まとめ
銅(精錬)・鉄(#たたら)・ヒスイ(石器の精密加工)。材質・技法が異なるモノ。それらがセットになった #三種の神器。#ものづくり日本 の歴史を表現しているのかも知れません #八咫鏡 #草薙剣 #八尺瓊勾玉
目次
本文
三種の神器。基礎知識
いわずと知れた、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)*1、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三種の神器。
天皇がその璽(しるし)として受け継ぐ『銅鏡・鉄剣・勾玉』の三点セットです。
御世替わり(天皇の世継ぎ)の時以外、八咫鏡は伊勢神宮(伊勢市)、草薙剣は熱田神宮(名古屋市)、八尺瓊勾玉は皇居(千代田区)に保管されています。
陵墓(皇族の墓)も含めて、宮内庁管理のものは、考古学の検証が入りませんので 国宝でも重要文化財でもありません
それぞれ、いつの時代、どういう経緯で、どこで造られ、今に伝わっているのかは謎で、おそらく、正確なところは天皇家(宮内庁)でもわからないのではないでしょうか。
素材と技法が異なるモノと文化の三位一体化
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
銅(精錬)・鉄(たたら)・ヒスイ(石器の精密加工)と、材質も技法も異なるものがワンセットになっていて『ものづくり日本』の歴史そのもの といってよい組み合わせです。
実は素材と技法の違いは、初期には『文化』の違いほどにお互いに遠いもので、それぞれの民族が持っていたもの。
例えば、当ブログ『カテゴリー・ヒスイの古代史』で書いている通り、ヒスイ勾玉は日本海縄文・ものづくり文化のシンボル で、八尺瓊勾玉は縄文(血統)を暗示していると思います。
製鉄は『カテゴリー・日本の古代製鉄』で書きかけで、精銅文化とともに、さらなるリサーチと妄想考察が必要ですが、
基本的に 前者(たたら)はイズモ、後者はモノノベ(ハタ)
時代とともに複雑に混ざりあってゆきますが『始まり』はそう考えています(出雲後物部)
三種の神器はいつ確立された?
大王の璽(しるし)として、はるかな昔から継承されてきたと思いますが、始まりは三種ではなかったのかも知れません。
検証のしようがなく、実のところはわかりません。
ただ思うに『三種の神器』として、現在のスタイルに確立されたのは、天武天皇の時代(飛鳥時代)ではないでしょうか。
壬申の乱(672年)で勝ち残った天武天皇にとって、日本史上はじめて『天皇、すめらみこと』を名乗り君臨するため、皇統争いに明け暮れる古い時代と決別する(=時代をリセットする)ために、正史の編さんと皇統のシンボル(璽)づくりは重要であったでしょうから。
古事記も日本書紀も、もともとの発案者は天武天皇で、彼よりも少し後、平城京の奈良時代に成立しますが、
今に伝えられる日本神話も、おおむね、紀記とともに確立したものと考えられます。
(続く。次回。神話の成立と三種の神器)