はじめに
桜井市出雲の氏神さん #十二柱神社 二回目。狛犬の基壇を支える八人(阿吽各四人)の力強い力士像。#原始三輪山(もとみわやま)榮長増文氏の記述を参考に紹介。境内には相撲の開祖、埴輪づくりの #土師氏 の祖でもある #野見宿禰 の五輪塔
目次
本文
力士が支える十二柱神社の狛犬
十二柱神社の狛犬さん。左の写真が口を閉じた吽(うん)形。右が口を開いた阿(あ)形。
それぞれ四人の力士像が狛犬が座る基壇を支える(おそらく全国でもここだけの)たいへん珍しい像容です。
『原始(もと)三輪山』によると、1861年(文久元年、明治維新の7年前)、出雲人形屋・岡田や久吉 の作ということです。
著者の榮長増文氏は、(埴輪づくりの)土師氏(はじし)の子孫が土器づくりの高い技能とその経験を石材彫刻にも活用した と考える、と書いておられます。
また、狛犬のちょこんと揃えた前足を 埴輪動物の足そのものである とも書かれています。
阿(あ)形の狛犬の力士像
天下泰平
達筆過ぎて私には読めませんので『原始(もと)三輪山』からの引用です。( ´艸`)
吽(うん)形の狛犬の力士像
五穀豊穣
もともとは、十二柱神社の南東400メートルのところにあった野見宿禰の塚(古墳伝承地)の側に建てられていたものを、明治16年(1883年)に塚を取り壊した後、大正9年(1920年)にこちらに移したものだそうです。
裏書・文字起こし)野見宿禰(のみのすくね)は古代、天穂日命(あめのほひのみこと)の裔、菅原道真 大江朝臣の祖、勇力の聞え高く、垂仁天皇の命により、三輪山の麓、纏向(まきむく)の里・穴師(あなし)に当麻蹴速(たいまのけはや)を迎え、力闘の果てこれを斃す。「日本書紀」には宿禰を出雲国より召すとあれど、考古学的には四世紀前半の物語であり、歴史地理の視点から日本最古の大神神社(おおみわじんじゃ)の山裏にあたる(ここ)出雲村より招かれたのではないかと、相撲博物館の史家・池田雅雄先生が二十余年前に新説を提唱。村から宿禰・蹴速の相撲伝承地(カタヤケシ伝承地。穴師兵頭神社境内社・相撲神社。開物注)へ峠越えして僅か五キロ。紀に曰く「即日、宿禰を召す」の記事に符合する。また村には明治初期まで宿禰の大古墳あり。その塚跡にあった壮大な宿禰塚の五輪塔も現存する。さらに宿禰を顕彰する思念から村社狛犬の台座に力士姿八人を建造した江戸時代の先祖の願いと、古老の語る宿禰生誕地伝承を再確認し、ここにあらためて相撲開祖・野見宿禰顕彰碑を建立し、末長く、わが出雲村の大先祖を顕彰する次第である。昭和六十一年十月吉日、相撲開祖・野見宿禰顕彰会
次回(野見宿禰の塚(古墳伝承地))に続きます。