ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【葛籠尾崎湖底遺跡資料館③】一万年。連続した時代の土器が湖底から揚がる謎

はじめに

葛籠尾崎湖底遺跡資料館の3回目。琵琶湖底から引き揚げられた弥生時代古墳時代の土器などの展示物を紹介。一万年という長い歴史の各時代のこん跡が湖底からあらわれる謎については諸説があります

目次

本文

葛籠尾崎湖底遺跡資料館

葛籠尾崎湖底遺跡とは、琵琶湖の最北部、竹生島の東側、尾上から水深が深くなる斜面一帯の湖底を指します。

イサザ漁(底魚)で偶然、網にかかった土器などが湖底から引き揚げられ、当資料館では主にそれらの遺物を展示しています。

それらの遺物は湖底の土中深くに埋没せず、水中に顔を出しているものも多く、湖水中に豊富に含まれる鉄分(湖成鉄)が長い時間をかけて土器表面に定着し、その結果、展示されている土器などは黒っぽい色をしています。

琵琶湖最北部(竹生島東側)葛籠尾崎湖底遺跡

昭和34年の水中(ドレッジ)調査でも遺物が引き揚げられている

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弥生時代古墳時代の土器など

左)磨製石斧、右)磨製石剣と壺(弥生時代

尾上沖の琵琶湖底から引き揚げられた弥生土器

尾上沖の琵琶湖底から引き揚げられた古墳時代の土器

尾上沖の琵琶湖底から引き揚げられた古墳時代の土器

一万年。連続した歴史のこん跡

葛籠尾崎湖底遺跡が興味深いのは、もっとも古い遺物で、縄文時代早期(約1万年~6000年前)に続いて、縄文の前期・中期・後期・晩期の土器の他、本記事で紹介したように、それに続く、弥生時代古墳時代平安時代の連続した時代の遺物が引き揚げられていることです。

一万年近くも連続して、各時代の遺物が出土する遺跡は(世界はもちろん)日本でも稀有な例ではないでしょうか。

資料館でいただいたパンフレットの内容を紹介しておきます。(番号は開物注)

日本の水中考古学の先駆者で、尾上出身の考古学者・小江慶男氏は『竹生島図(1302年)』に着目し、古地図に描かれた葛籠尾崎を検討し、岬南端の湖岸にあった遺跡が波の浸食によりて流出したという ①湖岸遺跡流出説 を発表しました。

竹生島

このほかに、遺跡付近の地層が変化し湖底に運ばれた ②遺跡の地滑り(陥没)説

豊漁や船の安全を祈って湖の神にささげた ③祭祀説

船の遭難などの ④事故による落下説

いらなくなった土器を捨てたという ⑤投棄説 など諸説あります(が今のところ謎です)

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私個人としては①②③の複合説のようなイメージで考えています。

竹生島花崗岩(かこうがん)で出来た島 で、花崗岩は風化すると崩れやすいというのがまず第一の理由です。湖北の水に鉄分が多く含まれるのは花崗岩が理由ではないかと考えています*1。また、すでに調査済(未確認)かも知れませんが、はるか昔には、葛籠尾崎と竹生島は繋がっていたのではないかとも妄想しています。

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奈良の三輪山系は花崗岩質(大きな崩落を幾度も起こしている)

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第二の理由は、縄文以来、列島の人々は祭祀で土器などの他、人の手が緻密に加えられた製作物(モノ)を自然にささげる(戻す?)歴史文化があるからです。

この点は全国に点在する縄文遺跡、イワクラ、古墳の埋納物(副葬品)もそうですし、海の正倉院 と云われる 沖ノ島祭祀(いわゆる古代の国家祭祀) は特に知られているところです。

いずれにしても、現在においても全国にひろがる 竹生島信仰 に繋がる古い信仰のスタイルのこん跡であると推定しています。

湖底から古代祭祀に関連した遺物・・・例えばヒスイの玉、土偶・岩偶、青銅や金銀などの異なる時代の加工物(銅鐸や鏡など含む)が複数出てくれば、③の祭祀説は、ほぼ決定的になります。

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*1:例えば出雲の古代製鉄は砂鉄(真砂)を使いますが、原料となる真砂は花崗岩から採りだします