三種の神器
京都 #下鴨神社 #七不思議 のひとつとして伝えられる #烏の縄手 は古代からの暗号。古代 #鴨族(賀茂家)の歴史において #ヤタガラス は豊穣を祈る信仰の対象であったようです #上賀茂 #藤原京 #生駒 目次 下鴨神社 烏の縄手 上賀茂のヤタガラスと縄手地名 …
三連休最終日、15日まで開催中の #橿原考古学研究所付属博物館 #ホケノ山古墳 展を見学。出展史料に #大神神社 所蔵の #内行花文鏡(#太陽紋鏡)の破片も。私には #ヤマト創世記 の古代妄想を繫ぐ「幻の」銅鏡です 目次 ホケノ山古墳〜ヤマト王権の成立へ 展…
昨夕は全国的に雷雨が発生していた模様。夕方ウォーキングで雷。光る夜空を眺めていて #高鴨神社(奈良県御所市鴨神) 宮司さんが #鴨族 に言及されていたことを思い出しました #稲妻 #宮沢賢治 目次 龍神さま 火の鳥 花火 稲作弥生時代の雷利用法 本文 夕方…
はじめに 古墳時代の #鏡作郷 の中心地だったと考えられる #鏡作坐天照御魂神社。御神宝は #三神二獣鏡(#三角縁神獣鏡 様式)。三神と二神獣が描かれたこの銅鏡には他に #笠松形 といわれる紋様が描かれています 目次 鏡作郷(かがみつくりのさと)と倭笠縫…
はじめに 古代 #笠縫 を追いかけるにおいて #鏡作(#銅鏡)との関係性は深いと考えており、その流れで #鏡作坐天照御魂神社(奈良県磯城郡田原本町)を参拝。一回目は神社と境内の紹介 #倭笠縫邑 #八咫鏡 目次 鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまて…
はじめに 三輪山 #狭井神社 周辺には #大神神社 摂社 #磐座神社 に代表される #辺津磐座(群)が点在。#山ノ神遺跡 からは #三輪山の古代酒造 に関連する #土製模造品 の他 #子持勾玉 が出土 目次 山ノ神遺跡への道 山ノ神遺跡 磐座 山ノ神遺跡の出土物 本文…
はじめに 先日紹介した #穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)の続き。三神社の遷座の歴史を経て現在に至りますが #三神殿 の情報を表にまとめていてそれぞれの御神体が「鏡」「勾玉」「剣」であることに気がつきました #三種の神器 目次 穴師…
はじめに 三輪から伊勢へ。#豊鍬入姫(とよすきいりひめ)と #倭姫(やまとひめ)。二人の #姫巫女 の #元伊勢の旅 を振り返ります。#八咫鏡 #御杖代 #大和姫命世記 目次 豊鍬入姫(とよすきいりひめ)元伊勢の旅 倭姫(やまとひめ)元伊勢の旅 アラハバキ解…
はじめに 奈良市の #倭文神社(2回目)。例祭では大蛇に見立てた #すすんぼ を燃やします。#大蛇伝説 #蛇塚神社 などヘビにまつわる話の多い神社。#倭文氏 は #神衣 の織部で、もめ事を仲立ちするのが得意な一族だったと伝えられます。タテ糸とヨコ糸を綴る…
まとめ 物部氏、忌部氏は古代王朝で祭祀を行う一族で、それぞれ玉作の職業集団を有していました。物部系の玉祖連は400年代の難波と河内、忌部系の玉作集団は500年前後のヤマトで、活動のピーク期とエリアは異なります 目次 難波玉作部は物部★★ ヤマト曽我の…
まとめ 皇位継承の激しい争いは勝者と敗者を生みました。歴史の舞台から静かに消えてゆく敗者。#記紀 に登場しながら消えて行く #ツクヨミ(#月読)のイメージに重なります。鎮めのツールとしての#八尺瓊勾玉 を考察 目次 御所の玉(月読)、後宮の鏡(天照…
まとめ 敏達天皇の和風諡号は #渟中倉太珠敷天皇 ヒスイ大玉の宮にすむ天皇という意味。渟中倉太珠(ぬなくらのふとたま)が #八尺瓊勾玉 であるなら #古墳時代末期 の #古代難波 で造られた可能性も? #五条宮 #難波玉作部 #難波祝津宮 目次 八尺瓊勾玉(や…
まとめ 黄泉の国から脱出した#イザナギ が川でミソギをしたときに生まれたのが #アマテラス(天照) #スサノオ(素戔嗚、須佐之男) #ツクヨミ(月読)の #三貴子。それぞれに銅鏡・鉄剣・勾玉に対応します #三種の神器 目次 日本神話とは 禊祓と三貴子(み…
三種の神器(いらすとや、より) まとめ 銅(精錬)・鉄(#たたら)・ヒスイ(石器の精密加工)。材質・技法が異なるモノ。それらがセットになった #三種の神器。#ものづくり日本 の歴史を表現しているのかも知れません #八咫鏡 #草薙剣 #八尺瓊勾玉 目次 三…
昨年(2019年)10月、紅葉が始まる少し前、奈良県・葛城(かつらぎ)市、大和盆地の西側、葛城山の麓の丘に鎮座する葛木坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづちのじんじゃ)にお参りしました。 笛吹神社の丘から東の大和三山を望む(国見の視点) 地元…
前回記事 www.zero-position.com 古代勾玉の道・玉祖道(たまのおやみち) 玉祖道(俊徳街道、十三街道) 大阪・玉造(玉造稲荷神社)と、八尾市神立の玉祖神社(たまのおやじんじゃ)を結ぶ街道があり、玉祖道と呼ばれた。 玉祖道は、俊徳道(しゅんとくみ…
いつもご覧いただきありがとうごさいます。 こちらでブログを始めて72日目。記事数はこれを入れて90本。読者登録いただいている方、246名。1日あたりのプレビュー数は平均で100ちょい。当ブログ業界で言うところの何とか砲ナシ というところであります。 特…
熱田神宮・西門 東門・西門・南門がある。早朝、西門(案内板下)から入った。 西門の鳥居をくぐって、百数十メートル、本宮に続く参道(第二鳥居)に出る。参道には第一から第三の鳥居がある。 先日のオトコの闘いは第二鳥居・警備詰所周辺で。謎の遮光器土…
遺跡めぐりは現地に行くのが一番、と思ったのが写真の立て看板。 井手さんという方が個人で設置されたもの。 たぶん地主さん、案内に出てくる井手信英さんの身内の方であろう。 個人で、と思った大きな理由。 自治体が書ける内容ではない 重要解釈を簡潔に書…