京都 #下鴨神社 #七不思議 のひとつとして伝えられる #烏の縄手 は古代からの暗号。古代 #鴨族(賀茂家)の歴史において #ヤタガラス は豊穣を祈る信仰の対象であったようです #上賀茂 #藤原京 #生駒
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下鴨神社 烏の縄手
下鴨神社楼門の南、糺の森の「ならの小川」の御神域の入口に 烏の縄手 の案内板が立てられています。
当ブログや アラハバキ解 で何度か紹介したことがある 古代からの暗号 です。
下鴨神社の七不思議として、古くから言い伝えられている一つに「カラスのナワテ」というのがあります。「カラス」とは下鴨神社におまつりされている御祭神・賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)は、別のお名前があり、「ヤタカラス」(太陽という意味)と呼ばれています。「ナワテ」とは細い(せまい)、長い道ということで、ヤタカラスの神様へお参りする镸い参道との意です。古くは糺の森(ただすのもり)の木の間を分けて数筋もの細い参道がありました。
上賀茂のヤタガラスと縄手地名
賀茂川の流れの視点では、下流の下鴨神社に対して、上流の上賀茂神社が鎮座しています。
上賀茂神社ではヤタガラスを神使として重要視しています。
上加茂一帯北からを見下ろすのが 上賀茂のヤタガラス。
私が勝手にそう呼んでいるだけですが😅…大ガラスの姿に見えますよね。
上賀茂には 縄手 の地名がしっかり残ってます。
これも上賀茂のヤタガラスと名付けた理由のひとつですがね。
藤原京のヤタガラスと縄手地名
場所は飛びますが、藤原京(奈良県橿原市)にもヤタガラスがいます。
案内板の醍醐池の北東角から見ると、畝傍山を頭に羽根をひろげたヤタガラスを眺めることができます。
藤原京から見て南西のヤタガラスの麓となるエリアに縄手地名が残ります。
ついでに言うと鴨公(かもきみ)の名も残ります(鴨公神社跡、鴨公小学校)
なぜ、私がヤタガラスと呼ぶかといいますと、三つ理由を挙げることができます。
①スガタカタチもさることながら、縄手地名が残ること、
②畝傍山(麓に橿原神宮)は、天武・持統天皇(夫妻)以来の日本の記紀の歴史と神話の始まりの地であること
③大きな羽根に見える葛城・金剛山系は、後の京都山城(上賀茂・下鴨)の賀茂の祖、鴨族の畿内発祥の地(主に御所市)であること
出雲伝承は、鴨族(現在の桜井市の三輪山の南、磯城邑)の建津乃身(タケツヌミ)の代に、当時のヤマトの緊迫した情勢を嫌い、山背(京都)に移り「賀茂」を名乗ったと伝えており、
そこから上賀茂・下鴨、水の祭祀の歴史に繋がってゆくことになります。
(平安初期に始まった祇園祭も、基本は水の祭祀)
なお、藤原京の朝堂院跡から、続日本記701年(大宝元年)、元日朝賀の儀式の記述と一致する大型の幢幡(とうばん、旗竿)跡が見つかっています。「四神日月カラス」の七つの柱穴が見つかり大ニュースになりました。
四神は大陸文化。日月カラスは弥生時代からの日本(稲作)文化。二つの融合によって、律令の新しい国家統治を目指していた意図が見えます。
生駒のヤタガラスと縄手地名
これも当ブログでは何度も紹介していますが、大阪平野から眺める生駒山系にも大鳥が羽ばたいていて、これもヤタガラスです。
天照山の麓には縄文〜弥生の縄手遺跡がある他、小中学校に縄手の地名が残されています。
八咫(ヤタ)の意味
ヤタガラス(八咫烏)、八咫鏡など、古代には「八咫(ヤタ)」という言葉がたびたび登場しますが、
「非常に長いこと、大きいこと」を表現します。
(コトバンクより)八咫(ヤタ)は古い時代の尺度のひとつで、親指と中指を広げた長さ=咫(アタ)の八倍の長さ。転じて、非常に長いこと、大きいこと
#八咫鏡(ヤタノカガミ)#八咫烏(ヤタガラス)
— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2024年7月16日
上代の尺度の一つで、親指と中指を広げた長さ=咫(あた)の八倍の長さ。転じて、非常に長いこと、大きいこと(コトバンクより)
①八咫鏡と同サイズ・同デザインと推理される #平原王墓 の銅鏡
②上賀茂、③藤原京、④生駒のヤタガラス pic.twitter.com/D3UArabHDk
糺の森のカラスだけが知っている😀
はてさて、私の古代妄想がアタリかハズレか、それはご覧の皆様の判断にお任せするとして…
ヤタガラスへの参道は下鴨神社のカラスだけが知っているようです😀
#古代からの暗号 として、時々お題にしている #烏の縄手(カラスのなわて)
— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2024年7月6日
案内板の写真を撮り直そうと #下鴨神社 へ。
②ムムッ!あそこが謎の参道か!最後、シッポが瞬間移動したように消えました😀 pic.twitter.com/mzAbUMb2f2