まとめ
最高位でありながら暗殺された #崇峻大王。#日本書紀 では犯人は悪名高き #蘇我馬子 と書かれています。宮内庁は #倉梯岡陵(円墳)としていますが、#赤坂天王山古墳(方墳)を墳墓とする説が根強くあります
目次
本文
第32代崇峻大王について。
日本史上、ただひとり暗殺されたことが確実な天皇で、犯人は(悪名高き)蘇我馬子ということになっています。
(Wikiにも書かれていますが)暗殺された翌日に葬られていること、延喜式に「無陵地幷無戸(正式な埋葬地がない)」と書かれていること、暗殺という異常事態にもかかわらず王権移行(推古女帝へ)がスムースであったことなど、日本書記の記述に対する異論も多く、史実はもっと違ったものであったことが推理されます。
倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)
宮内庁が治定(じじょう)した陵墓が、桜井市倉橋の倉梯岡陵で宮内庁は「円墳」としています。
前後の大王(用明、推古)は方墳ですが、宮内庁管理のため、考古学者も含めて確認することはできません。
近くに崇峻大王・倉梯柴垣宮(くらはししばがきのみや)の伝承地があり、それが治定の決め手になったのかもしれません。
赤坂天王山古墳(あかさかてんのうざんこふん)
倉梯岡陵の北西約2キロにあるのが、赤坂天王山古墳。
解説板にも書かれていますが、一辺約45メートルの横穴式の方墳で、大きな玄室に大きな家形石棺が置かれており、その規模から(考古学的には)大化前代(飛鳥前期)の支配者層の墳墓であると考えられ、江戸時代までは崇峻大王の墳墓と考えられていました。
石舞台古墳(51m方墳(外堤除く)、家形石棺)、都塚古墳(41m方墳、家形石棺)と同サイズ・同様式で、現在でも赤坂天王山古墳が崇峻大王の墳墓とする説は根強くあります。
イノシシ、マムシ注意の看板があります(出入の際は金網のドアを閉めておきましょう。マムシは木の枝にいる場合がありますので頭上にも注意!)
石棺があるとのこと、せん道口から覗き込みましたが、暗くてよくわかりません。
入口は小さく、滑り台を降りる要領で、オシリをつきながら前に進みます。手がドロドロ。
当日の奈良県は39度でしたが、数メートルも奥にすすむと冷気につつまれます。
暗くて見えないので石棺のあるあたりに向けてフラッシュをたくと、吐く息と体温でモヤが立ち込めていました。
もっと近づいてパチリ。(人によって何かに見えるかも知れませんが、まぁ気にしないでください。汗)
堀越神社(大阪市天王寺区茶臼山町)
崇峻大王と家族が御祭神の堀越神社が、大阪市内に鎮座しています。