はじめに
先日紹介した #穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)の続き。三神社の遷座の歴史を経て現在に至りますが #三神殿 の情報を表にまとめていてそれぞれの御神体が「鏡」「勾玉」「剣」であることに気がつきました #三種の神器
目次
本文
調べますと(Wikiなど)、もともと三ケ所にあった神社が、応仁の乱(室町時代、1467~1467年)に、①と②が焼け、③に合祀され、後に現在地(①)に再度遷座するという複雑な歴史があったようですね。
桜井市HPでは「本社(①)は崇神天皇(第10代)の時代、倭姫命(ヤマトヒメ)が天皇の御膳の守護神として奉祭せられた(桜井市史)」と説明されていますが、私の認識では伊勢(神宮)の初代斎王・ヤマトヒメは第11代垂仁天皇の第四皇女で、時代が合わないように思います。
三神殿に三種の神器
表にしてみて、三神殿のそれぞれの御神体が「鏡」「勾玉」「剣」で、合わせると、三種の神器 として揃っていることに気がつきました。
なお、若御魂神社(②)の御神体に「鈴」が見えますが、もしかすると、銅鐸(どうたく)のことではないかと考えています。
もちろん、私たちが知るリンリンと鳴る「鈴」のことかも知れませんが、古代出雲族(鴨族)は銅鐸のことを鈴と呼んでいたようですから。
巻向山と三輪山は東西に連なりますが、南側の麓の現在地名は桜井市出雲。
若御魂神社(②)はもともと巻向山に鎮座していたとのことですから、出雲族の信仰の社であった可能性が高いです。
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当ブログでは、桜井市出雲あたりをまだ紹介していませんが、近々訪問したいと考えています。(桜井市出雲には出雲の人、土師氏の祖、相撲の祖・野見宿祢(のみのすくね)の塚跡(34.52424592199099, 135.89425597118017)と五輪塔があります。)
● 穴師山一帯は、古墳の石室にも使用された花崗岩の産地であること、
● 穴師坐兵主神社・摂社の相撲神社には、野見宿祢の居館があったカタヤケシ伝承が残ること、
ことから、古い時代から、一帯では採石のための採掘がされていたはずで、穴師の名の由来になったと考えられます。