はじめに
埴輪と古墳づくりの #土師氏 発祥の地「菅原」。垂仁天皇の時代、中興の祖 #野見宿禰 が活躍。平安時代直前(781)一族は菅原姓に改称。その三代後に #菅原道真公 があらわれます #菅原天満宮
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本文
菅原天満宮
(34.68573906538012, 135.77828637537417)/奈良市菅原東1丁目15−1/近鉄奈良線・大和西大寺駅から徒歩15分、橿原線・尼ケ辻駅から徒歩15分
御祭神:天穂日命(あめのほひのみこと)、野見宿禰命(のみのすくねのみこと)、菅原道真公
当、菅原天満宮は菅家発祥の地に在り、創建は不祥ですが、菅家一系の三神を祀られていることから、古くより在ったと思われます。祭神、菅家の祖神、天穂日命(あめのほひのみこと)は、天照大神の御子であり、中興の祖、野見宿禰命(のみのすくねのみこと)は垂仁天皇の后、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が崩御*1された時、古来悪習であった殉死を無くし代わりに 埴輪(はにわ)を造り埋めるべきと建言、その功績により 土師臣の姓 を賜った(平成二年発掘で実証、現在はにわ窯公園となっている)。また当麻蹴速(たいまのけはや)と力比べをしこれに勝ち、相撲の始祖 としても知られている。その後、土師家は大喪(大王の葬儀)を掌っていた が、天応元年(781)その子孫である土師宿祢古人、土師宿祢道長等115名が居住地である 菅原の里の地名をとって土師家より「菅原」姓に改称 を願い出、勅許される。その後、古人、清公、是善と続き、承和十二年(846)六月二十五日、菅原道真公 の誕生となり、当神社東百メートルには道真公が産湯に使ったとされる天神掘がある。その後菅原家は出世の一途をたどりつつあったが、藤原家との争いに敗れ道真公は大宰府に左遷され、延喜三年(903)二月二十五日、五十九歳で薨じた。没後天神縁起でも知られるように天神信仰が隆盛になり、学問の神、書道の神、難除けの神と崇められ菅原の天神さんと親しまれている由緒正しき神社である。
大変興味深い内容の御由緒です。
垂仁天皇と野見宿禰の、埴輪造りや相撲のエピソードはよく知られていますね。
菅原天満宮 参拝
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春を忘るな
道真公の御母上を祀る伴氏社(ともうじしゃ)が北野天満宮(京都)境内にありますが、ちょうど去年の今頃、キンカンの樹が印象的でした。
キンカンが大好きな御母上だったのかも知れませんね。
道真公の産湯の井戸伝承 天神掘
境内より出て東に約百メートル。道真公が産湯に使ったとされる天神掘。