はじめに
諏訪大社上社の境外摂社 #御射山社(みさやましゃ)は #八ヶ岳山麓 に鎮座。#はらやまさま と云われる当地は #諏訪明神 の狩場(#神野)だったと伝えられます。今は静かな森林の佇まい
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諏訪大社下社・御射山社(みさやましゃ)について
(35.9399455, 138.2188825)/長野県諏訪郡富士見町(諏訪南IC近く)/JR中央本線すずらんの里駅から徒歩約30分。諏訪大社上社本宮から車で約20分。入口境内図の前に駐車スペースあり
(諏訪大社下社にも御射山社があります。長野県諏訪郡下諏訪町木の下)
八ヶ岳山麓は、原山(はらやま、現在の原村の由来)、諏訪明神の狩場(神野、こうや)と云われ、中世には北条氏と近く鎌倉幕府の御内人となった諏訪氏(神氏(みわし)とも。上社の大祝を世襲)の氏神祭として、毎年、大規模な御射山祭(御狩神事*1)が催されたそうです。
境内図に「矢場」「相撲土俵」「旧競馬場跡」と描かれているように、ここは御射山祭の中心地で、武士が技能を競う武芸大会も行われたとのこと。
諏訪大社下社・御射山社
現在は、広い境内には本殿のほか、石祠が散在し、毎年八月の御射山祭の他は人気がない静かな林の佇まい。
早朝、約一時間の参拝中、誰一人と合いませんでした。
参道を進んで南北参道を結ぶ十字路に手水石。
聞くところでは、諏訪大社上社本宮の磐座の硯石(すずりいし)は上部が凹の硯に見えることから、その名がつきましたが、この石は硯石に似ています。
それで、しめ縄が張られているのかも知れません。
手水石から南の参道を進むと、御射山社の社殿。
建物の中に御射山社と国常立命社の祠(木造)。
御祭神:諏訪明神(建御名方命、たけみなかたのみこと)、国常立命(くにのとこたちのみこと、神仏習合では大元尊虚空蔵)
諏訪大社上社 御射山社 境内
手水石から北の参道を進んだ鳥居の先に祠が集まった一帯。
最奥に 大四御蘆社(おおよつほみしゃ)。御祭神四柱は、タケミナカタを含む出雲の国土開拓の神々。
大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、下照姫命(したてるひめのみこと)
子安社。御祭神は 高志沼河姫命(こうしのぬなかわひめのみこと)。
古代高志(こうし、古志こし)の国、ヒスイの姫神で、諏訪大社の御祭神・タケミナカタの御母上と伝えられます。
実質的に古墳時代を拓いた 神功皇后(仲哀天皇の皇后、応神天皇=八幡神の御母上)が御祭神の社。
小袋石の御神域と同名の 磯並社(いそなみしゃ)。こちらの御祭神は 大山祇命(おおやまつみのみこと、山の神)。
(小袋石の磯並社は水の神(玉依姫、池生神)ですが、御神域の近くですがその外に、御祭神が大山祇神とされる「磯並山社」(石祠)があります)
諏訪大社神社の初代 大祝*2有員(おおほおりありかず) のものと伝えられる塚。
境内北西端の三輪社。御祭神は 大物主命(おおものぬしのみこと)
詳しく調べたわけではありませんが、このあたりが、ミシャグジ神を下ろす霊媒・現人神ともされる大祝(おおほおり)を世襲し、神氏(みわし)とも名乗り武士化した諏訪氏と三輪の関係が唱えられる理由かも知れません。
境内南東端の西宮社。御祭神は 蛭子尊(ひるこのみこと)、大国主命、事代主命
こちらは「西宮えびす」西宮神社(兵庫県西宮市)の分祠でしょうか。
この朝(10月20日)は、今秋始めての低温(0℃)で、諏訪地方に初霜が降りた日でした。
人生初の厄年。現在の「はらやまさま」の風習
境内の西を流れる放生(ほうしょう)の小川。
御射山の国常立神は、万物の根源の神=大元尊とされ、諏訪の神仏習合で、時に鳥獣や虫魚に姿を変える虚空蔵菩薩とされました。
毎年8月に行われる御射山祭(はらやまさま)。
かつての御狩神事は明治期から姿を変え、
人生最初の厄年、数え年2歳の幼児の厄除と健康祈願で、国常立神の化身とされるドジョウ(本来はウナギ?)を、家族親子で小川に放つ行事が行われます。
「はらやまさま」の名にちなんで「食中毒や寝冷えなどで腹を病まぬよう」、また「幼いながらも知らぬ間に身についた罪や穢れをドジョウに託して川に流す」という意味があるそうです。
数えの二歳から、この世の穢れが身につくとは!😅