はじめに
先代までに失われた習わし #諏訪大社上社 神事の話を通して、神や精霊がどのようにとらえられていたのかがわかる #神長守矢家 現当主(78代守矢早苗氏)の証言は貴重 #ミシャグジ #アラハバキ との関係も考察
目次
本文
※守矢家の現当主は「ミシャグチ様」と呼称していますが、本文ではネット検索性を優先して「ミシャグジ様」として紹介しています
ミシャグジ様のこと(神長官守矢資料館のしおり、より)
貴重な内容を読んでいますと、次のような認識(①)、祭式と役割分担(②、③)があったことがうかがえます。
① ミシャグジ様は森や山に普遍的に存在する精霊であること
② 大祝(おおほうり)は諏訪の御神体であるミシャグジ様と交感する者*1(依り代、童児)
③ 神長(守矢家当主)は、大祝への御神体の上げ・降ろしを祭式によりコントロールする者(諏訪上社五官の筆頭職)
そして諏訪大社上社では、御祭神(タケミナカタ、諏訪大明神)と御神体(ミシャグジ様)を別に認識していたことがわかります。
第78代(現当主)守矢早苗氏)諏訪大社の御神体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝(おおほうり)に降りてくる精霊を中心に営まれます。家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や当て字のある神様ですが、ここではミシャグチ神とします。そして一年に七十五度の神事が、中世までは前宮と大祝の住む神殿(こうどの)、そして冬期に掘られた竪穴(たてあな)である御室(みむろ)や十間廊(じゅっけんろう)、八ヶ岳山麓の御射山(みさやま、現・諏訪郡富士見町)で行われました。そのミシャグチ神の祭祀を持っていましたのが、神長(じんちょう)であり、重要な役割としての ミシャグチ上げ や ミシャグチ降ろし の技法を屈指して祭祀をとりしきっていました。大祝の分身である童児 は、内県(うちあがた、旧諏訪郡一帯)、外県(とのあがた、旧伊那郡一帯)、大県(おおあがた、信州一円の神氏系の代表)から、それぞれ一年毎に選ばれて奉仕していました。童児たちは神長屋敷西側の現在の祈祷殿の位置にあったといわれます精進屋の中で一定期間の籠り(こもり)をした後に前宮での神事に参加いたしました。
#諏訪大社上社前宮
— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2022年11月1日
名水 #水眼の清流(すいがのせいりゅう)#前宮三之御柱 pic.twitter.com/t1T51YzqrI
以下、ミシャグジ様の信仰について、現時点での個人的な見解を書き出しておきます。
基本的なスタンスとして、ミシャグジ信仰は、アラハバキ信仰の要素、つまり ミシャグジ=御石神=シャクシ・セキジン を含むと考えています。
シャクシ(セキジン、石神)とは、縄文の石棒(せきぼう)が井戸掘りや開墾で中世~近世に各地で出土し、御神体として祀られたもの。
全国的には男石の道祖神*2信仰のスガタにこん跡としてよく残されています(男性シンボルは木造物もあり、必ずしも縄文の石棒ではない)
例えば関東エリアではその形態から「おしゃもじさま」とも呼ばれたりしますし、東京都練馬区の石神井(しゃくじい)は『石神が出現した井戸』に由来した地名とされています。
諏訪(~八ヶ岳山麓)の縄文時代は、人口に対して食糧が一程度豊富であったことから、長期に安定した文化の中心地となり、石棒(男石)や丸石(女石)など祭祀に関連する大量の縄文遺物が出土し、おそらくその流れでミシャグジ信仰へ継承されたと推理しています。
図には書いていませんが、関東~東北各地のコンセイさまも同じ(金精、金勢、金生などの地名・表記)
特に諏訪は、2000年近くにわたる神長守矢家の継承により、縄文時代を起源とする古信仰が、ミシャグジさまというカタチに変容しながら、諏訪大社上社の信仰(御頭祭、竪穴の御室、十間廊など)の中に温存されてきたと考えています。