はじめに
第11代 #垂仁天皇 治定墓 #宝来山古墳 に三羽の大鳥。その壮大で緻密な景観づくりには、被葬者の不老不死と復活再生への強い祈りが込められているように思います #蓬莱山 #常世国
目次
本文
春日の大鳥、生駒の大鳥
菅原天満宮 から東に四百メートルほど、菅原はにわ窯公園(菅原東遺跡埴輪窯跡群)を見学後、南の奈良生駒線(奈良県道1号)高架をくぐって垂仁天皇陵へ。
奈良生駒線(奈良県道1号)の高架道に沿って高架式の歩道があり、高いところから景色を眺めてみました。
座標(34.6837615, 135.7834062)
東に春日山方面。写真左に山焼きが済んだばかりの 若草山が見えます。
山容が、伏せた大鳥のように見えますね。
中央の頭の部分が、たぶん高円山。
春日の大鳥 と呼びましょう😀
一方、西の生駒山系。
こちらの山容にも、伏せた大鳥… 生駒の大鳥 が見えます。頭は天照山。
ちなみに、この奈良市から見た生駒の大鳥とは逆、大阪市内から見た生駒の大鳥はこんな風に見えます。
奈良市内と大阪市内、どちらから見ても大きな鳥に見えたのは発見です。
宝来山古墳で鳥見(垂仁天皇陵治定墓、菅原伏見東陵)
①の撮影ポイント(後円部北西)から。
春日の大鳥が見えます。
高架からの撮影よりも高度が下がるので中央の頭が見えにくくなります。
参考に、近鉄橿原線の近く(③のポイント近く)から撮影したのもの。
②の撮影ポイント(後円部北東)から。
生駒の大鳥が見えます。
宝来山古墳は、東西二羽の大鳥を意識し、視覚的にその真ん中に位置するように築造されたように思います。
宝来山古墳 もう一羽の大鳥
撮影ポイント③から。
宝来山古墳を、ちょうど田道間守(たじまもり)の浮島が中央になる位置、南東から撮影。
ここからは、田道間守の浮島を頭にした大鳥が見えます。
あの浮島は、垂仁天皇の勅命で、常世国(とこよのくに)にわたり、苦難の末、橘(みかん、不老不死の効果があるとされた)の木を持ち帰ったものの、天皇の崩御(ほうぎょ)の報に接し、哀しみのあまり亡くなった 田道間守命(たじまもりのみこと)の御塚と伝えられています。
不老不死の神仙思想の中で語られる幻の山「蓬莱山」のことを、『丹後国風土記・逸文』では「蓬山」と書いて「とこよのくに」と読みますが、宝来山古墳の名は伝説の「蓬莱山」にちなんだものと考えられます。
田道間は「たじま」と読み、かつての丹後国の一部ですから、つまり丹後の人である田道間守が大陸の蓬山(蓬莱山、とこよのくに)を訪れ、不老不死の効果があるとされた橘の木を持ち帰ったという話として、一歩進めて解釈できます。