ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【私の古代妄想史③】原始三輪山(もとみわやま)という大コンセプト【榮長増文氏】

はじめに

読みはじめで、私の古代妄想「史」という表題には合いませんが、今後の考察に大影響を与える予感しかない #目ウロ の良書を紹介します。#榮長増文 著 #原始三輪山(#もとみわやま)(2010年4月)#桜井市出雲 #穴師坐兵主神社

目次

本文

原始三輪山 榮長増文著(2010年4月)

たいへん面白い書籍に出逢いました。

桜井市出雲で生まれ育った榮長増文(えいながますふみ)さんが、自身の故郷の歴史を考察を通して書かれた『原始三輪山』。

原始三輪山(もとみわやま)という大きな空間を構想しているのが特長です。

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原始(もと)三輪山 ~ 今まで気づかなかった現地風土 榮長増文著(2010年4月)

原始三輪山の広大な範囲

・・・(現代人と違い、地図をもたなかった)古代人は、おおらかに考え、広域に面的におさえて、何かにつけても(移動の)不自由はなかったと思われます(著書p26)

榮長氏は、現在の三輪山を西端にして東西8キロに広がる巻向山などを含む山域を、原始三輪山と考えています。

榮長氏は、主に弥生時代以降、この山域を文化圏としていた『古代人』のこん跡を紹介しながら、読者みずから一帯を探索し(ヤマタイコクを含めて再)考察することを促しています。

・・・自然風土は、正確に活き活きと後世に伝承し続けます。現地を知らずに古典の解釈は謎を生みます(著書p43)(古典の解釈オンリーでは謎しか生まない、ということでしょうか。)

古代人の視線に合わせて考えると、見えていなかったコトやモノが、見えてくることがある。。。当ブログが目指すところでもあります。

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原始三輪山の範囲(現在の三輪山を西端にして東西8キロに広がる巻向山を含む山域)

私が当ブログで紹介してきた三輪山大神神社御神体山)は、ヤマト平野(西)から眺める山容。。。いわゆる狭義(きょうぎ)の三輪山ということになります。

狭義の三輪山は、原始三輪山の西端に位置します。

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桜井市出雲と三輪山、巻向山。穴師坐兵主神社の西約2キロに纏向遺跡

榮長氏の原始三輪山の著書に出逢ったのは、先日紹介した穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)の三神殿と御神体三種の神器がキッカケ。

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もともと三神社は別々に鎮座し、室町時代応仁の乱)に現在地に合祀されたのですが、三神社のいずれも、巻向山周辺に鎮座していたように考えはじめ、

なぜだろう?と調べていて、穴師坐兵主神社から(県道50号線)を横切って、巻向山(ダンノダイラ)、桜井市出雲に抜ける(往来できる)道があることを発見しました。(グーグル地図には表示されない道)

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穴師坐兵主神社 三神殿 神社と御神体

穴師~巻向山ルートで纏向(三輪)は桜井市出雲に繋がっている、つまり、移動できるということを確認し、いずれ行程を組む際の参考資料を探す中で榮長氏の著作に出逢った次第。

昨日、大阪府立図書館で借りてきて、読み始めてまだ50ページほどですが(なかなか前に進めない。笑)、すでに目からウロコが三枚ほどハガレ落ちています。

いずれ原始三輪山をガイド本にして現地を歩き、当ブログで書いてゆきたいと思っています。

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