はじめに
大和の国中(くんなか)。神話世界では #神浅茅原(かむあさぢはら)、古い時代から #磯城(しき)と呼ばれたところ。景色を楽しみながら、この秋は歩こうと考えています #大和川(初瀬川) #村屋坐彌冨都比賣神社
目次
本文
奈良盆地の国中(くんなか)
銅鐸の弥生時代(唐古・鍵遺跡)から銅鏡の古墳時代(鏡作郷、纏向遺跡)への激動の時代。
その舞台となったのが神浅茅原(かむあさぢはら)、奈良盆地の中央部、国中(くんなか)です。
現住所は天理市の南〜田原本町〜桜井市の北西となりますが、古い時代には 磯城(しき)と呼ばれ、現在でも磯城郡の地名や、学校などの名称に残されています。
奈良盆地を囲む山々(青垣)を見晴かすには、眺望の良い所です。
あらためてヤマト創世記として古代妄想史を書いてみたいとボンヤリ考えていますが、まだまだ焦点が定まらず。素材集めのために、この秋は歩いてまわる予定です。
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写真③の大和川下流方向数キロのところで、平城京に繋がる佐保川と合流します。
大和川を撮影した所からほど近い村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)境内の万葉歌碑。
作者不明ですが、奈良の都(平城京)が描かれていますので、遷都の奈良時代初期の作でしょうか。
*「隠国、こもりく」は初(泊)瀬、「玉桙、たまほこ*1」は道、「あをによし」は奈良にかかる枕詞
大君(天皇)の仰せをもったいなくも賜り、慣れ親しんだ我が家を後にし、初瀬川(はつせがわ、はせがわ、大和川)に舟を浮かべる。初瀬川にはいくつもの曲がり角があり、たくさんの曲がり角にさしかかるたびに振り返って、我が家の方を見て、進んでいく内に日が暮れ、やがて奈良の都(平城京)の佐保川に至る。仮寝にはおった布の上から明け方の月夜が清らかに見える。真っ白な霜が降り、岩床のように川の水が凝り固まっているように見える。そんな寒い夜でも休むことなく、通い続けて新しい宮を造りあげました。いついつまでもお住みになられるよう、いらっしゃいませ、大君様。私もここに通って参ります
国中の景色
夏から秋にバトンタッチ。
焚き火にあたるにはまだ暑いですねぇ😅
暑さ寒さも彼岸まで。
もうすぐ涼しい季節になります。
村屋坐彌冨都比賣神社についてはあらためて紹介します。たいへん面白い神社でした