はじめに
万葉歌で #隠国(#こもりく)は #初瀬川 にかかる枕詞。初瀬川は#さんちゅう(山中…傘中?)に端を発し、三輪山の麓で大和川に名を変え奈良盆地(#くんなか、国中)を横断、大阪に向かって流れ下ってゆきます
目次
本文
初瀬川(大和川)
古代ヤマトの歴史が刻まれた奈良盆地。
広々とした水田と、周囲の山々(青垣)を、遮るものなく眺望する景色は、京阪神では他にありません。
奈良盆地を南から北に流れる川筋は複数ありますが*1、最終的には大和川に一本化して、大阪方面に流れてゆきます。
大和川は、古くから初瀬川(はつせがわ、はせがわ)の名で呼ばれ、万葉集では、初瀬川には『隠国(こもりく)の』が枕詞としてかかります。
先日紹介した万葉歌(巻一・79)
この歌は、おそらく、平城京遷都の時代につくられたと考えられますが、ヤマトの古い(色の薄い) 隠国(こもりく)の時代 から 新しい(色鮮やかな)あをによしの時代 への移ろいが詠まれてます。
天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 H浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青丹吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之<水>凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手 来座多公与 吾毛通武
大君の 命畏み 柔びにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲の穂に 夜の霜降り 岩床と 川の水凝り 寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに 来ませ大君よ 我れも通はむ
くんなか(国中)とさんちゅう(山中)*2
枕詞としてかかるところから、初瀬川の上流(源流)域が隠国、つまり、古いヤマトの中心地だったと考えられます。
地図中薄い3つの〇は、左から三輪山、巻向山、初瀬山。
現在の正式名称では、初瀬川は三輪山南麓から大和川に名を変え、奈良盆地を北西方向に流れてゆきます。
赤い●が、原始三輪山(もとみわやま)の著者・榮長増文(えいながますふみ)氏の地元、桜井市出雲。
榮長氏は著作で、三輪山、巻向山、初瀬山の北側、標高四百メートル以上の山稜地帯を さんちゅう(山中)、初瀬川が北西に向かって流れ出る奈良盆地東南部を くんなか(国中)と云うと紹介しています。
つまり、さんちゅうが隠国の範囲 と考えることが出来るかも知れませんね。
ピンクの●は、倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)伝承地のひとつ、笠山荒神社(桜井市笠)
笠山荒神社総代であった細川甫氏は地元の歴史研究家でもあり、著作 笠山秘話 で「こもりく」について書いています。
(笠山秘話は、笠山荒神社鳥居前の笠山そば処(笠の地元で収穫されたそばを提供)内で販売中。第一巻~第四巻、各800円。訪問時は第二巻が売り切れ)