ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

等彌神社(4)八咫烏(やたからす)の御神像・雑考

等彌神社(とみじんじゃ)に興味をもったそもそもの理由。

熊野から山背に至る「長い道のり」のヤマトでのこん跡を探すためだ。

www.zero-position.com

(本記事は前回から続いてます、以下、少し前回のリピート)

北極星が結ぶ二つの神社にヤタカラスの出発点と到達点。これは単なる偶然なのだろうか?

下鴨神社では「やたからす」と濁らず発音し、ヤタカラスは「太陽」の意と解説している。太陽が「ただ射すところ」→「たださす」→下鴨神社糺の森(ただすのもり)のことだ。

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等彌神社と鳥見山(指さし)

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等彌、鵄、外山・・・とみ、とび

等彌神社と鳥見山の位置は、三輪山の南、熊野-下鴨ラインの中間点あたり、ヤマトの中心地になる。

三輪山の南側一帯は、奈良県桜井市大字外山、地元では「外山区」と呼ばれている。

外山と書いて「とび」と読む。

現住所では、等彌神社は大字(おおあざ)桜井になるが、「とび」の音は神社に由来しているようだ。

神社の御神紋も「輝く鵄(とび)」で「とび」だらけ。

ヤマト勢力の及ばない「外」?

外山(とび)は「外」であることを強調する当て字ではないかと思う。

ヤマト中心の三輪山のすぐそばなのに変な話だ。

ひとつの手がかりだが、この地域は名の知れたヤマトの古代豪族の勢力範囲の「外」と認識されていた可能性があること。

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葛城市歴史博物館 古墳~飛鳥時代

私はむしろ、ヤマトの豪族の勢力が及ばない、つまり、古代史的に存在が知られていない、別の豪族、つまり「大和の出雲」の拠点であったと妄想している。

桜井茶臼山古墳(外山茶臼山古墳

※詳しくはあらためて紹介。ここでは概要

外山(とび)には、全長207メートルの巨大な前方後円墳がある。

箸墓古墳に続く前期古墳(早い時代の古墳)で、ひとつの古墳からは最多の80枚以上の銅鏡が、勾玉や剣とともに出土している。

王墓クラスだが、歴代天皇墓にも比定されていない謎の古墳だ。

ja.m.wikipedia.org

御神像のこと

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前回も書いたが、江戸時代に、境内・下津尾社そばの剣池で発見されたものを「八咫烏」として神社の御神宝としたそうで、いわゆる考古学的な確証はない。失礼ながら、後世に造られたものである可能性があると思う。

しかし私は考古学者ではない。

ヤタカラスの長い道のりのヤマトの痕跡、「外山」という謎に包まれた地域の中心、出雲の気配が色濃く残る古社で、御神宝として祀られていることの「意味」を考える。

八咫烏(やたからす)は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)(下鴨神社上賀茂神社

ヤタカラスは太陽を意味する(下鴨神社・立て札説明)

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御神像のチャンピオンベルト(笑)のようなものは太陽を形象していると思う。実際に銅鏡を身に付けていたのかも知れない。

姿形は、修験道の行者「カラス天狗」。出雲の道の神、猿田彦(サルタヒコ)にもイメージが繋がる。

大和盆地を挟んで西向い、葛城・金剛山系は修験道のメッカ、役小角(えんのおずぬ)が開祖とされる。

ご存知の通り、役小角行者は「高賀茂」の系統と伝承される。

さて「角」に「賀茂」

今のところ、その関連性を考察する知識(力量)はないので、本記事は備忘録、雑考とした。

あらためて葛城方面を調べてみたいと思う。

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先日、天王寺美術館の前を通ると「仏像 中国・日本展」が開催されていた。看板を見て、思うところもあった。

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右手で天を指し、左手で大地を指すポーズ、「誕生仏」と言い、お釈迦様が誕生した時の姿だそうだ。

天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)

等彌神社四回シリーズはいったん終わり。書くことがあれば連番で続ける。

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