ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【埴土山(はにつちやま)】野見宿禰の埴輪づくりの土の山【謎の穴立石】

はじめに

前回紹介した #巻向山 中の #りょうさん池(高山神社)から山道を約10分。#野見宿禰(のみのすくね)#土師氏 が赤土を採って #埴輪 を焼いた伝承の #埴土山(はにつちやま)。広場のような山頂には謎の #穴立石 #原始三輪山

目次

本文

埴土山(はにつちやま)への行き方

写真の左にりょうさん池・高山神社。車の向こうに北に上がってゆく坂

りょうさん池(高山神社)から北に上ってゆく坂道があります(写真の車は私がここまでやってきたカーシェアのレンタカー)

数十メートルの坂を登り切ると、道が左右に分かれますが、左(北西方向)に進んで行くと、工事現場でよくみる簡易フェンスのあるところに来ます。

埴土山へはフェンスの向こう

目指す埴土山は、このフェンスの向こうの道をまっすぐ。(昨年11月に訪れた時、ここから先は行けないのかな?と道なりに迂回してしまい、結局、埴土山に行くことが出来ませんでした。)

左右の植林の樹の枝や葉が落ちてフカフカの道。

埴土山への道

神社の参道のようなまっすぐな道を進むと、平坦な広場になっている埴土山の頂上に到着しました。

埴土山

埴土山のせん孔石碑(穴立石)

埴土山の、ちょうど朝の陽が正面に射す西側に、孔のあいた(せん孔)石碑がありました。

このようなせん孔された碑は、たまに神社仏閣でみる様式です。

埴土山の穴立石

これまで見た中でいうと、生根神社(住吉の奥の天神)の神明穴立石 と同じ。

生根神社の神明穴立石には「何首鳥(カシュウ)」という男女共通の滋養強壮に利用される生薬名が書かれていること、(元気な!)おじいさんとおばあさんから生まれた?? 一寸法師 の伝承が残る生根神社の由緒や御神徳から、男女のむつみと出産、つまり、子孫繁栄の祈りに関係したものと解釈しています。

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埴土山の碑はそれほど古いものではなさそう(はやくても江戸期、おそらく明治期以降)

碑の位置から考えて、朝の陽の光を受け穴から陽光を通し、生命力の根源としての太陽遥拝信仰に関連したものかと思われます。

埴土山のせん孔石碑(穴立石)

埴輪の土~埴土山の伝承

埴土山を紹介した原始三輪山の著者・榮長増文氏は、

①地元の桜井市出雲地区には、土師氏(はじし)の祖 野見宿禰(のみのすくね)の伝承が多いこと、

近鉄電車のない時代(~昭和初期)、お伊勢参りの街道筋であった出雲地区の名物が 出雲土人形 であったこと、と関連づけて、

野見宿禰(土師氏)は埴土山周辺の土を焼いて埴輪を造ったのではないか と考察(仮説提案)しています。

埴土山に限らず巻向山一帯には、粘土質の 赤い土 がいたるところに露出しています。

そういえば…土師氏。もしかして、埴氏だったのか。

そんなことを考えながら、埴土山を後にしました。

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