ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【(川並)北野神社】天女の幼子が長じて道真公となった伝説【余呉湖の白鳥・羽衣伝説】

はじめに

琵琶湖北東の #余呉湖。湖畔の高い所に川並の #北野神社。古くは伊香(いか)と云われたこの地方には #天の羽衣 と#菅原道真公 の伝説がミックスして伝承されています

目次

本文

(川並)北野神社

(35.52952545190166, 136.18501506438386)/滋賀県長浜市余呉町川並930/JR余呉駅から徒歩約20分。車の場合、石段下に小さな駐車スペースあり

(川並)北野神社

御祭神:菅原道真公、倉稲魂神(うかのみたまのかみ。お稲荷さん)

滋賀県神社庁コピペ)古老の口碑により申伝えるところによれば時代実名不詳ながら、往古雲上の公家人が当村字桐畑と云う所に館を構へ田畑を開発された。故に農長なのによって桐畑太夫と号した。ある時砂新田という湖辺の柳木に美しい婦人裳を掛け置き余呉湖にて水を浴びて遊んでいる。その柳裳掛けの柳と称し今尚残っている。婦人水浴を畢(おわ)って桐畑太夫の館に滞在し終に太夫と夫婦の契を結び男子を設けた。その子幼きにして学問の為坂口村 菅山寺*1 に入り、後11才の時菅山寺を出て跡が不明となった。その後菅公が菅山寺に勅使としてお出ましの時、物語れば桐畑太夫の子として 菅原是善*2 の養子になられたとの故で、菅公の御像を此の社に祀られる。42才の御像と申伝える。本社は元川並字砂新田にあったものを現在地の稲荷神社境内へ移し稲荷神社を合祀し明治12年北野社と改称した。稲荷境内は136坪であったが、神社合祀の折980坪村中の寄附により1124坪となった。明治9年村社に列せられた

(川並)北野神社 御神紋は梅の花

滋賀県神社庁に掲載された御由緒は、興味深い内容ですね。

近くの余呉湖畔には『天女の衣掛柳(てんにょのころもがけやなぎ)』という所があります。

今回は見学してませんが、そこの案内にはこう書かれています(要約)

白鳥に变化した天女が羽衣を柳にかけ水浴を楽しんでいる間に、伊香刀美(いかとみ)が羽衣を隠してしまい、帰れなくなった天女が、仕方なく伊香刀美の妻となって二男二女を生んだ。その子孫が 伊香(いか)地方 を開発した祖と伝えられる。天女はやがて羽衣の隠し場所を見つけ天に帰った。残された幼児は母恋しく泣き続けた。その泣き声が法華経のように聞こえるので菅山寺の僧が幼子を引き取り養育した・・・菅原是清公が菅山寺に参詣した時、養子として引き取り京都で育て、成人したのが 菅原道真 である

余呉湖畔の天女の羽衣伝説は日本最古級といわれ、神社庁の伝える御由緒とは少し違いますが、話の筋はおおむね一致しています。

琵琶湖の東の一帯には、ここ川並の他、北野という社名の神社が複数あり(グーグルマップで数えただけでも8社ぐらい)、道真公の生誕伝承が根強いことがうかがえます。

(川並)北野神社 境内

(川並)北野神社の御本殿-拝殿-参道-石段は、ほぼ東を向いており、初夏の朝の光が、参道に鳥居を映し出していました。

(川並)北野神社

(川並)北野神社 狛犬さん

(川並)北野神社 拝殿

(川並)北野神社 御本殿

境内社新羅崎神社は、ここから南に約1キロの余呉湖畔に鎮座していましたが、当地に遷座したようです。

(川並)北野神社 境内社新羅崎神社

上の御由緒に書かれていますが、当地はもともと稲荷神社の境域でしたが、北野神社の遷座とともに合祀されたということです。

(川並)北野神社 境内の稲荷神社

(川並)北野神社から余呉湖の景色

朝の光を受けて余呉湖の水面がキラキラと輝き、鳥居越しに見る景色は美しかったです。

(川並)北野神社から余呉

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*1:滋賀県長浜市余呉町坂口/大箕山菅山寺

*2:菅原道真公の御父上