ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

ポチっとお願い m(__)m ブログランキング・にほんブログ村へ

大阪夕陽丘

【もし家族が発熱したら】できることは限られているけれど。【念のための新型コロナ感染症対策】

週末、今のタイミングで、もし家族の誰かが発熱したらどうするか?、を家族で話し合った。 家族の誰かが発熱したら ● とりあえず4日の隔離 ● 隔離のため、私の部屋を空けることにした ● 室内に凹凸があるとクリーニングが大変なので、家具や荷物はすべて部…

【このはなさくや姫】姫の名は 梅か桜か 咲くやこの花【高津宮 高津神社 広場の桜と梅園】

このはなさくや姫(木花咲耶姫,、木花之佐久夜毘売) 富士山を御神体とする全国の浅間神社(せんげんじんじや)の御祭神であるほどに、息をのむほどに優美、たいへん美しく、そして、偉大な姫さまだった。 姫さまを木花(このはな)というが、木に咲く花とは…

春のお彼岸 人静か・色鮮やかな四天王寺さん【ブログに書いて断捨離中】

春のお彼岸、四天王寺さん 春分の日。いつもの四天王寺さんはお彼岸の露店で賑わうが、今年は例の件で、出店もなく、人出も少ない。 創健者の聖徳太子の命日は2月22日、弘法大師(空海)は3月21日で、春のお彼岸は聖徳太子さんの月命日、お大師さんの祥月命…

近世・江戸期に盛んだった古代大阪のイメージ『浪速古図』の世界

以前紹介した鵲森宮(かささぎもりのみや、森之宮神社)の宮司さんに見せていただいた古地図。 いろいろ調べていて、浪速(浪華、難波)古地図についてわかったことを、整理がてらに書いておこうと思う。 www.zero-position.com 先日、見せていただいたもの…

【浄春寺】木蓮 モクレン の花【天王寺七坂・口縄坂 織田作之助 文学碑】

今週のお題「卒業」 口縄坂と織田作之助の文学碑 大阪・夕陽丘、天王寺七坂といわれる名所のひとつ、口縄坂(くちなわざか) 左の写真は昨年 初夏 撮影 口縄坂 織田作之助 文学碑 口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた。私は石段を降りて行きながらも…

【桃花祭 おひな様 御朱印】大阪道修町 江戸期から薬の街に鎮座する少彦名神社【神虎】

少彦名神社(大阪市中央区道修町) 少彦名神社 御祭神、ご由緒(文字起こし) 御祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)日本医薬の祖神、神農炎帝(しんのうえんてい)中国医薬の祖神 大阪道修町(どしょうまち)は、豊臣時代頃から薬種取引の場として、薬…

【少彦名命 スクナヒコナの神・考】農業、温泉、酒造、裁縫、そして医薬(和方)の神様 ★★

和歌山市加太の淡嶋神社は、人形供養と境内にズラリと並べられた人形が有名だが、 実は、古代の謎を解くカギが数々残されていると考えている。 古代妄想(私)の一番の興味は、御祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと) 淡嶋神社ご由緒(少彦名命の部分。文…

洪庵先生(3)ゼネラリスト教育の原点 明治の人材を育成した『メルティングポット』スタイル

緒方洪庵 木像 適塾 玄関 一階 洪庵先生が適塾を開いた1838年(天保9年)から閉鎖される1868年(明治元年)の30年間に、636名(門人帳・姓名録記載)の塾生が適塾で生活した(門人帳に記載のない塾生も多く、実際は3千名程だったという) 適…

【もうすぐひな祭り】和歌山・淡嶋神社 ひな流し神事と大阪分社・淡嶋明神社 うつろ舟伝承【由緒が似ていて矛盾する謎】

大阪市天王寺区下寺町一丁目の光傳寺さんに、淡嶋明神社(あわしまみょうじんしゃ)が鎮座する。 お寺の中の神社は、明治の神仏分離令(1868年)で多くが寺外に移転したが、少数ながら、寺町には、江戸期以前のこうした姿が残っている。 光傳寺 淡嶋明神…

洪庵先生(2)私利を捨て種痘(天然痘予防)事業にまい進 広がったもうひとつのたいまつ【除痘館記念資料室】

1796年、イギリスのエドワード・ジェンナーは、牛痘(ぎゅうとう)に一度感染した乳しぼりの女性たちが、天然痘にかからない、かかっても軽症で治癒するという言い伝えから、牛痘ウイルス株(かさぶた)を皮膚に接種する安全性の高い牛痘接種法(いわゆ…

洪庵先生(1)自分の火を弟子たちの一人一人に遷し、輝いたたいまつ【大坂、北船場・適塾】

世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない。ここでは、特に美しい生がいを送った人について語りたい。緒方洪庵のことである。 で、始まる司馬遼太郎さんの『洪庵のたいまつ』。小学5年生の国語教科書(1995年)向けに書かれたものを、一部交え…

【真田山陸軍墓地】日本近代史 墓碑が整然と並ぶ 心静かにお参りする所

先日紹介した 三光神社 の真田幸村像と抜け穴跡がある所から石段を上がって行くと、真田山陸軍墓地がある。 三光神社そばの石段を上がって行くと真田山陸軍墓地 真田山陸軍墓地 説明板 真田山陸軍墓地 説明板(文字起こし) 本墓地は1869年(明治2年)…

【六文銭 トビラの奥の抜け穴?】三貴子 仁徳天皇 武内宿祢を祀る 三光神社【大阪・真田山】

大阪城・東南の真田山に『真田幸村の抜け穴』と伝えられる石室状の遺構が残る三光神社(さんこうじんじゃ)。 古事記が伝える、イザナミが居た黄泉(よみ)の国から逃げ帰ったイザナギの禊(みそぎ)から生まれた三貴子を御祭神とするところから「三光」と伝…

【幸村公の真田丸そば】グサッと悪縁断ちの寺 鎌八幡 円珠庵【かつての仁徳天皇社跡?】

玉造稲荷神社の南、1キロほど下ったあたりに真田山(さなだやま)がある。 その名の通り、真田幸村が、大坂冬の陣で大阪城南側の弱点を補うために構築した『真田丸』跡があるところだ。 真田丸顕彰碑 後ろが大阪明星学園グラウンド その真田丸跡がグラウン…

司馬遼太郎さんと大阪夕陽丘【菜の花の季節に】

興徳寺(大阪市中央区)満開の菜の花 2020年2月11日 真田丸顕彰碑前 司馬遼太郎さん(福田定一、1923年8月7日 - 1996年2月12日、享年72才)は大阪市浪速区塩草(現住所表示)で生まれた。 脚気(かっけ)の療養のため、竹内街道そばのお母様の実家に疎開し、…

【幻の元四天王寺】古代の海と河が接する所 信仰の中心地 森の宮あたり【鵲森宮 古地図 】

鵲森宮(かささぎもりのみや、森の宮神社)の社務所で、宮司さんに話をお聞きしている時、平安後期、鵲森宮が描かれたという古地図を見せていただき、了解の上、撮影させていただいた(上が東、左が北、右が南の地図) 参詣者からよく話を聞かれるので、説明…

【菜の花忌】2月12日は司馬遼太郎さんの命日【二十一世紀に生きる君たちへ】

1996年(平成8年)2月12日、大阪・難波宮(法円坂)に隣接する国立大阪病院(当時)で永眠。 10日深夜、自宅で容態が悪くなり緊急入院、翌々日の8時50分。 72年の生涯を閉じたその日は、司馬さんが愛した花と季節にちなんで「菜の花忌」と呼…

玉祖道・古代河内のウォーターフロント産業から見える「モノノベ経済モデル=ものづくり王国」物部さん考(21)

大阪に住んでいるおかげで、古代を考えるときは古地図を確認するクセがついている。 現在の日本の沿岸部平野は、例外なく、縄文晩期~弥生時代に海抜が下がる「海退」と、河川が運ぶ土砂の堆積(沖積)でできた「新しい国土」で、ここを押さえておかないと、…

【大伴家持】雅な歌人とは別の顔を持つ男 【百人一首 鵲(かささぎ)の詩 考察★★】物部さん考(20)

万葉集の編纂に関わったとされる大伴家持(おおとものやかもち、718年頃~785年)は、三十六歌仙の一人で、小倉百人一首にも名を連ねる。 百人一首 大伴家持 歌人として知られるが、実は、ヤマト朝廷以来の古代豪族、武人の家系で、奈良時代の大伴氏の…

【鵲森宮 森ノ宮神社】聖徳太子 親子が御祭神【物部守屋の本宅があった場所】物部さん考(19)

大阪歴史博物館の最上階では、北側の大阪城から南側の難波宮まで一望できる。 周辺の神社を含めて、説明を入れてみた。 秀吉の大阪城は、玉造稲荷神社あたりまでが三の丸(城の外縁)という壮大な建造物であった。 www.zero-position.com 正面に生駒の山並み…

【河内あるいは難波王朝?】幻の難波宮を再び地上に導いた考古学者・山根徳太郎の執念

難波宮全景 大阪歴史博物館から 1960年代に関西の著名な考古学者・歴史学者が提唱し、1980年代以降、否定的な見解となった『河内王朝』(Wikiより)をご存じだろうか(現在は河内政権というほどのニュアンスでとらえられているのだろうか) 古墳時代…

住𠮷さんあたり(13)大社の東 古社・多米神社之跡【苗見神社、種貸神社】古代豪族・多米連

ひさしぶりに大阪歴史博物館(大阪市中央区)に見学に行ったが、ここでブログを書くようになって、ひとつひとつ展示物を注意深く見るようになった。 大阪市内・神社仏閣の縁起物(絵馬や土人形)を展示しているコーナーを見て回っていて足が止まる。 種貸(…

【大阪市内 道中の小社】近松門左衛門墓跡そばの楠木大神、玉造稲荷門前の白光大神(榎木大明神)

大阪市内(中央区)の道中の社を紹介。ほかにもあるが、いわれや由緒(縁起)を確認したものから。 楠木大神(くすのきさん)大阪市中央区谷町7丁目1−25 「くすのき通」と云われる東西の道が、ちょうど南北の谷町筋に交差するところにあるのが楠木大神。…

八尾市立歴史民俗資料館・所蔵【ヒスイ製の鏃(ぞく)】世界で2品しかない珍品【国石 ヒスイの古代史(翡翠)(14)】

玉祖(たまのおや)神社にお参りする前に、麓の八尾市立歴史民俗資料館にお伺いし、ヒスイ勾玉について丁寧に教えていただいた。 八尾市立歴史民俗資料館 収穫のひとつをご覧いただこう。残念ながら資料写真だけ。現在、実物は展示されていない。 写真の下段…

摂州住吉宮地全図の謎を追う(3)【開口神社 珍しい三つ茄紋 通称 大寺さん】住𠮷さんあたり(12)

前回記事(摂州住吉宮地全図(1827年)に描かれた住吉さん-仁徳陵、南北ラインの謎を探訪) www.zero-position.com 今回は 方違神社 の西、約1キロに鎮座する開口神社(あぐちじんじゃ)の紹介(大阪府堺市堺区甲斐町東2丁1-29) 方違明神社と三村明神社(…

摂州住吉宮地全図の謎を追う(2)【住吉大社と仁徳天皇陵を結ぶ南北ラインの謎】住𠮷さんあたり(11)

繰り返しの内容になると思うがお許しいただきたい。頭の整理回。 前回まで、話が少し飛躍し過ぎていたかも知れない。 南北の直線ライン上に奥の天神(生根神社)-石舞台-神主館(行宮跡)が並ぶ 昨年の暮れ、住吉さんにお参り中に出会ったお爺さんにいただ…

【阪堺電車】えびす町 停留場 長い歴史に幕【2020年1月31日で閉鎖】

三連休の初日、生駒の山腹でアップダウンのところを半日以上歩いてさすがに足腰が。(´▽`) www.zero-position.com 今朝は、百舌鳥古墳群(堺市)あたりまで早朝ウォーキングして、古代妄想リサーチするつもりだったが、歩くのが面倒になり、阪堺電車(はんか…

生駒山腹 大阪平野を一望する玉祖神社 長鳴鶏(天然記念物)と見ごろのスイセン【国石 ヒスイの古代史(翡翠)(12)玉祖道】

前回記事 www.zero-position.com 古代勾玉の道・玉祖道(たまのおやみち) 玉祖道(俊徳街道、十三街道) 大阪・玉造(玉造稲荷神社)と、八尾市神立の玉祖神社(たまのおやじんじゃ)を結ぶ街道があり、玉祖道と呼ばれた。 玉祖道は、俊徳道(しゅんとくみ…

大阪 今宮戎神社 十日えびす(えべっさん 2020)福娘と福笹 🎵商売繁盛(はんじょ)で笹もって来い。

今宮戎神社 宵えびす 南の鳥居(入口)、拝殿の方 拝殿のお賽銭場 投げ込まれたお賽銭 熊手でかき集める 福笹を頂きお好みの縁起物を結ぶ 福娘さんが結んでくださる 縁起物は結構いい初穂料でございます(´▽`) Yes!ラッキーガール 笑顔ありがとうございます…

【玉造稲荷神社】弥生・古墳時代の玉作、丁未の乱の戦場、豊臣・徳川期は大坂城の鎮守 【時の地層】

玉造稲荷神社 鳥居と本殿 向こうが北で大阪城方面 玉造稲荷神社の長い歴史をご由緒にあわせて解説。 玉造稲荷神社・ご由緒(文字起こし。色文字部分) 古代勾玉作りの難波玉作部(なにわたまつくりべ)が居住していた地で、現在の(大阪)玉造の地名もこれに…

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村