ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【屯倉神社】古墳時代中期。河内王朝のパワーの基盤となった穀倉地帯【依網屯倉】

大和川の南、松原市 #屯倉神社(みやけじんじゃ)。かつての大穀倉地帯 #依網屯倉(よさみやけ)のこん跡。今は #菅原道真公 を祀ります。境内に屯倉の米と銘水(酒屋井)による酒造の神を祀る #酒屋神社。境内の梅が見頃でした

目次

本文

古地図(1700年頃)の旧大和川流域/現在の新大和川屯倉神社(みやけじんじゃ)

屯倉神社(みやけじんじゃ)

(34.5884082, 135.5548994)/大阪府松原市三宅中4丁目1−8/近鉄南大阪線河内松原駅から20分

屯倉神社(みやけじんじゃ)

御祭神:菅原道真公、須佐之男命(すさのおのみこと)、品陀別命(ほんだわけのみこと)

本社は字「宮の内」にあり、縁起によれば河内國丹北郡依網三宅(よさみやけ)天満宮として、上古より鎮座の天神にして「穂日の杜」と言い、天慶五年(942年)八月十八日菅原道真公をお祀りしたのがそのはじめであると言われている。ご神像は道真公が五十八歳のとき筑紫太宰府においてご自身の影を鏡にうつして木造に刻み、縁深いこの三宅郷に送られたと伝えられる等身大の御神像である(以下略)

屯倉神社 御由緒

境内(屯倉神社の歴史)

冒頭の江戸期古地図に描かれているよさみ池(依網池、ため池)は、おそらく広大な湿地帯を利用したため池で、古墳時代中期以降、大稲作地帯の水源でした。

屯倉神社 拝殿

屯倉(みやけ)は、国営の稲などの倉庫のことで、ここは倉庫群や関連する役所などを含めた広大な 依網屯倉(よさみやけ、依網郷と屯倉郷の総称?) であったと考えられます。

屯倉神社 狛犬さん

由緒の中に「菅原道真公と縁深い三宅郷」という表現がありますが、

穀倉地帯の依網屯倉(よさみやけ)を中心に、現在の新大和川の西(堺市)方面に百舌鳥古墳群、東(藤井寺市)方面に古市古墳群(道明寺天満宮)があり、

大和川屯倉神社。稲作地帯の依網屯倉。中百舌鳥・古市古墳群。位置関係

古墳の築造や石室・石棺、埴輪造りなど古代の大王祭祀に関わった土師氏(はじし、菅原氏の祖)とも縁が深い土地だったことがうかがえます。

土師氏はやがて菅原氏を名乗り、その本流の血脈から道真公があらわれます。

菅原氏の家紋・梅鉢

屯倉神社 御本殿

三宅神社の境内末社

境内の酒屋神社は、延喜式にも記載された式内社。元三宅村の西から遷座してきたそう。

旧社地の「酒屋井」という銘水と「屯倉の米」で酒造りが行われていたこん跡とされています。

平安初期の新撰姓字録・河内國には「中臣酒屋連、なかとみのさかやのむらじ」の名があり、彼らが朝廷に献上する酒を造っていたものと考えられています。

酒屋神社(境内末社

季節の梅で彩られた屯倉神社

境内は、梅の花で彩られていました。

季節の梅で彩られた屯倉神社

ブログランキング・にほんブログ村へポチっとお願い