった。

「大祝」の出自については諸説(洩矢氏や金刺氏などの土着族)説、大神氏(ヤマト族)説など)あり、真相は謎とされている。

なお、用明天皇の息子は聖徳太子だ。

有員(ありかず)は大祝(おおほおり)の始祖と伝えられている。(上社前宮の説明板より)

※「阿蘇氏略系図(異本阿蘇系図)」には偽書説もあることは公平を期して書いておく

(以下、Wiki「大祝」より抜粋)

歴史学者田中卓が1956年に発見した「阿蘇氏略系図(異本阿蘇系図)」と1884年に見つかった「神氏系図(大祝家本)」には、科野(しなの)国造家出身の神子(くまこ)、または乙頴(おとえい)という人が用明天皇二年(587年)に諏訪湖の南に社檀を設けて初代大祝(おおほおり)となったとあり、有員(ありかず)がその子孫とされている

本田善光の謎

物部氏滅亡後の時代、ヤマトの都(飛鳥あるいは四天王寺)に来ていた本田善幸が難波の堀江に沈んでいた

ポイント2:阿弥陀如来像を自宅(元善光寺伊那市)に連れて帰る【有名な話】

本田善幸が背負って帰ったものは、阿弥陀如来像と「もうひとつ」あったと推理している。

「もうひとつ」とは何か?

善光寺の守屋柱の下に埋まっている首」「守屋神社の守屋の墓」の説話の元になった「もの」である。

古代「鬼」は怨霊であり「もの」と呼ばれていた

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聖徳太子四天王寺を建立した目的、そして、そこで太子は何をしようとしていたのか?

まだわからないことも多いが、いずれ書いてゆきたいと思う。

消え去った飛鳥の祝部(ほふりべ)

(繋・明日香村の大字に伝わるはなし 明日香村文化協会 40周年記念 平成31年1月刊行より)

・・・明日香村に祝戸(いわいど)という字(あざ)がある(飛鳥の中心「岡」のすぐ南)

・・・古老によれば、古代には祝部(ほふりべ)、神を祀る者たちが住んでいたという。

・・・時代とともに神主の必要もなくなり、祝部は去る際に村の名を「祝戸」と名付けたという。

「神主が必要でなくなる時代」とは物部氏が滅んだ「丁未の乱」後であることは間違いない。

ポイント3:祝部がどこに行ったのか不明【明日香・祝戸地区の伝承】

ポイント1、2、3のまとめ(点と線)

3つの点を繋いだ私の大まかなストーリー立ては次の通り。当ブログ初の★★★小説レベル。

● 丁未(ていび)の乱直後、聖徳太子勢力は、怨霊を怖れたか、新しい国家造りの障害にならないよう、守屋の遺骸を本田善幸に依頼、遠くに埋葬させた(守屋山)

● 守屋神社(守屋山)~諏訪湖南一帯(伊那市茅野市)は、物部氏諏訪湖に進出した当初の拠点で眷属も多かったのがその選定理由

● その時に鎮護の社檀、つまり、諏訪大社上社が建立された。最初は上社元宮

● 大乗仏教を推進し始めたばかりの時期の神社造営は異例

● 合わせて飛鳥に居た「祝部」を諏訪地方に移住させた。現在の上社前宮が居住地(神原)になった

● よって「祝部=大祝」で物部氏の生き残り一族と考えられる。飛鳥を追い出され諏訪で大祝となった。やがて「守矢」を名乗る(矢は河内期・物部氏のシンボル)

● 上社二宮は守屋神社の守屋山を拝んでいるが、公に秘密にされた理由は、これらの経緯に関連する

この考察から、諏訪大社上社二宮の造営は587年(丁未の乱)以降と考えるようになった。

はじめ、上社二宮=物部勢力が造営=男神、下社二宮=元出雲勢力=女神で後に物部、と考えていたが事情はより複雑だったようだ。

考察のきっかけが飛鳥(ポイント3、飛鳥のバイブル)で見つかったのは予想外だった。

続きます(来週)

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

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下鴨神社(4)賀茂御祖神社・姫神の社 お参り・見学・森林浴

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)通称、下鴨神社

御祭神は玉依媛命(たまよりひめのみこと)、その父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)

毎年5月15日、上賀茂神社とともに行われる葵祭(あおいまつり)では京都の若い女性が務める斎王代(さいおうだい)は下鴨神社で御禊(みそぎ)をする。

斎王は「いつきのひめみこ」ともいい、古代に伊勢や賀茂の社に奉仕した未婚の内親王(皇族直系の姫)のこと。斎王代は斎王の代理という意味で、戦後復活した葵祭の主役。

こういう歴史から、下鴨神社には姫神様や斎王・斎王代ゆかりの社や建物が多数。その数はおそらく日本一と思われる。

この回では、女性のお参りや見学に合ったスポットをコースにしてピックアップしてみた。

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美人祈願 河合神社 鏡絵馬。キレイ・可愛い・美しい。ひとりひとりが描く願い事

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下鴨神社賀茂御祖神社)の女性のお参り・見学スポット

女性守護 日本第一美麗神 河合神社

御祭神は玉依姫命(たまよりびめのみこと)

古くは「鴨河合坐小社神社(かもかわあい(または、ただす)にいますおこそやけのじんじゃ)」と云われ、下鴨神社創建時からあった大変古い社。

賀茂川と高野川が合流する「川が合う」場所にある。で「可愛い」を打ち出した模様(汗)

「女性守護 日本第一美麗神」を看板にかかげる、女性には誠に頼もしい神社。

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右:「女性守護 日本第一美麗神 河合神社」看板に偽りなし!

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キレイ・可愛い・美しい、さまざまな女性の願いが描かれた鏡絵馬。境内休憩処の「かりん美人水」

古来より下鴨神社ではカリンを利用してきたようで、先日紹介した「カリンの庭」のほか、ここではドリンクも用意されている。

花梨(かりん)は果実が生薬、日本薬局方外生薬規格に木瓜(もっか)としてリストアップされていて、薬効は利水作用、鎮咳(のど飴)、鎮痛。

民間療法で果実酒・シロップにしたり、乾燥果実を煎じたりして咳止めや疲労回復に利用するそうだ。調べたら化粧水もあった。

縁結びの御神木 相生社(あいおいのやしろ)

御祭神は産霊神(むすびのかみ)

古代から縁結びの神として知られている。めでたいことを「相生」というのはここから始まった(説明板)

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七不思議のひとつ。連理の賢木。縁結びの御神木。糺(ただす)の森には連理の木が多い。森林浴を兼ねて探すのもよい

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相生社のお参りのしかたガイド。子どもや孫の分も奉納OK(右下) 笑

花も団子も。井上社、別名・御手洗(みたらし)社

御祭神は瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)

葵祭賀茂祭)に先だって、斎王代の御禊(みそぎ)がここの御手洗池で行われる。

盛夏の土用に近づくと御手洗池から清水が湧くとともに、池底から吹き上がる水泡は下鴨の七不思議のひとつ。

その様子をかたどってできたのが みたらし団子

姫さま(斎王、斎王代)だってお腹がへる。その想いが団子をかたどらせたに違いない。

なお、ここでおなかがすいても、みたらし団子のお店はないので、もう少し頑張ってお参りしましょう。

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こんこんと湧く清水。仲睦まじく水みくじをするカップ

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斎王代御禊の儀(葵祭)、足つけ神事(土用の丑の日)、矢取り神事(立秋前夜)

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恋の行方を占う水みくじもある

奥さまの竈(かまど)キッチン&レシピ 大炊殿(公開日に見学可)

*「奧さま」は「お滝さま」「弁天さま」とともに神名と考えています(開物発事)

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趣味と実用のガーデニング 葵の庭・かりんの庭(公開日に見学可)

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加茂みたらし茶屋(大炊殿に店主名で由緒書が展示されていた)

歩き疲れたら、いよいよ、みたらし団子。(冒頭の地図・左上)

大炊殿、葵の庭・かりんの庭を出たら、そのまま西へ。境内を出て車通りを渡ってすぐ(徒歩1分)

お雑煮(京白みそ、すまし)、あべかわ、いそべ巻、ぜんざい、わらび餅、白玉・・・各種あり。

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加茂みたらし茶屋。京都府京都市左京区下鴨松ノ木町53。祇園祭長刀鉾ちまきが柱にかけられている

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高津神社(3) 道頓堀・上方落語の舞台 にぎわいの神社 高津宮 夏祭り 2019

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高津神社 絵馬堂 高津の富

高津神社夏祭り2019年7月18日(木曜日)本宮祭 午前10時~(宵宮17日終了)

● 奉納落語会、午後6時半開場、開演7時(高津の富亭)

● 奉納舞台、午後6時~

● 大阪メトロ、谷町九丁目下車・徒歩5分(千日前通り北側)、日本橋下車・徒歩10分

● 大阪市中央区高津一丁目

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7月18日(木曜日) 本宮祭、午前10時~(本日) 奉納落語会、午後6時半開場、開演7時 奉納舞台、午後6時~

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道頓堀 【地図・写真1の方向】撮影地から西の方にグリコ看板やドンキホーテ観覧車がある心斎橋筋の中心【地図・写真2の方向】ここで道頓堀は北に曲がり東横堀川に、淀川(大川)につながる【地図は南北逆注意】

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夏祭りの装い(宵宮)近くのミナミ・天下の台所と言われた黒門市場(くろもんいちば)の提灯

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2019年 7月17日宵宮。獅子に頭をかじってもらう

上方古典落語の舞台

「高津の富」、「高倉狐(たかくらきつね)」、「崇徳院(すとくいん)」の噺の舞台になった。

高津の富 高津さんが神社修復のための資金集めに行っていた「富くじ」を題材にした噺。

漬物石の代わりに千両箱を使うなどとオオボラを吹いて、一晩の宿賃を踏み倒そうとしたシケた男が、なけなしの一分の金で千両を当ててしまった顛末話。(江戸落語では宿屋の富、湯島天神が舞台になった)

個人的に、藤山寛美(ふじやまかんび)さんの松竹新喜劇、道頓堀の中座で観た「リクエスト芝居」での思い出が強い。ずら~と書かれた100ほどの演目の中から、観客のリクエストにこたえて即興で演じるというトンデモ企画だったが、リクエストが十中八九「高津の富くじ」。当時小学生だった私は親父の会社の慰労会に参加する形で、年に一度連れて行ってもらっていたが、毎年、高津の富を観ていた記憶。今から思えば寛美さん、相当のヤリ手でした笑。藤山直美さんのお父上。

高倉狐 境内にある高倉稲荷神社あたりが舞台。美人に化けたお母ちゃんキツネを、おっさんが騙して湯豆腐を食い逃げする。後日、騙した仕返しが怖いと、おっさんはキツネ宅(巣穴)を訪れ、お詫びのまんじゅうを置いて帰るが・・・(江戸落語では王子の狐)

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高倉稲荷神社、御祭神は宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)。多数の狐がいる。お供えが「まんじゅう」なら追い返されるかも知れない

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右写真。もうひとつ、お稲荷さんが居られる。安井稲荷神社

崇徳院 若旦那が高津さん参り。茶店で休んでいると「歳は十七八、水もしたたるような」美しい娘と出会う。お互い一目ぼれ。娘は「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の・・・」と上の句を紙に書いて渡す。その後、どこの誰かわからない娘を、若旦那に変わり探す熊五郎。学がないのとやけくそで、街中を「せをはやみ~せをはやみ~」と大声でふれまわる。オチは下の句。(江戸落語では皿屋、花見扇)

高津の富亭と五代目・桂文枝之碑

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左:五代目桂文枝、右:高津の富亭

五代目(先代)の桂文枝之碑には「平成十七年一月十日、高津宮での「高津の富」を最後に三月十日鬼籍に入る」とある。夕陽が沈む西の方を向いている。

夕陽が美しいところで芸を尽くしての去り様が、このお人にも似て粋(いき)でおますな。

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そばにある「高津の富亭」は桂一門、特に若手の披露の場になっており定期的に寄席が開かれる。

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京都 祇園祭の歩き方 シルクロードの極東から、古代の国際感覚を想う

京都祇園 八坂神社のお祭り

祇園祭貞観11年(869)に始まり、以来、千百年五十年続く八坂神社のお祭り。

貞観」と云えば、東日本大震災で知られるようになった貞観地震(じょうがんじしん)が869年7月。

列島を襲った巨大災害が契機になったと想像でき、そういう意味では最初の頃は「祀り」というべきものだった。

祇園祭 概要 | 八坂神社

【抜粋】

貞観年中(859~877)京の都に疫病が流行したとき、勅を奉じて神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を迎えて祭り、洛中の男児祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由来し、平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。

始まりは自然災害直後の切実な「祀り」

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八坂神社 祇園祭宵宮奉納 石見神楽 7月16日(終了)須佐之男命(スサノオノミコト)の力強さは天変地異から人々を守る

六十六本の鉾を憑代(よりしろ)として列島の神々(祇園)を都に緊急招集して平安を祈った。

「鉾」は神様がやって来た時の目印、「山」は神様の宿る所、神籠(ひもろぎ)の意味があると考えられる。

ひとつひとつが臨時の神社という考え方だ。

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上賀茂神社の立砂は一種の神籠で神様が降臨する憑代。祇園祭の山には神籠に見立てた山が盛られている

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左:太子山(たいしやま)、右: 郭巨山(かっきょやま)。いずれも飾り付け前。山が盛られた神籠

古代の万博パレード

平安時代になって、当時の世界の様々な文物や芸能要素がそれぞれの山鉾に加えられ、パレード的な「祭り」に変化し、現代まで続いてきた。

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京都は、シルクロードの果て「極東(Far East)」の都

意外かも知れないが、シルクロードの終わりが平安京平安京の前は平城京だった。

大阪・上町半島(現在の上町台地)の四天王寺難波宮は、海外からの来訪者を迎える迎賓機能になった。

極東(きょくとう)という言葉は「Far East」に由来する。ヨーロッパ・中東からのパースペクティブ(見通し)で、ユーラシア大陸という巨大な視野でのとらえ方だ。

教育の問題もあり、私を含む日本人にはそういう視野が不足しがちだが、「向こう側」から見れば日本はユーラシア大陸の端で繋がっている感覚。

日本海は大陸の大きさから見れば、ドーバー海峡のようなものだろうか。

弥生後期~古墳~奈良時代シルクロードを通じて様々な民族・人種の人々が「極東」にやってきて少しずつ定住してきた。中には有力な氏族になる者たちもいた。

秦氏(はたうじ)の子孫、伎楽で著名な東儀氏の先代だったか・・・記憶が曖昧であるが「自分たちの祖先はシルクロードからやって来た」という風なことを言っておられるのを読んだことがある。(声楽家東儀秀樹さんの家系)

世界の最新の文物を観て楽しむという「古代の万博精神」は望郷の想いも混ざっていたのだろうか。

日本という国はさまざまな影響を海外から受けてきたが、器用に習合させながら「取り込んだ」

例えば七福神が、ヒンズー・道教・出雲の信仰を習合させながら日本の土着信仰になったように。

日本の古代では「それが当たり前」という考え方で、祇園祭を見物すると、古代の日本とインターナショナルが混ざり合った不思議な雰囲気を、より楽しく深く味わえるのではないだろうか。

近くで感じる祇園祭

混雑する中、規制され、遠くからあっという間に流れて行く山鉾巡行を観るだけではなく、前祭宵山(宵々山)や巡行日の朝から鉾町を訪ね歩き「近くで感じる」だけでも思い出になること、請け合いだ。

ここ2日の記事がその参考になればと思う。人それぞれに新たな発見があるかも知れない。

もちろん祇園祭は切実な祈りから始まったことも、自然災害の多い列島に住んでいる者として忘れてはならないことだ。

*****

今年はすべての説明板を忘れずに撮影した。必ずヒントがあると考えている(公式サイトでも同じものが読めます)

いくつかこれは!?というものを見つけた。これからの謎解きに役に立つと思う。

下鴨神社賀茂御祖神社)でもそうだが、特に京都は要注意、見逃してはならない。

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京都 祇園祭 2019 山鉾 アート巡り(2) 前祭(さきまつり)巡行順(11基・全23)

2019年京都祇園祭山鉾巡行は7月17日(水曜日)平日

昨日の続きです。全23基のうち11基の写真です。

タペストリは、2016年の巡行当日のものも紹介しています。

鶏鉾はトロイの物語を描いていますが、兵士のカブトの羽が、トサカに似てるので「鶏」になりました笑

船鉾は海賊船のように見えます。骸骨の海賊マークらしきものが描かれてますので探してみてください。

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2019年 7月15日 霰天神山 鉾町町屋

13 鶏鉾

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2019年 7月15日

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鶏鉾 2016年7月 山鉾巡行 当日

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2019年 7月15日

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鶏鉾 トロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ国の重要文化財に指定されている

14 白楽天

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

15 四条傘鉾

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2019年 7月15日

16 孟宗山

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日 霰天神山 鉾町町屋

17 月鉾

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

18 山伏山

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2019年 7月15日

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19 占出山

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

20 霰天神山

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

21 放下鉾

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2019年 7月15日

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放下鉾 2016年7月 山鉾巡行 当日

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2019年 7月15日

22 岩戸山

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2019年 7月15日

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岩戸山 2016年7月 山鉾巡行 当日

23 船鉾

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2019年 7月15日

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船鉾 2016年7月 山鉾巡行 当日

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船鉾 2016年7月 山鉾巡行 当日

kekio2000(id:kekio2000)さんにサービス一枚

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海賊帽でしょうか?想像にお任せします笑。龍は海の表現ですね

【この記事前半】京都 祇園祭 アート巡り 2019 (1)

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京都 祇園祭 2019 山鉾 アート巡り(1) 前祭(さきまつり)巡行順(12基・全23)

※お詫び。当初、「イサクに水を供するリベカの図」を長刀鉾で紹介していましたが函谷鉾の誤りでした(7月16日)

2019年京都祇園祭山鉾巡行(前祭さきまつり)は7月17日(水曜日)平日

巡行に向けて、昨日(7月14日)から各鉾町で山鉾が建ち始めました。

今年の巡行順に山鉾を紹介します。

前祭では23基の山鉾が巡行しますが、本日は前半12基を紹介します。

残り11基は明日アップします。

2016年・巡行当日朝の写真もあるものはアップしました(特に鉾は当日でないと気軽に見られないものがありますため)

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2019年 7月15日 占出山 鉾町町屋

1 長刀鉾

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2019年 7月15日

あまりの人混みで説明板撮影できず。以下公式サイトよりコピペ

鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。この鉾は古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭にたち、生稚児の乗るのも今ではこの鉾だけである。真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っている。屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779~1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。 前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了した。

2 蟷螂山(山一番)

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

3 芦刈山

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

4 木賊

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

5 函谷鉾

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2019年 7月15日。タペストリー(エジプト天空図、見送)は函谷鉾公式サイトより拝借

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函谷鉾 イサクに水を供するリベカの図(前懸)。16世紀のベルギーで織られたタペストリーで重要文化財。(以下公式より)原品は十六世紀末ベルギー製、旧約聖書創世紀第二十四章の説話より取材したアブラハムの子「イサクの嫁選びの図」図柄は娘リベカからアブラハム家の老僕エリアザルが所望の水を受けるところ、右上には騎馬に乗ったイサクの姿が見える(2016年7月 山鉾巡行 当日)

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函谷鉾 2016年7月 山鉾巡行 当日

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

6 郭巨山

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

7 綾傘鉾

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2019年 7月15日

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綾傘鉾 2016年7月 山鉾巡行 当日

8 伯牙山 2019年

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

9 菊水鉾

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

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菊水鉾 2016年7月 山鉾巡行 当日

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菊水鉾 2016年7月 山鉾巡行 当日

10 油天神山

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

11 太子山

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

12 保昌山

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2019年 7月15日

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2019年 7月15日

続きはこちら

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下鴨神社(3)賀茂御祖神社・新(真?) 七不思議

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説明を文字起こししました。記事末

下鴨神社の七不思議(南から。下の境内図の番号・名称をふってます)

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赤椿

表参道沿い。ツバキの花の見ごろは長い。9~4月。落葉樹が多い糺の森の椿が咲くと森全体が赤く染まるように見える不思議

切芝

表参道沿い・中央(ヘソ)あたり。古代からの祭場。葵祭に先立つ御蔭祭ではここで切芝神事が行われる。東遊(あずまあそび)と言われる風俗舞が舞われる

烏の縄手(からすのなわて)

切芝のもう少し北側一帯。南口鳥居前・手水舎の東側。御祭神・賀茂健角身命の別名はヤタカラス。ナワテとは狭い道のこと。ヤタカラスの神へのお参り道のことを言うらしい

船島

案内板・謎の説明○○○?舟形のエリア。神域で普段・一般は入れないため?泉川と奈良の小川が合流する辺りに船型をした船ヶ島があり奈良社・奈良殿神地(ならのやしろ・ならどののかみのにわ)と言われている

連理の賢木

相生社(No.6、縁結びの社と木)。二本の木が一つに引っ付いた縁結びの御神木

御手洗池の水泡

井上社(No.7、楼門くぐって東側)。御手洗池の底から水玉状の泡が浮き上がってくる。その様子から、みたらし団子ができたそうな

何でも柊(ひいらぎ)

出雲井於神社(いずもいのへの)、通称・比良木社(No.25、楼門内西南)。厄払いを祈願して木を植えると、どんな木でも柊の葉のようにギザギザになるそうな

新・七不思議(古代妄想ありバージョン)★~★★★

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

おおよそこういう順番で記事を書いてゆきたいという感じです(~8月)

状況に応じて、適当に順番やテーマが変わります(笑)

テーマによって住吉さんシリーズと同じく境外に出て妄想するかも知れません。

リンクが貼ってあるのは記事があるもの。各クリックしてご覧ください。

● どうみても磐座
● 女性のお好みご祈願コース
● 後ろの正面だぁれ
● 立て札のなぞなぞ
● 京和菓子の話(お茶請け回)
● 秘境・奈良の孤島
● ゆく河の流れ
賀茂御祖神社下鴨神社)説明

平安時代以前から存在する京都で最も古い神社の一つで平成六年(1994年)に世界文化遺産に登録された。

上賀茂神社の祭神である賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)の母の玉依媛命(たまよりひめのみこと)と玉依媛命の父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀ることから、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、上賀茂神社ともに賀茂社と称される。 平安遷都(794年)後は王城の守護神として朝廷をはじめ公家や武家の崇敬を集め弘仁元年(894年)以降、約四百年にわたり、斎院(斎王の御所)が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。

江戸末期の文久三年(1863年)に造替された東本殿と西本殿が国宝に指定されているほか、多くの社殿が重要文化財に指定されている。 また十二万四千平方メートル(東京ドームの約三倍)に及ぶ境内の自然林は「糺の森(ただすのもり)」として市民に親しまれ、平安京以前の原生林を残す貴重な森林として国の史跡に指定されている。 毎年五月十五日には、京都三大祭の一つである葵祭が行われて、御所から当神社を経て上賀茂神社まで向かう列が、都大路に王朝絵巻を繰り広げる。また、五月三日の流鏑馬神事や七月の土用の丑の日に行われる御手洗祭(みたらしまつり)などもよく知られている。京都市

信濃と大阪・上町台地(3)物部守屋の影 諏訪大社・古代妄想ガイド★★

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諏訪大社上社本宮、上社前宮、守屋神社、守屋神社奥宮

私の古代への興味の原点は、四天王寺金堂の鳥居と物部守屋祠(ほこら)の位置関係だった。

くわしくはこちら(鷹の止まり木、怨霊のキツツキ伝説)をご覧いただくとして。

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四天王寺金堂の東側の鳥居は、物部守屋祠を向いている

丁未(ていび)の乱(587年)で聖徳太子軍は、今の大阪府八尾市あたりに拠点を置き権勢を極めた(河内期の)物部宗家・物部守屋を滅ぼした。

ここに約九百年の間、古代王権に影響を与え続けた物部氏は実質的に滅び、その後、日本史から名が消えることになった。

ゆえに四天王寺さんや南大阪周辺に物部氏関連の遺跡遺構・伝聞が残るのは理解できる。

しかしなぜそれが信濃にもあるのか、正直まだよくわからない。

例えば、善光寺・守屋柱、守屋の名のついた神社(守屋神社)と山(守屋山)。

善光寺地下の胎内巡りは暗闇の中を手探りで進む怖さで有名だが、守屋の首が埋まっているという守屋柱の周囲を一周するという説がある。

そのような話が出るぐらいに物部守屋の存在感は大きい。

ただ最初の手掛かりは残されている

本田善光が「難波の堀江」から持ち帰った(602年)阿弥陀如来像が善光寺のご本尊になったという話(水中から突如出現する仏様の話・野沢菜と天王寺蕪)は、何らかの史実を元にした「ウラ」のある話だと考えられる。

(ちなみにこの話、私が「難波の堀江」を四天王寺あたりと推定する根拠でもある)

この時から物部守屋の魂は信濃に行き、その鎮魂のために守屋山の名が付けられ、守屋神社が置かれたと考えるのが自然である。

なぜなら最初に阿弥陀如来像が安置されたのは善光の自宅、現在の伊那市にある元善光寺で、守屋山も守屋神社も伊那市で近くだ。

諏訪大社上社・本宮と春宮

そして元善光寺から望む守屋山(守屋神社)を挟んで反対側の諏訪湖方面に、諏訪大社上社・本宮と前宮がある(冒頭地図)

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諏訪大社上社前宮に設置された地元民の有志が立てた案内板。一番上に守屋山が描かれている

始めこの案内板を見て、本殿裏から守屋山らしき山を撮影したつもりでいたが、そんなに近くの山でなかったことを後で調べて知った(笑)

境内から見えない守屋山を最上に描いているのは、いくつかの古墳(常坊主、山の神)を越えて、その奥にある守屋山を、地元では「特別な山、御神体」とらえている可能性が高い。

そして、それを神社が放任しているのは「ほのめかし」だ。

前宮・謎の大祝(おおほおり)と神原(ごうばら)

大祝は「おおほうり」と読み「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体とする」と伝えられる、簡単に言えば神職である。相当に神聖視された一族だったようだ。

大祝の住んでいた場所が、案内板の立っているあたり、神原(ごうばら)である。

諏訪大社四宮の大祝とされているが、原初はこの前宮を拠点にして、元宮を含む、いわゆる「男神諏訪大社の上社が本地であったと考えている。

下社「女神」は「元」出雲だからだ。

そして上社は守屋山を拝んでいたが、公には秘密にされたと考えた。

この古代妄想にはもう少し話がある。次回に続く。(次の週末)

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上社前宮は、他の諏訪大社の宮とずいぶん印象が異なり、造りが自然のままというか、石段がなく、緩やかな山道のような坂を上がってゆく構造だ。

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

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百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 決定 これからが本番

失われた古代遺跡(百舌鳥古墳群

世界遺産登録を機に、堺市博物館・特別展の見学に訪れたが、あらためて驚いたのが、百舌鳥古墳群でも相当な数の古墳が「土地開発」によって失われていることだった。

少し見づらいかも知れないが、写真の白ヌキになっているのがそうだ。履中天皇陵古墳の南側の「7」など、かなり大きなものだ。

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失われた古墳の地図(百舌鳥古墳群堺市博物館・特別展より

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グーグル地図で道路の形から古墳跡ということが、かろうじてわかる。跡の一部は公園になっていた

古墳造営は古代の国土開発のこん跡

この日は仁徳天皇陵の後、大阪府立狭山池博物館に向かった。

狭山池は推古天皇期、聖徳太子が造営した日本最初の人工の溜め池で、江戸期に至るまで日本史の節目節目で大きな増改修を繰り返してきた「産業土木遺跡」である。

溜め池底部から出土した木樋の年代測定で、築造が古墳時代の直後(聖徳太子の時代)であることが特定された。

大阪南部の「水田平野化」は百舌鳥・古市古墳群を含む多数の古墳群の形成と表裏一体、古墳時代以降、この広大な地域の「治水」は、民・国ともに切実な問題だった。

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狭山池から四天王寺までの20数キロを展望した模型。多数の溜め池が見られる

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開発に利用された古墳の石棺

博物館の玄関や館内には多数の古墳の石棺が、展示されている。

ただし「古墳」の展示としてではない。狭山池の増改修、具体的には導水管に利用・加工された状態での展示だ。

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玄関、館内に展示されているカットされた石棺

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導水管の模型と説明図

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導水管(石棺)の実物展示

古代から続く開発と保護

特に規模の大きな古墳は沖積地を水田化し、自ら森林化することで保水する「国土開発」と「環境保護」を両立させた優れたシステムだ。

急速にクニが大きくなり始めた時代、石棺が水田稲作の発展に再利用されたことは、埋葬された者(王)にとってはある意味、本望であったのかも知れない。

ただ戦後の経済発展に伴う「土地開発」は、そんな悠長なものではなく、埋葬者にとっても環境破壊だ。

この度の世界遺産の認定で、この地域の古墳群は維持されることになったが、今後は「観光開発」の課題が生まれる。

これからが本番だ。

観光ニーズと兼ね合う中で、地元の人達や行政の「古代の記憶」を残すための不断で長い努力が始まる。

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堺市博物館・特別展で展示されている平地和広画伯の古墳絵。イタスケ古墳と孫太夫古墳

生魂国神社 2019 夏祭り 更新(写真追加)しました

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下鴨神社(2)賀茂御祖神社・葵の庭は薬草園、水ごしらへ場は磐座、そして「後ろの正面」

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水ごしらえ場と御井(みい)ここで元旦の若水神事が行われる。左側の建物は大炊殿(おおいどの)

若水神事(七五三餅の解説から)

元旦、午前六時から斎行される歳旦祭(さいたんさい)において、その年に初めて大炊殿横の井戸から汲み上げられた若水が東西御本宮に奉(たてまつ)られる。その後。七五三餅が奉られ、上に置かれた土器に屠蘇酒が注がれる。そして、新年一年間の御皇室の御安泰と国家の安寧と隆昌、国民の平安と御多幸が祈願される

※七五三餅は下鴨神社(1)をご覧ください

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御井重要文化財の井戸はここだけ)

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かりんの庭(葵の庭)とカツラの木(葉はハート形、フタバアオイに似ているので葵祭では代用するそうだ。話はそれるが「愛染かつら」もカツラがモチーフ)

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葵の庭(かりんの庭)は薬草園。古代のガーデニング

賀茂御祖神社の案内板はいろいろな手掛かりが書かれていて面白い。

●  水ごしらへ場の岩が磐座(いわくら)であること

●  「橋、ハシ」と呼ばれていること

● 末刀社(まとのやしろ)の水の神

これらを手掛かりにまた調べることが増えた。

*****

京都最古の神社のひとつ、下鴨神社の「奥の奥」に入れたことは本当にラッキーだった。大炊殿(おおいどの)、葵の庭には、今に繋がる京都の古い記憶が数多く残されていた。 古代、台所仕事を中心にした姫御子の生活は神様への奉仕、神事であったことをあらためて思い起こさせる。

*****

葵の庭は「薬用酒」を造るための薬草園であったことが書かれている。

ただ、斎王(いつきのひめみこ)の平安時代より前、古代には「酒造」も姫御子の仕事だったと考えている自分には貴重な手掛かりだ。

薬用酒(何首鳥、カシュウ)とあわせて、同じ手掛かりは、生根神社大阪市住吉区)でも見つけている。

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本殿を「奥の奥」から見ることができるポジション

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葵の庭から本殿を見る(ここからは撮影可)。左:西側から。右:もう少し奥に回り込んで北西から。ここから先(北から)は撮影自粛

右側の写真から(左の方に)進むと、本殿の北側の土壁に小さな門が開いていて、そこから本殿を拝むことができる。

つまり、本殿を真後ろ・北側から拝める形になっていて、実際、拝まさせていただいたが、これには本当に驚いた。

後にも先にも、神社を 後ろの正面 から拝んだ経験は初だ。

続く。

この後、下鴨神社のことを何回か連番で書きます。この話の続きは、頭を整理してから「まとめ」で書きたいと思います。

お題は「後ろの正面」が誰か?

ですが、もちろん古代妄想MAX★★★にパワーアップする見込みです笑。というか、それぐらい考えないとわからない。さすが京都。一筋縄では行かない

下鴨神社(1)賀茂御祖神社・大炊殿 斎王(いつきのひめみこ)の御所 古代のキッチンと神様のメニュー

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ、下鴨神社世界遺産)。

毎年5月15日、上賀茂神社とともに行われる葵祭(あおいまつり、賀茂祭とも、京都三大祭のひとつ)、斎王代(さいおうだい)で有名だ。

斎王は「いつきのひめみこ」ともいい、かつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王(皇族直系の姫)のこと。斎王代はその斎王の代理という意味で、戦後復活した葵祭の主役だ。斎院とは斎王が居た御所のこと。

賀茂川と高野川が合流する手前のV字帯、古京都の森林が残る「糺の森」(ただすのもり)の中、南北に長い御神域。

広大で南側の河合神社から奥の本殿まで、何回かにわけて紹介しようと考えていたが、

運よく、本殿西側の「大炊殿(おおいどの)」の公開日に出くわし、写真も撮ることができたので、今回は「奥」から始めることにする。(古代妄想なしバージョン)

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大炊殿そばの葵の庭(カリンの庭とも言う)のご神紋のモデル・フタバアオイ

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境内地図の左上(この境内図は南北が圧縮されているので注意)本殿域の西側、葵の庭(カリンの庭とも)一帯が公開

重要文化財・大炊殿(看板文字起し)

新撰(お供え)の御料を煮炊きし、調理をする社殿で大炊所(おおいどころ)とも呼ばれている。入口の土間に竈(おくどさん)があり、中の間はお供えの材料や用具を洗ったり、調理する台所、奥の間は、盛り付けをし、神前へお供えする順に並べておく配膳棚が設けてある、古くはこの社殿ではご飯、餅、ぶと、まがり(お菓子)など穀物類が調理された。お酒は酒殿。魚貝鳥類は贄殿(にえどの)で料理されていたが、文明二年(1470年)六月十日、乱の兵火によって焼失した。その後、大炊殿は、現在の場所に再興された。酒殿は退転。贄殿は、供御所(くごしょ)の一間に充てられた。神社建築のなかでこの種の社殿が現存するのは非常に希で貴重である。(「ぶと」は菓子。餢飳と書く)

開物のポイント

● 竈(かまど)のことを「おくどさん」と読む。「奥」と関係? 竈は龍・亀に通じる

● お酒は酒殿「酒蔵」は姫御子の神社から発展したと考えているがその手掛かりだ

● この種の社殿が現存するのは非常に希で貴重。その通りで伊勢にもあるが一般が見る機会はほとんどない

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葵の庭(カリンの庭)賀茂斎院御所旧跡

*****

大炊殿の内部

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入口土間の竈(おくどさん)と中の間の棚

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棚の中いろいろ(1)比良木大明神はすぐ近くの下鴨境内の通称・比良木社、出雲井於(いずもいのへの)神社のことだろう

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中の間と棚の中いろいろ(2)

葵祭りの神饌(神様に捧げる料理)

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葵祭の神饌。オードブル(初献、右)、メインディッシュ(本膳、中)、デザート(後献、右)

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本膳(メインディッシュ)海の幸・川の幸。刺身や干物の起源

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左:初献(オードブル、食前酒もある)、右:後献(和菓子二種とおこし、かちぐり)和菓子の起源

簡単に調べたことを書いておく。

● (本膳)御最花=おさば=サバの細かな切り身、塩引=鮭、打鮑=干あわびののしたもの、韶陽魚=ごまめ

● (後献)州浜=和菓子、吹上=和菓子、粔籹=おこし、搗栗=かちぐり、杵でついた栗

元旦~七日の七五三餅、御粥祭(1月15日)の神饌

七五三餅の三枚重ねの菱餅は、雛の節句と関係があるのだろうか。

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左:七五三餅(元旦~七日、幣殿の唐戸の東西に奉られる神饌。丸型餅七枚、小判型の長良(通称、牛の舌)五枚、菱形餅三枚、素焼土器)、右:御粥祭(1月15日)の神饌

次回は、大炊殿を囲む「葵の庭、カリンの庭」を詳しく。なんと磐座!

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今日は100本目の記事、「PRO」に変え、ドメイン(zero-position)を取りました。過去記事のフェイスブックのカウントがすべて消え、本当にゼロポジションになってしまった

此道を行く人なしに秋の暮れ 松尾芭蕉翁 最後の道行きと日想観

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松尾芭蕉像(葛飾北斎画)Wikiより

菊の香に くらがり登る 節句かな (はせを翁)

大阪夕陽丘、浮瀬(うかむせ)亭での歌会に、伊賀から奈良を経由して大阪に向かう、病を押しての旅。

(弟子どうしの争いの仲裁もあった)

奈良で一泊の後、竜田川(※1)を超え、暗峠の山道に入ったのは、元禄七年(1695年)九月九日(旧暦)重陽節句の日。「はせを翁」は号。

大阪の東、生駒山、奈良と大阪をつなぐ暗(くらがり)峠。

鞍がひっくり返るほどの急坂であることから鞍返りが転じて少々コワ〜イ地名になったという。

私は何度かウォーキングで峠越えをしたが、2キロ弱に2時間近くかかる急坂の上り下り。いつも目が眩む。

病の身にはひどくきつかっただろう。

※1:竜田川生駒山系の東側に沿って南北に流れる

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左:暗峠の最高所、奈良県大阪府の境。石畳だがこれでも立派な国道308号線。右:「菊の香に」の句碑(大阪側の麓近く)

菊に出て奈良と難波は宵月夜

生駒を超え、ひたすら西に13キロほどで千日前通(せんにちまえどおり)から生玉神社(生国魂神社)に到着。

社の例祭日に間に合わせ、境内で詠んだ句。

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菊に出て奈良と難波は宵月夜 生玉神社境内の句碑(後藤西香 書)

此道を 行く人なしに 秋の暮れ(初稿)

浮瀬亭はあらためて紹介するが、江戸期の文人が集まる大坂の名所(料亭)だった。

芭蕉翁はこの時の句会(九月二十六日)で、最晩年、絶唱の二句を詠んでいる。

そのうちの一句の「初稿」、私は飾りのないこの句が好きだ。

秋の夕暮れ。色づく秋の葉のひとつひとつが強い西日に照らされた一本道(長く伸びた自分の影)

初稿の「この道を」は、句会では「この道や」に推敲された。

たった一文字の変更だが、翁の諦観(ていかん)がより強く表れることになる。

長い旅の道行きが、間もなく尽きることを悟った故か。

「この道や」の道は「俳句の道」とも解釈される。

芭蕉翁は、同年十月十二日、南御堂(御堂筋)の花屋仁左衛門宅で客死する。

*****

西に沈む夕陽を観て観想するのが日想観(にっそうかん)。十一世紀(平安時代)以降の四天王寺さんは修養の本場だった。近くの一心寺(いっしんじ)さんでは法然上人(浄土宗)が思索を深めた。京都・清水寺(舞台)も日想観の場。朝日を拝んだり、星を見上げるのとはまた一味違う体験だ。

*****

現在、大阪星光学院(※2)の敷地内に浮瀬亭跡、芭蕉園が保存されており、学院の卒業生が碑をいくつか建立している。

この句は「所思碑」に刻まれているが、残念ながら写真を残していない。

あらためて学院にお願いして見学の後、他の句碑も含めて紹介したいと思っている。

※2:東大・京大を含む難関大学に毎年相当数の合格者を輩出する西日本でも有数の進学校。物理・数学オリンピック出場者にはほぼ在学生が名を連ねている。今は二十数歳になった子供たちが小学生の頃、校長先生によく声がけしてもらっていたようだが、我が家はまったくご縁がなかった。

信濃と大阪・上町台地(2)御神渡りは厳冬期の七夕 諏訪大社・古代妄想ガイド★★

本記事(信濃と大阪・上町台地シリーズ)は、大阪上町台地住人の私が古代大阪のスコープから古代信濃を覗くように考察しました。古代妄想レベル★★としてご覧ください。

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

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諏訪湖、厳冬期の御神渡り(おみわたり)

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諏訪湖中央構造線のほぼ真上、構造線が落ち込んでくぼんだところに湖ができた。地図の白い矢印、上川から水が流れ込み、天竜川に流れ出す。水の流れから「上社」と「下社」と名付けられたという説もある。御神渡り諏訪湖の南東から北に2本、南西から東に1本の合計3本の「道」でせり上がることが多いという

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真逆の季節ネタだが、諏訪大社といえば「御神渡り(おみわたり)」

温暖化が原因で全面結氷の日数が減り、起こらない年が増えているという。

www.mtlabs.co.jp

地元の方が書かれたと思われるこの紹介記事中、気になる一文。

御神渡り諏訪大社上社の「男神」が下社の「女神」のもとへと渡る恋の道、という言い伝えがあり・・・

厳冬期の七夕 のようなロマンティックな話だが、

おやっ?と思った

先日、大阪・住吉大社の記事(出雲・女神ラインと物部・男神ライン)

kaimotu-hatuji.hatenablog.com

住吉さんについてまとめた中で、私が神社めぐりをするときの「出雲後物部(いずも・のち・もののべ)」考察ルールを紹介した。

住吉さんでは、古い「出雲=女神ライン(南北)」に乗っかるように、それよりも後の「物部=男神ライン(東西)」がクロスしている、

その中で、諏訪大社は、下社が「(元)出雲」上社が「物部」と書いた。

根拠は単純で、下社には神楽殿の大注連縄(おおしめなわ)があったのに、上社にはなかったからだ。

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左:春宮の神楽殿と大注連縄、右:秋宮の神楽殿と大注連縄

遠く離れているが「住吉さんルール」で、下社を「女神=出雲」、上社を「男神=物部」とすると、

御神渡り「恋の道」の話は「出雲後物部」のこん跡と考えることもできる

さらに「モノノベ式の浮島様式に変えられた」であろう点も、下社を(元)出雲と考えた理由だ。

観光用に新造されたものは別にして、正鳥居の前に太鼓橋(そり橋)を置いて様式化するのは、その典型的なやり方だ。

本来、古いイズモ式はイワクラ祭祀(辺津-中津-沖津・奥津)であり、人工的な反り橋や浮島様式による厳密な表現はない。

モノノベ式の反り橋は「天の浮橋、神橋」、その渡った先が「聖域、神島」という考え方。

春宮・秋宮はもとイワクラ祭祀であったが、後にモノノベ式に変えられた可能性を考えている。

ゆえに神楽殿の「大注連縄」で上社とは、発祥が違うことを表現(主張)しているのではないだろうか。

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左上:下社秋宮(鳥居前に太鼓橋)、右上:下社春宮(鳥居の向こうに太鼓橋)、左下:上社元宮(太鼓橋なし)、右下:上社前宮(太鼓橋なし)

春宮には神域最古とされる木造の太鼓橋が、正面鳥居の外、約二百メートルのところに孤立した状態で現存している。

ガイドさんに聞くと「昔の神域がそこまであった」とご説明いただいたが、

そもそも、なぜ、その場所に、そのような最古の建築物が残されているのかという(少し意地悪だったかな?)質問には「確定した答えがないのでわからない」と答えていらっしゃった。

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諏訪大社下社・春宮の太鼓橋。昔はここから先は神域ですべての参拝者はここで下乗下馬した

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パノラマ写真。右が春宮の太鼓橋。左側が鳥居

(続く。次回週末予定)

古代妄想なしバージョンの簡単ガイドはこちら

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百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 決定!【堺市博物館特別展・7月6日~】

世界遺産決定!記念 特別展示

堺市博物館・特別展「百舌鳥古墳群ー巨大墓の時代ー」

令和元年7月6日(土曜)~9月23日(月曜・祝)

www.city.sakai.lg.jp

仁徳天皇陵近くの堺市博物館(大仙公園)では、7月6日(土曜)から特別展が始まりました。

百舌鳥古墳群を中心に、古市古墳群、三島古墳群(大阪)、馬見古墳群(奈良)、西都原古墳群(宮崎)、能美古墳群(石川)の出土品をまとめて展示。

多様な円筒埴輪、人形埴輪、家形埴輪、仁徳天皇陵の実物大原色の石棺レプリカなど、他ではなかなか見ることができない厳選資料が多数展示されています。

地元・堺で活躍中の古墳画伯・平井和広さんの作品も数点展示中。

大山古墳(仁徳天皇陵)平地和広 画伯作

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展示の三枚うち一枚をご本人の了解のもと、撮影・掲載させていただきました

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画伯の世界遺産登録についての解説をご覧いただくため、作品のコメント部分を拡大しました。いつもより淡々とした文に思いますが、その分、よけいに世界遺産登録に対する熱い想い、強い郷土愛を感じます

平地画伯紹介の文字起こし)

「ひらさん」の作家名で活躍中。スケッチは古墳好きが高じて、歴史成分が多め。独特のタッチと綴られた言葉は癒されるだけでなく、何か考えさせられる。堺市博物館近くの、堺市立旭中学校郷土部に在籍していた。全国の古墳や遺跡などの絵を「一日一絵」として描き、まる四年、描いたスケッチは千枚以上になります。

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多様な円筒埴輪、人形埴輪、家形埴輪、仁徳天皇陵の実物大原色の石棺レプリカ。円筒埴輪って底がない「筒」だったんですね。知らなかった!

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左は百舌鳥古墳群(大山古墳など23基)。右は古市古墳群応神天皇陵など26基)

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隣の日本庭園の茶室で抹茶をいただくことができます(平地画伯のお薦め)堺ゆかりの千利休の像

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仁徳天皇陵(大山古墳)

大阪は世界有数の古代都市

しかし、現世御利益・開発優先で来たので、古代の姿を残す遺跡は古墳群ぐらい。でも考えてみれば、巨大古墳は「産業土木遺跡」、国土開発(古代の国造)のシンボル。禅問答みたいですが、とにかく大阪らしい、目出度い話であります。

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生国魂神社 2019年夏祭り 7月11日(木) ~12日(金) 12日12時更新 渡御巡幸(おわたり)

※地元では「生玉」表記も多く、生玉神社と書いているところもあります

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生国魂神社(いくたまじんじゃ、生玉神社、大阪市天王寺区生玉町)夕方(西日)がまぶしい

2019夏祭り情報 渡御(おわたり)は12日午前9:30から

生国魂祭は天神祭の「川の天神」に対し「陸の生国魂」と称される(陸渡御)

本来の鎮座地である大阪城への「渡御(おわたり)」行列が祭礼の中心で12日の本宮に執り行われる。(9:30出発)

行列の中心の「御鳳輦(ごほうれん)」が戦災で焼失し、ながらく行われなかったが2014年から復活した。

大阪城の御旅所跡で「元宮駐輦(もとみやちゅうれん)」の儀式が行なわれる(13:00)

本町橋での「行宮祭」の後、生国魂神社に戻り「還幸祭」(17:00)、獅子舞・金銀神輿・枕太鼓の「お練り」で終了する(~21:30ごろ)

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宵宮7月11日(木)~本宮12日(金) 渡御(おわたり)は12日午前9:30から。谷町筋

7月12日 本宮・渡御(おわたり)巡幸、11時~谷町筋

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16時ごろ。本町橋の行宮に入る神輿、松屋町筋を渡る

7月11日 宵宮、17時~境内

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右、古くなった獅子舞の頭もひそかに参加

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宮入のお祓いを受けてから境内を練り歩く獅子舞

2019夏祭り 枕太鼓 始まりました(7月11日、10時半)

仕事中ですがオフィスの前を通りますもので笑。

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生国魂神社・公式サイト(渡御にともなう交通規制情報あり)

ikutamajinja.jp

生国魂神社・当ブログ記事 まとめ

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

物部氏の十種神宝(とくさのかむだから)」の「生玉」「足玉」の謎に関連して何度か書いている。

詳しくは各(主要)記事をご覧いただくとして、これまでの内容をまとめた。

● 現在の大阪城の地に古代生玉神社。創建は西暦ゼロ年ごろと推定

主神生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ):出雲神(国津神。難波の土着神ではない)

相殿神大物主大神(おおものぬしのおおかみ):出雲神(大国主)と物部祖神の習合★

● 古代は「河内期・物部氏」の「クニウミ」を祈る祭祀施設

● 古代、新天皇即位で行われていた「八十嶋祭」は「クニウミ」祭祀で最も重要

● 海退と沖積で上町半島が成長し祈る方向が変化 原初は古代河内湾(東)⇒北向き方向★

● 秀吉公・大坂城築城により現在地に 都市開発を進めた西向きに変わる(現在の姿)

● 名残として大阪城天守閣への西側・登城口脇に「生国魂神社御旅所跡」

● ほかに「生国魂神社・行宮(あんぐう、御旅所跡)」 秀吉公以降だろう

イザナギイザナミのモデルとなった生島大神足島大神

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【古代生玉神社の姿を想像する】 ※生島足島神社(長野県上田市)を参考にして考えた

kaimotu-hatuji.hatenablog.com