ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【私の古代妄想史②】背広姿のカタリベ【司馬遼太郎エッセイより】

はじめに

私の古代妄想史・2回目。初期の #司馬遼太郎 さんのエッセイに出雲の不思議な話が2つ。司馬さんの先輩T氏は島根(出雲)の名族出身。自分の代で出雲の社家をやめ大阪に出て新聞記者に。#語部 #斎木雲州

目次

本文

司馬遼太郎が考えたこと(1)新潮文庫

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司馬遼太郎が考えたこと1(新潮文庫

新潮文庫のこのシリーズは15巻まで。ひとつひとつは比較的短文(今でいうならブログ風)で、今でも時々、手に取って読みます。

司馬さんは「30才過ぎたら物書きになる」と復員後、大阪で新聞記者となり、産経新聞に勤めながら歴史小説家としてのスタートを切ります。巻1(巻1は1953年10月(30才)~1961年10月(同38才))は、主にそのサラリーマン兼務時代に書かれたものです。

先日来、巻1を参考に、二題ほど、記事を書かせてもらいました。(長髄彦ナガスネヒコ[p127]/穴居人[p154])

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背広姿のカタリベ

この中に出雲に関わる不思議なエッセイが2題。いずれも昭和36年3月の作品。

出雲出身の先輩記者として「生きている出雲王朝(p220~)」ではW氏、「出雲のふしぎ(p249~、昭和36年3月)」ではT氏として登場します。

内容から同一人物で、はじめはW氏でぼかしていたのが、次にはT氏として実名(富氏、とみ)のイニシャルで紹介されています。

このT氏こそが、前回紹介した『出雲と大和のあけぼの』の著者・斎木雲州氏(作家名)と考えて間違いないでしょう。(ご本人も著作で大阪で新聞社に勤めていたことを書かれています。よって以下『T氏』として紹介)

出雲のふしぎより。p251~252)「いや、あんたの国にはおどろいたです」と、私は社の先輩記者である前期の島根県人にその旨を話した。この人の姓はTという。T家は出雲の名族で、神代以来出雲大社の神官をつとめてきたという家柄である。この人の代になって、社家をやめ、大阪に出て新聞社に入った。在勤二十五年でいま地方部長をつとめている職歴からみてすくなくとも精神の異常な人ではないことはたしかだが・・・「(T氏)家系のもっとも極秘に属することは口頭で子々孫々に伝えてきている。伝えるのは一族のなかで代々えらばれてきたカタリベの役目です・・・当代では私がつとめています」

この話を30代の頃に読んでから、たまぁに司馬さんが私が住んでいた夕陽丘あたりを散策されることがあるらしく、万が一バッタリできれば「サワリだけでも直接お聞きしたい」などと、国民的な大作家に対して、とんでもないことを考えていた時期がありました( ´艸`)

もちろん、そんなアホな妄想が叶うことはありませんでしたが、その後二十年近くを経て、インターネットのおかげでT氏(斎木雲州氏)の著作本を読むことができるようになりました。

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出雲と大和のあけぼの -丹後風土記の世界-(斎木雲州、大元出版、絶版)

冨家伝承は異説なのか?

細かなところは、興味ある方は是非、手に取ってお読みいただきそれぞれご判断ください。

生きている出雲王朝より。p241)語部は、W(T)家の場合、一族のうちから、記憶力がつよく、家系に興味をもつ者がすでに幼少のころにえらばれ、当代の語部から長い歳月をかけて、一家の旧辞伝承をこまかく語り伝えられるというのである。ある部分は他に洩らしてよく、ある部分は漏らしてはいけない。

当ブログで「出雲伝承」「富家伝承」と説明しているものは基本的に斎木雲州氏の著作によるもので、つまり、漏らしてよい部分を参考にしていることになります。

(前回も書きましたが)『出雲と大和のあけぼの』を含む斎木雲州氏の著作(複数)には、古い時代の事実が流れるように書かれていて、読みこなすには、それなりの予備知識あるいは調べが必要です。

もちろん史実は観る人の立場(角度)また時代によって大きく相違することもありますし、基本的に断片情報ですから、書かれていないことの方が圧倒的に多い(99%以上) のです。

ゆえに時に、出雲伝承を 道しるべ(道祖神 として現地に足を運び、伝えられていることが本当なのか?、ほかに点はあるか?、自分でみつけた点は線として繋がるのか?、を考えることを基本としています。

目の当たりにした驚きの飛鳥時代

今まで、特に驚いたことをふたつほど。

大阪市内に被葬者不明の 茶臼山古墳大阪市天王寺区茶臼山町 があります。斎木氏は若き聖徳太子に影響を与えた日羅(にちら)の墓と(アッサリ)書かれています。その根拠を探すために地元を歩き、もちろん私も含め地元の人でもほとんど知らない日羅の伝承地が、四天王寺の近くにあることを知った時、ほんとうに驚きました。

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有名な 奈良県明日香村の石舞台古墳蘇我馬子の墓?として知られていますが、斎木氏は(アッサリと)聖徳太子のお父上の用明天皇(第31代)の墓と書かれています。これも根拠(点)を探して周辺をくまなく歩き、明日香村の伝承(明日香村の大字に伝わるはなし)も参考にしました。

資料中心で古代を考えていた頃とは、大きく様変わりしました。

今は、用明天皇の墓と考えてほぼ間違いないだろうと考えています。むしろ、考古学的検出(謎のトライアングル遺構)も含めて、現地では出雲伝承に矛盾しない「点」がいくつもあります。

用明天皇(弟)・推古天皇(姉)とも、後に磯長谷(大阪府太子町)に改葬。出雲伝承では都塚古墳は推古天皇陵とは書いていませんが、江戸期の本居宣長推古天皇陵であると考えていました)

ちなみに、石舞台が用明天皇の墓であれば、蘇我馬子の有力な史跡(考古学的に確認されていないのですが)は明日香でもほぼゼロになります。斎木氏は『蘇我氏(三代)は日本書紀で創造された家系で、実在しなかった。』と書いていますが、その点は、私の疑問(古代妄想仮説:蘇我氏はいなかった)に大いに自信を与えてくれています。(続きます。次回近々)

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