はじめに
奈良県明日香村平田の #中尾山古墳。見学会に行ってきました。今回の新たな発掘調査で、三段築成、#八角墳、八角三重の外周石敷、石材の組み合わせ、ツヤツヤに磨かれた石室と、内壁に塗られた #水銀朱 も確認されました。その豪華な造りから第42代 #文武天皇陵 である可能性が俄然高まりました
目次
本文
第42代文武天皇
日本史上初めて「天皇」を名乗った天武天皇(第40代)と皇后で第41代天皇となった持統女帝(サララ姫)の孫、第42代文武天皇(藤原京、681~707)。
持統女帝は、最愛の草壁皇子を若くして失くし(代りに)孫(16才)の文武を天皇に据え、事実上の院政を行ないました。
文武天皇は、日本最初の法律とされる大宝律令を制定したことで知られていますが、父親とほぼ同じく、26才という若さで亡くなりました。
中尾山古墳 発掘調査現地見学会
その文武天皇の陵墓の可能性が高いとされていた中尾山古墳(明日香村大字平田)の発掘調査現地見学会に行ってきました(11月28日。29日で終了)
中尾山古墳は、近鉄南大阪線(アベノ橋発)・飛鳥駅から徒歩15分、石室の壁画で有名な高松塚古墳の丘の隣にあります。
なお、宮内庁が治定している文武天皇陵(檜隈安古岡上陵、ひくまのあこのおかのえのみささぎ)も近くにあります。
発掘中の中尾山古墳
緑の芝で覆われていた墳丘も、発掘調査で裸になっています。
1974年の発掘調査で、国内で初めて八角墳であることが確認され、90センチ四方の石室(火葬墳のため石室が小さい)が見つかり、薄葬の流れに沿った文武天皇陵であるとの見方がありました。
その後、八角墳が天皇陵の特徴であることがわかってきました(第34代舒明天皇から。舒明天皇陵(段ノ塚古墳)上八角下方墳)
今回の発掘調査の結果、中尾山古墳が三段に築かれた高さ5メートルの八角墳であることが確認され、周囲には同じ八角の形をした三重の外周石敷(いしじき)が張り巡らされていたことがわかりました。
置かれた鏡を通して、石室内部が少しだけ見えます。
石室は鎌倉時代に盗掘されており、写真上に「盗掘孔」とかかれたパネルが張られています。
● 石室の天井石は、細粒黒雲母花崗岩(さいりゅうくろうんもかこうがん)(スタッフの方にお聞きすると、桜井市穴師の産とのこと)
● 床石は、石英閃緑花崗岩(せきえいせんりょくかこうがん)。いわゆる「飛鳥石」といわれ、石舞台古墳などは、この飛鳥産の石で造られています。
● 側壁は火山礫凝灰岩(かざんれきぎょうかいがん)。兵庫県高砂市で採掘される「竜山石、たつやまいし」のことで、100キロ西からヤマト地方に運び込まれました。
石室内の表面はツヤツヤに磨かれた上に水銀朱が丁寧に塗られていたそうで、当時として最高レベルの石材の組み合わせも含め、たいへんゴージャスな造りです。
今回の調査では沓形(くつがた)石造物が1個出土しました。撮影した面(上下)が緩やかな三角形になっていますが、頂点の角度が135度ということから八角墳の装飾用の角石だろうとのこと。ただ見つかったのは1個だけで、その他の石は盗掘時、あるいは前回発掘時に持ち去られたのだろう、ということです。
宮内庁は、別の古墳を文武天皇陵(発掘不可)としていますが、今回あらためて発見された墳墓・石室の豪華な造りは、被葬者の権威の高さを示唆しており、専門家からも「中尾山古墳が真の文武天皇陵である」という見方が強まっています。
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見学からの帰り道、案内板からみると、左の方が中尾山古墳。
さて、案内板の文武天皇陵の矢印がサカサマになる日が来るのでしょうか。
今後の発掘調査の詳細な報告を待つばかりですが、どうも、近いうちに来そうですね。