ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

【新型コロナウィルス】ニュースに出てくる『PCR』にまつわる誤解について書いてみた

古代史をやっていると、現代人と古代人との遺伝的なつながりや、縄文人の遺伝子解析などでバイオテクロジーに関連した話が出てくる。 父系も含めた全遺伝子(核DNA)解析、母系ミトコンドリア解析のこと、そしてその進展を支えているPCR装置と技術について、…

洪庵先生(4)虎狼痢と書いてコロリ 近代公衆衛生の礎になったコレラの治療書【少彦名神社・神農祭】

天保11年の大坂医者番付 開業2年目で洪庵先生の名が前頭に 洪庵先生は、日本の天然痘撲滅の先駆けとなったが、安政5年(1858)に起きたコレラ大流行の際には、当時最新の蘭学知識と情報にもとづき「コレラの治療基準」を書いた本を緊急出版した。 適塾…

日本古代製鉄の謎(3)アムール ハイウェイとタタール(間宮)海峡【古代の北方ルート雑考】

前回記事 の後半で書いた、北方ルート。 製鉄技術の日本への伝播(日立金属サイトより) www.hitachi-metals.co.jp 北方ルートはあいまい(一直線。笑)に描かれているが、具体的には次のルートが最もあり得る。 インド北部⇒(タタール人居住域)⇒バイカル湖…

【少彦名命 スクナヒコナの神・考】農業、温泉、酒造、裁縫、そして医薬(和方)の神様 ★★

和歌山市加太の淡嶋神社は、人形供養と境内にズラリと並べられた人形が有名だが、 実は、古代の謎を解くカギが数々残されていると考えている。 古代妄想(私)の一番の興味は、御祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと) 淡嶋神社ご由緒(少彦名命の部分。文…

和歌山市加太【淡嶋神社】境内に所狭しと置かれた供養人形の数々【本殿に並ぶ雛人形】

人形供養で知られる和歌山市加太の淡嶋神社(あわしまじんじゃ)は、全国に一千ほどの淡嶋系神社の総本社(淡島神を祀る神社、淡は粟とも書く) 先日、大阪市天王寺区・光傳寺内の淡嶋明神社を紹介した流れで、本社にお参りした。 和歌山市加太 海のそば 淡…

洪庵先生(3)ゼネラリスト教育の原点 明治の人材を育成した『メルティングポット』スタイル

緒方洪庵 木像 適塾 玄関 一階 洪庵先生が適塾を開いた1838年(天保9年)から閉鎖される1868年(明治元年)の30年間に、636名(門人帳・姓名録記載)の塾生が適塾で生活した(門人帳に記載のない塾生も多く、実際は3千名程だったという) 適…

【もうすぐひな祭り】和歌山・淡嶋神社 ひな流し神事と大阪分社・淡嶋明神社 うつろ舟伝承【由緒が似ていて矛盾する謎】

大阪市天王寺区下寺町一丁目の光傳寺さんに、淡嶋明神社(あわしまみょうじんしゃ)が鎮座する。 お寺の中の神社は、明治の神仏分離令(1868年)で多くが寺外に移転したが、少数ながら、寺町には、江戸期以前のこうした姿が残っている。 光傳寺 淡嶋明神…

洪庵先生(2)私利を捨て種痘(天然痘予防)事業にまい進 広がったもうひとつのたいまつ【除痘館記念資料室】

1796年、イギリスのエドワード・ジェンナーは、牛痘(ぎゅうとう)に一度感染した乳しぼりの女性たちが、天然痘にかからない、かかっても軽症で治癒するという言い伝えから、牛痘ウイルス株(かさぶた)を皮膚に接種する安全性の高い牛痘接種法(いわゆ…

洪庵先生(1)自分の火を弟子たちの一人一人に遷し、輝いたたいまつ【大坂、北船場・適塾】

世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない。ここでは、特に美しい生がいを送った人について語りたい。緒方洪庵のことである。 で、始まる司馬遼太郎さんの『洪庵のたいまつ』。小学5年生の国語教科書(1995年)向けに書かれたものを、一部交え…

日本古代製鉄の謎(2)歴史秘話ヒストリア『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』を見て【番組批評・リライト】

*視聴して、同じ意見や印象を持たれた方が多かった(SNS(FB))ようですので、少しリライト(追記)しました。第三版になります(2020年2月18日。初稿2月15日)今後の視聴の参考になさってください。 NHKが相次いで古代の鉄をテーマにした番組を流している…

【真田山陸軍墓地】日本近代史 墓碑が整然と並ぶ 心静かにお参りする所

先日紹介した 三光神社 の真田幸村像と抜け穴跡がある所から石段を上がって行くと、真田山陸軍墓地がある。 三光神社そばの石段を上がって行くと真田山陸軍墓地 真田山陸軍墓地 説明板 真田山陸軍墓地 説明板(文字起こし) 本墓地は1869年(明治2年)…

【六文銭 トビラの奥の抜け穴?】三貴子 仁徳天皇 武内宿祢を祀る 三光神社【大阪・真田山】

大阪城・東南の真田山に『真田幸村の抜け穴』と伝えられる石室状の遺構が残る三光神社(さんこうじんじゃ)。 古事記が伝える、イザナミが居た黄泉(よみ)の国から逃げ帰ったイザナギの禊(みそぎ)から生まれた三貴子を御祭神とするところから「三光」と伝…

【幸村公の真田丸そば】グサッと悪縁断ちの寺 鎌八幡 円珠庵【かつての仁徳天皇社跡?】

玉造稲荷神社の南、1キロほど下ったあたりに真田山(さなだやま)がある。 その名の通り、真田幸村が、大坂冬の陣で大阪城南側の弱点を補うために構築した『真田丸』跡があるところだ。 真田丸顕彰碑 後ろが大阪明星学園グラウンド その真田丸跡がグラウン…

【受け取らなければゼロになるリスク・特別支給の老齢厚生年金】現在・満59才で誕生日が4月2日以降~65才未満の人

(本日のブログはお休みの予定でしたが、かわりに) ねんきん定期便 お知らせハガキ 『特別支給の老齢厚生年金』をご存じですか? はじめに断っておくと、この情報の対象となる人は 現在・満59才で誕生日が4月2日以降 ~ 65才未満の人(=65歳の誕生日をまだ…

司馬遼太郎さんと大阪夕陽丘【菜の花の季節に】

興徳寺(大阪市中央区)満開の菜の花 2020年2月11日 真田丸顕彰碑前 司馬遼太郎さん(福田定一、1923年8月7日 - 1996年2月12日、享年72才)は大阪市浪速区塩草(現住所表示)で生まれた。 脚気(かっけ)の療養のため、竹内街道そばのお母様の実家に疎開し、…

【幻の元四天王寺】古代の海と河が接する所 信仰の中心地 森の宮あたり【鵲森宮 古地図 】

鵲森宮(かささぎもりのみや、森の宮神社)の社務所で、宮司さんに話をお聞きしている時、平安後期、鵲森宮が描かれたという古地図を見せていただき、了解の上、撮影させていただいた(上が東、左が北、右が南の地図) 参詣者からよく話を聞かれるので、説明…

【菜の花忌】2月12日は司馬遼太郎さんの命日【二十一世紀に生きる君たちへ】

1996年(平成8年)2月12日、大阪・難波宮(法円坂)に隣接する国立大阪病院(当時)で永眠。 10日深夜、自宅で容態が悪くなり緊急入院、翌々日の8時50分。 72年の生涯を閉じたその日は、司馬さんが愛した花と季節にちなんで「菜の花忌」と呼…

玉祖道・古代河内のウォーターフロント産業から見える「モノノベ経済モデル=ものづくり王国」物部さん考(21)

大阪に住んでいるおかげで、古代を考えるときは古地図を確認するクセがついている。 現在の日本の沿岸部平野は、例外なく、縄文晩期~弥生時代に海抜が下がる「海退」と、河川が運ぶ土砂の堆積(沖積)でできた「新しい国土」で、ここを押さえておかないと、…

【大伴家持】雅な歌人とは別の顔を持つ男 【百人一首 鵲(かささぎ)の詩 考察★★】物部さん考(20)

万葉集の編纂に関わったとされる大伴家持(おおとものやかもち、718年頃~785年)は、三十六歌仙の一人で、小倉百人一首にも名を連ねる。 百人一首 大伴家持 歌人として知られるが、実は、ヤマト朝廷以来の古代豪族、武人の家系で、奈良時代の大伴氏の…

【鵲森宮 森ノ宮神社】聖徳太子 親子が御祭神【物部守屋の本宅があった場所】物部さん考(19)

大阪歴史博物館の最上階では、北側の大阪城から南側の難波宮まで一望できる。 周辺の神社を含めて、説明を入れてみた。 秀吉の大阪城は、玉造稲荷神社あたりまでが三の丸(城の外縁)という壮大な建造物であった。 www.zero-position.com 正面に生駒の山並み…

【河内あるいは難波王朝?】幻の難波宮を再び地上に導いた考古学者・山根徳太郎の執念

難波宮全景 大阪歴史博物館から 1960年代に関西の著名な考古学者・歴史学者が提唱し、1980年代以降、否定的な見解となった『河内王朝』(Wikiより)をご存じだろうか(現在は河内政権というほどのニュアンスでとらえられているのだろうか) 古墳時代…

【天の岩屋、神々が集まる所】京都市 神楽岡とよばれた吉田山【吉田神社 摂社 神楽岡社】

吉田神社 境内摂社 神楽岡社 神饌にフルーツ 女神アマテラスが岩屋に籠り、日本中が暗闇に包まれた「天の岩屋(岩戸)」の神話。 主なところでは宮崎県(天の岩戸神社)、三重県(二見興玉神社)に伝承地が残っているが、あまり知られていないが、実は京都市…

日本古代製鉄の謎(1)糸魚川ヒスイの再発見で教訓とするべき考古学の歴史

古代の鉄の話をするのに、少し当ブログ「ヒスイの古代史」の話をお許しいただきたい。 関西人の私は縄文時代について、最盛期(縄文中期)の本場を知らないのがネック。 去年の秋、新潟・北陸・東北の各地の縄文遺跡や博物館・資料館を20ケ所近く巡り、話…

【京都でお伊勢参り】吉田神社 斎場所大元宮 【2020 節分祭 2月2日(日)から3日間】

令和になってはじめての節分祭が2日から数日、全国の神社で斎行される。 京都では吉田神社が多数の人出でにぎわう。吉田神社は京都大学(百万遍)の東の吉田山に鎮座する。 1月に一度お参りしたが、ここに参詣すれば『全国の神社に詣でることと同じ効験が…