ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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教科書にない古代史

【出雲路幸神社】出雲文化の色濃い下鴨に残された新・旧サルタヒコ信仰 習合の姿

はじめに 出雲の地名が残る京都 #下鴨デルタ。#幸神社では 平安時代を挟んで新旧の #サルタヒコ信仰(#サイノカミ信仰)をまとめて見ることができます。#道祖神 の立石と #神猿(#三番叟)となった #猿田彦 の姿 目次 出雲路幸神社(京都市上京区幸神町303寺…

【四天王寺 守屋祠】毎月22日 太子御命日にお詣り 新たな謎【願成就の宮】

はじめに 毎月22日、太子の月命日 #四天王寺 聖霊院(太子殿) が開放されます。境域に #守屋祠 とも云われる #願成就の宮。#物部守屋 御霊のほか #弓削小連 #中臣勝海連 を祀ります。#太子と馬像 #熊野権現 #布袋 目次 毎月22日太子の御命日に開放される聖…

【新説・四天王寺】ベールに包まれた守屋祠が物語る謎【物部さん考】

四天王寺 物部守屋祠(太子の月命日(22日)公開) はじめに 四天王寺にあったと推理される熊野神社を探す目的で書き始めた #新説・四天王寺 シリーズ。調べるほどに新たな謎がさらに謎が呼ぶ展開に。#物部守屋 #守屋祠 #日出ずる処 #丁未の乱 目次 新説・四…

【新説・四天王寺】石神堂 御神体の正体【牛王尊】

はじめに 四天王寺、亀井堂の前の #石神堂 #牛王尊。お堂内には大小の臥牛像。大正期の境内図には #石神神社 と。その位置、横長形、大きさから、かつての御神体は境内にあった古墳時代の #長持型石棺蓋 で間違いなし 目次 四天王寺 牛王尊 石神堂 『大阪四…

【新説・四天王寺】古い時代、熊野神社があったこん跡【堀越神社の案内板と浮橋】

はじめに かつて #四天王寺 石鳥居の付近に #熊野神社 があったことは近くの #堀越神社 説明板に書かれています。実際にどのあたりに鎮座していたのか。転法輪石から西の延長線上に #西大門 その前に神社様式の #浮橋 目次 堀越神社 熊野第一王子の由緒 石鳥…

【新説・四天王寺】熊野のこん跡 『あしかき』三首の考察【道標神・クナト信仰】

はじめに 『難波津や ふるき昔の あしがきも まちかきものを 転法輪所』鎌倉時代、#四天王寺 #転法輪石 を詠んだ #慈円(愚管抄の著者、天台座主)の詩。#あしがき の解釈がたいへん難しい。#クナト信仰 #熊野詣 #道標の信仰 新カテゴリー #新説四天王寺 目…

【新説・四天王寺】八十国の百隈来にし大寺や 往きて戻れぬ事のあるかも【難波津と防人の詩】

はじめに 万葉集巻二十 兵部省役人だった歌人 #大伴家持 選 #防人の詩 約九十首が掲載。徴兵された東国の人々が #難波の海 を見つめ前線に向かう自身と家族の行く末を案じた心情を詠います。その中に #四天王寺 にあったと推定される社のヒントがあるかも知…

【新説・四天王寺】太陽祭祀のこん跡を探して 転法輪石の下にあるもの★★【御饌石と豊御食炊屋姫】

はじめに 四天王寺で #推古天皇(#豊御食炊屋姫)の #太陽祭祀 のこん跡は見つかるのか。現在の中心伽藍に #アマテラス を祀る社があったのでは?と考え始めると寺域の西端に #石鳥居 がある意味が見えてきます 目次 四天王寺伽藍の核心としての転法輪石 転…

【新説・四天王寺】むしろ日奉(日祀、ひまつり)のこん跡が無い不思議【夕陽丘・日想観・石鳥居】

はじめに 推古天皇が敏達天皇の皇后 #豊御食炊屋姫 の時に新設されたのが #日奉部(ひまつりべ)#四天王寺 は春分・秋分に日が沈む #石鳥居 の方向を基準に伽藍配置されたことを考えるとここで #太陽祭祀 が行われた可能性が高いですが。#折口信夫 #夕陽丘 #…

【日本神話の天之御中主】【唐では紫微星】北極星を支える三台星

はじめに 古代中国では天帝を象徴する #紫微星 を支える #三台星 という考え方があり、#伝教大師・#最澄 が仏教を学んだ #天台山 はその霊山と考えられました。三台星はどの星をさすのでしょうか。陰陽師・安倍晴明に繋がる土御門家に伝わっていた #格子月進…

馬やら牛やら。大伴と佐伯の随臣。門神のクシとトヨ。聖徳太子と神功皇后?

はじめに 神社の #随神門 には大伴と佐伯の木造が一対。#天孫降臨神話 では門は #天岩戸別(#櫛岩窓 #豊岩窓)と紹介されています。謎の多い神様ですが #櫛石窓神社 の木造坐像の姿は #聖徳太子 #神功皇后 かも。それぞれ馬と牛に縁のある人物です 目次 随神…

【石上神社】ヤマト期・物部氏の聖なる布留川の上流、大国見山の麓に鎮座

はじめに 天理市から大和川に合流する #布留川 の源流域。#大国見山 の麓に鎮座する石上神社。#桃尾の滝 の近く。ヤマト期 #物部氏 の氏神 #石上神宮 祭祀場 #布留遺跡 の上流に鎮座しており場所的に物部氏以前の歴史のこん跡ではないかと考えています 目次 …

【許麻神社】巨麻-大狛連など。『コマ』が意味するもの【聖徳太子と馬】

はじめに 大阪府八尾市 #許麻神社(こまじんじゃ) 古代渋川郷の巨麻荘(こまのしょう)に鎮座。門徒衆(浄土真宗)の開いた #久宝寺寺内町 に隣接。もと #牛頭天王 と称されていました。古くは #大狛連(おおこまのむらじ)の住地 #極東のシルクロード #聖…

【安倍晴明神社】境内の鏡石(孕み石)は古代船の錨【陰陽師に流れる海人族の血統】

はじめに 大阪市 #阿倍野区 #安倍晴明神社。陰陽師 #安倍晴明公 を祀る神社。一帯は #古代難波津 の入り江で水運にたずさわった #阿倍氏(安倍氏)の支配地。境内には #古代船の錨 という #鏡石(#孕み石)が置かれています 目次 安倍晴明神社(大阪市阿倍野…

【跡部神社】住吉津と大和平野を繋ぐ水路の要衝を支配した古代・阿刀氏の氏神

はじめに 式内社 #跡部神社。大阪府八尾市、ものづくりの中小企業と住宅街が混在する地域に鎮座。今は大阪平野南部の陸地ですが、古代 #住吉津 とヤマト平野をつなぐ大和川系水路の要衝で海人系 #阿刀氏 の本貫地。#空海 さんの母方氏族 目次 跡部神社(大阪…

【海人族の記憶】古代の運河・息長河と準構造船【喜連あたり】

はじめに 大阪メトロ #喜連瓜破 から徒歩10分。喜連小学校の外柵に地域の歴史を解説したパネル群。このあたりには古代の大運河 #息長河 がありました。近くの瓜破遺跡から #準構造船 の部材、長吉長原遺跡から #船形埴輪 が出土しています。古代の官道 #磯歯…

古代・住吉津をイメージしてみる

はじめに 古代難波の #住吉津(住吉の港)の様子を知りたくなり、少し遊んでみました。以前に紹介した #国土地理院 の 自分で作れる #標高図 。青色が弥生~古墳時代の海というイメージ。住吉津は入り江の大きな良港だったようです 目次 古代・住吉津をイメ…

蝦夷の人々が継承する縄文と空海さんの濃厚な接点【エミシとヤマト】

はじめに 空海さん(#弘法大師)の俗名は#佐伯真魚。父方が讃岐の #佐伯部。ヤマト王権が東日本を平定する過程で捕虜となった蝦夷を畿内から遠い地域に居住させた時の監督者あるいは一族の家系。幼いころから縄文を継承する蝦夷の言葉、思想、信仰に通じてい…

宗祐寺(奈良県宇陀市)三点セットが結ぶ焦点【太子信仰と蝦夷】★

はじめに 聖徳太子の開基と伝わる #宗祐寺(創建時は多聞院)。太子にまつわる #東夷降伏の功 伝承 #殺生戒 の碑 御本尊の #毘沙門天。三点セットは蝦夷とヤマト王権の史実に焦点を結びます 目次 「東夷降伏の功」「殺生戒」「毘沙門天」 宗祐寺のこん跡・三…

【聖徳太子】厩で生まれ、馬子と物部氏を滅ぼし、黒駒と天翔ける

はじめに 聖徳太子(上宮法王)は馬と縁が深い人でした。厩(うまや)で生まれ、愛馬を石に彫り、馬子と物部氏を滅ぼし、推古女帝の摂政として飛鳥と斑鳩を馬で駆け、#甲斐の黒駒 と天を飛びました #厩戸皇子 #オシラサマ伝承 目次 聖徳太子と馬 甲斐の黒駒 …

【遠野物語】イタコ・オシラサマなど 巫女が担った東北各地の信仰【国立民族学博物館の見学より】

はじめに 国立民族学博物館。東北各地に残る #巫女の信仰と祭祀具の展示。#蝦夷 と #ヤマト の文化がぶつかった歴史のなか、長い時間をかけた #神仏習合 のスガタ。#遠野 の「娘と馬の哀しい話」#イタコ #オシラサマ #エジコ #ワカサマ #オナカマ #オガミサ…

縄文の竪穴住居 火と水と土の暮らし 内は赤(明るい)・外は黒(暗い)のサカイに生きた人たち

はじめに 竪穴住居を調べていて #井戸尻考古館(長野県)#小松隆史氏 のインタビュー記事(2017年)「みんなが囲んでいる空間は赤々としてあたたかいけど、自分たちの背後にある暗い世界というのは我々の世界じゃないんです」前(内)は赤、背中(外)は黒の…

【奈良 倭文神社(1)】フツと切れた大蛇のシッポは帯解へ飛びアタマを祀る【蛇塚神社】

はじめに 奈良市内 #倭文神社 #しずりじんじゃ に参拝。春日大社系・藤原氏の一族が769年に勧請。一帯の古地名は辰市郷。境内社に #蛇塚神社 が鎮座するなど #大蛇伝説 が残されています #ヤマタノオロチ伝説 #スサノオ #龍頭山西福院 #物部氏 目次 倭文神社…

貴(アテ)の深く青き森の文化 阿弖流為(アテルイ)と「貴」の話★★★

はじめに 青々とした森の景色、青森ヒバは県木。石川では #アテ(貴)の名で輪島塗漆器の伝統的材料。縄文の #円筒土器文化圏 で #津軽 と #能登 は海路でつながっていました。#蝦夷の英雄 #アテルイ #貴はムチ・モチとも読みます 目次 青い森の誕生と発展 …

「やちまた」と子孫繁栄 縄文から現在まで カタチを変えて残る【道と際の信仰】

はじめに 先日紹介した#多賀城市 #荒脛巾神社 の二重祭壇や #二荒神 の意味。古い信仰 #アラハバキ と #道祖神 などの「複雑な」繋がりを考えてゆくうえで、手始めに去年夏の記事をリライト。#古代連想のやちまた カテゴリー追加 目次 やちまた(八衢、八岐…

モノで見える化【古代 津軽の文化圏】交流と交易の歴史【備忘録】

はじめに 津軽の面白さは歴史の中で文化圏が交わった場所であることでしょうか。一つめは #津軽海峡 を挟んで #北方文化圏 どうしで。二つめは日本海交易で #糸魚川(越)や #出雲 と。三つめは6世紀以降 #蝦夷(えみし、えぞ)として中央の文化圏と 目次 …

【津軽平野の弥生式水田遺跡】いつ、だれが、なぜ、何のために(後半)★★★【砂沢遺跡を継承した垂柳遺跡】

はじめに 弥生の水田稲作はすばやく #津軽平野 にまで伝播した。考古学的定説ですが、では、いつ・だれが・なぜ・何のために伝えたのでしょうか。考察(古代妄想)の後半です。弥生前期末の #砂沢遺跡 弥生中期後半の #垂柳遺跡 #出雲文化 #クニビキ神話 目…

【砂沢溜池 弥生式水田遺跡】いつ、だれが、なぜ、何のために(前半)★★【津軽 縄文から弥生への過渡期】

はじめに 北九州・弥生式の水田稲作ノウハウが弥生期の #津軽 #砂沢遺跡 に。北九州 #遠賀川式 によく似た土器も発見されています。いつ、だれが、なぜ、何のために持ち込んだのでしょうか。#岩木山 #岩木川 の変化、気候変化、#海進と海退 による海抜変化も…

【十面沢 貴船神社】長い石段の上に鎮座する御神体 とても古い信仰のこん跡【龍神信仰と鬼伝説】

はじめに 津軽 #岩木山 の麓を移動していて目に入った #十面沢 の赤鳥居。#貴船神社 の名をみて境内奥の長い石段をのぼって行きます。本殿の扉を開けると御神体。西日に照らし出された姿は神々しく。とても古い #龍神信仰 のカタチが残されていました #鬼伝…

お岩木山の麓 縄文から弥生 津軽と北九州 繋がりのこん跡【砂沢溜池・砂沢遺跡】

はじめに 岩木山の夕景が美しい #砂沢溜池。 #砂沢遺跡 の案内板には #津軽の弥生稲作 の始まりが書かれていました。炭化米から、北九州 #板付遺跡 のものと似た #熱帯ジャポニカ の栽培が推定されています #遠賀川系土器 目次 岩木山北東部一帯の湧水群 砂…