ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

日本古代製鉄の謎(2)歴史秘話ヒストリア『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』を見て【番組批評・リライト】

*視聴して、同じ意見や印象を持たれた方が多かった(SNS(FB))ようですので、少しリライト(追記)しました。第三版になります(2020年2月18日。初稿2月15日)今後の視聴の参考になさってください。

NHKが相次いで古代の鉄をテーマにした番組を流している(NHKスペシャル・アイアンロードなど)。

先日は歴史秘話ヒストリアを見た(2月12日放送分『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』)

本記事は、その歴史秘話ヒストリアを見ての感想です。

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ヒストリアでは、あたかも弥生時代の鉄器到来が『ものづくり日本』をスタートさせたかのように命名し、編集されていたが、まずその前提が間違っている。

『ものづくり日本』は鉄器到来とは関係なく、はるか以前の縄文時代にすでに始まっている

当ブログ「ヒスイの古代史」をご覧いただいた方ならピンとくると思うが、熟練と伝承が必要で、精密なヒスイのものづくりと職人集落の形は、約7000年前(縄文前期)の糸魚川で始まり、それが弥生~古墳時代の(大規模な)勾玉生産につながった。

つまり「ものづくり日本」の原型は糸魚川でうまれ、洗練され、日本海・関東東北エリアに広がり、西日本(例えば大阪玉造)に「移動」した。

※ヒスイの古代史シリーズは、本記事のテーマの下に表示されるカテゴリー「ヒスイの古代史」クリック。あるいは検索窓に”ヒスイの古代史”入力で一覧

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また、鉄器の到来で木造建築が巨大化したかのようなストーリーで編集されていたが、なぜか、三内丸山(青森市)の巨大櫓、真脇(石川県能登町)や桜町(富山県小矢部市)などで発見されたホゾのある木組みやウッドサークルなど、日本海の縄文遺跡で多数発見されている、巨大で高度な木造建築技術の事実が無視されている。

つまり「ものづくり日本」も「巨大木造建築」も石器使用の縄文時代にスタートしていることは、今の時代、少し調べればわかることなのに『(おそらく専門家がついているはずで知らないはずはなく)そんな基本すら守らず番組を作っているのか』と思う他なかった。

鉄の伝来は北方ルートも考えられる

さらに、もう少し批評(ツッコミ)させていただくと、弥生時代の鉄器到来は間違いないが、幅広い年代(紀元前1000年~紀元後300年、弥生の新画期。従来は紀元前300年~)のいつ頃かを明示せず『九州壱岐のケースだけ取り上げて、大陸・半島から伝来』というステレオタイプな結論に結び付けている強引さにも疑問。

番組で紹介されていた弥生の半島交易に使われたと紹介されていた構造船も「それ古墳時代やん。あんたとこ(NHK大阪)隣の博物館に見に行かなアカンで」と呟いていた。笑

※ヒストリアはNHK大阪放送局の制作とのこと

※番組では、鉄器の切れ味と耐久性を示すために、石斧(せきふ)を使ったけど刃が欠けましたという実験シーンを見せていた。しかしあの実験自体が非科学的。実験で使った石の種類や製造法の情報がなく、まして、素人が使えばそうなるでしょという話。縄文の人々は石の特性を知り、欠けにくい石材で、欠けない(熟練した)使い方をしていたはず。(私自身、欠けた石斧を見たことがない)。番組を見ていて、実験をしていた人に、その点をフェイスブック経由で質問したという方がいたが、残念ながら返事をもらえなかったとコメントされていた

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船形埴輪 同タイプの復元船が番組で紹介されていたが古墳前期のもの(大阪歴史博物館

今一度、糸魚川でヒスイが再発見されるまで、考古学が犯し続けたミスを思い出し、地球学、金属冶金工学など多分野の専門家を交え、遺跡資料の科学的考察を重ね、性急でない仮説を『公共放送の責任をもって』流してもらいたいと思う。

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当ブログは古代妄想に過ぎないので、好きに書かせていただくと、

鉄の伝来ルート(弥生時代)は2つ。大陸・半島以外に北方ルートがあり、むしろ、北方に『弥生鉄の謎』を解くカギがあると考えている

根拠がないわけではない。

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製鉄技術の日本への伝播(日立金属サイトより)

www.hitachi-metals.co.jp

日立金属さんと云えば、日本の金属精錬の大手メーカーで、ここのページをよく読む。

特に、はじめに日本に入って来たのは『たたら製鉄』という観点に注目。

遠くヒッタイトで生まれた製鉄技術は、インドあるいは中央アジアで『たたら製鉄技術』に高度化し、それが伝来した。

たたらには韃靼(ダッタン)語のタタトル(激しい炎、猛火)語源説があることを紹介している。つまり、

たたら製鉄は、精錬冶金も含めた総合技術で「北方ルートもあり得るよ」というのが基本スタンス

簡単に言えば、鉄が入って来るだけでは使えない。鍛冶屋の技術がワンセットでないと使えるものにはならない。鍛冶屋の技術というのが精錬冶金技術であるということ。

さすがに一企業さんが「考古学の定説」に真っ向反論する必要もなく、そういう書き方をされているところに、技術者視点がにじみ出ている。

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たたらで砂鉄を溶かして取り出されたケラ 『金へんに母』 司馬遼太郎記念館

金へんに母と書いて『鉧、けら』と読む。ヒンディ語のサケラー(鋼)を語源とする説も紹介してくれている。

ケラには様々なグレードの「鉄と炭素の化合物」が含まれる。鍛冶職はこれを分別して目的の鉄器に加工してゆく。

ヒスイ・管玉の加工や木造建築技術と同じく、経験と熟練が必要なプロフェッショナル、世代を繋ぐ技術伝承が前提となる職業だ。

(次回、来週末予定)