まとめ
崇峻天皇の暗殺直後、#蜂子皇子 は #聖徳太子(#厩戸皇子) の助けで大和を脱出。後に #出羽三山神社 を開山するなど #庄内平野 で偉大な足跡を残したことが桜井市 #下居神社 境内碑に書かれています #月山 #湯殿 #羽黒山
目次
本文
下居神社(おりいじんじゃ、桜井市下163)
坂が続く参道の最後。ようやく、下居神社が見えてきました。
御祭神:彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)
御祭神の彦八井耳命は、神八井耳命(かむやいみみのみこと)と第2代綏靖大王の長兄。綏靖は神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)
(崇峻大王(553年生まれ)は、推古女帝(554年生まれ)や用明大王(生年不明、推古の弟)と腹違いの長兄だったことと関係があるのでしょうか)
崇峻天皇の息子の蜂子皇子。下居神社・出羽三山神社との関わり
石碑銘文)奉祝記念。第三十二代崇峻天皇の皇子、蜂子皇子は山形県の出羽三山神社(月山・湯殿・羽黒山)を御開山。庄内平野を干拓され偉大な足跡を残された蜂子皇子は、桜井市の倉橋、下、浅古の三大字の郷官・下居神社を奉持され、山形県東田村郡羽黒町手向の地に、下居神社を御鎮座。遠く大和の産土(うぶすな)の地を偲ばれました。平成五年五月八日、出羽三山御開山千四〇〇年祭に公式参拝の折、当郷官末社・下居社は奉幣参拝し歴史上の太筋を永久に後世に伝承するものであります
奉祝。いにしへの 皇子のみ跡 訪ぬれば 出羽三山に下居大神 畤山
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崇峻大王の息子の蜂子皇子。
お父上が暗殺された後、聖徳太子の計らいでヤマトを脱出、生き延びて、遠く山形の庄内平野で偉業を成しました。
山修行(修験)に通じていたと伝えられ、力量(統治能力)のある人だったようです。
下居神社への行き方(現地に駐車スペースありません)
(現地には駐車スペースがありません。一停留所向こうの倉橋の崇峻天皇陵駐車場が直近です)
近鉄・JR 桜井駅からバス。談山神社行き6駅目・赤鳥居下車、徒歩20分
山の中腹の神社への参道は、バスが通る県道に並行しているので、赤鳥居のバス停から、高いほうに農道を上がって行くと、参道にあたります。(わからなければ農作業中の方に聞けば、親切に教えてもらえます)