はじめに
奈良県桜井市穴師(あなし)の奥 #カタヤケシ(地名)の #相撲神社。御祭神は #土師氏 の祖 #野見宿禰(ノミノスクネ)。日本書紀はここで日本史上初の天覧相撲が催されたと伝えます
目次
本文
相撲神社
(34.54529465874586, 135.85537793059262)奈良県桜井市穴師/JR纏向駅から西へ、穴師坐兵主神社方面(車で約10分、徒歩約30分)/駐車場あり
御祭神:野見宿禰(ノミノスクネ)
カタヤケシ由緒)今を去る上古約二千年前、垂仁天皇七年七月乙亥(キノトノヒ、七日)大兵主神社神域内小字 カタヤケシ におきまして野見宿祢(ノミノスクネ)、当麻蹴速(タイマノケハヤ)による日本最初の勅命天覧相撲*1が催されました。これが世界に誇るわが国国技相撲の曙光(あけぼの)であります。爾来、相撲が国技として国家大本の行事とされ悠々の今日に至っています。日本書紀に「野見宿祢はすなわち都に留りて仕へまつる」とあり当地に屋敷を賜わり古代国家草創期における大和朝廷国土開拓の推進者として貢献されました。その偉大な徳を偲び、ここカタヤケシを日本民族の象徴的聖地として世に知られています。
日本書紀には、土師氏の祖・野見宿禰が出雲から召され、ここカタヤケシで葛城の當麻(たいま)の在の当麻蹴速と、史上初めての角力(かくりき、相撲)をとったと書かれています。
当時の相撲は蹴っても良い・・・キックボクシングのような危険な格闘技で、敗れた蹴速は宿禰に腰を折られて死んだと伝えられています。
垂仁天皇に屋敷を賜った野見宿禰は、カタヤケシを本拠に王墓(古墳)を築造する職業集団を率いたということになり、桜井市出雲には宿祢の塚跡(34.52424592199099, 135.89425597118017)と五輪塔があります。
また敗者の蹴速の方にも、蹴速塚(34.515548835621004, 135.7029424312538;葛城市當麻)があり五輪塔が立てれらています。
ただ、五輪塔は鎌倉時代以降の様式、つまり、宿祢塚・蹴速塚とも後の時代に造られたもので、史上最初の天覧相撲譚が、後世の創話である可能性も捨てきれません。(同様の理由で、飛鳥寺近くの蘇我入鹿(そがのいるか、飛鳥時代)の五輪塔も疑わしいですね)
相撲神社 境内
万葉碑;巻向の 檜原もいまだ 雲居ねば 小松が末ゆ 沫雪流る(巻10-2314)
(巻向の桧原のほうにはまだ雲も出ていないのに、小松の枝の先端から淡雪が流れ落ちている(桜井市HPより))
昨年一月場所に奈良県奈良市出身の徳勝龍(とくしょうりゅう)関が幕尻で平幕優勝したのを覚えているでしょうか。
相撲神社は、近くの穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)社務所が管理しているようです。