はじめに
津軽の面白さは歴史の中で文化圏が交わった場所であることでしょうか。一つめは #津軽海峡 を挟んで #北方文化圏 どうしで。二つめは日本海交易で #糸魚川(越)や #出雲 と。三つめは6世紀以降 #蝦夷(えみし、えぞ)として中央の文化圏と
目次
- 文化圏が交わったところ
- 旧石器時代
- 縄文時代(中・後期)
- 縄文から弥生時代への過渡期(亀ヶ岡文化)
- 古墳時代~(平安時代)。蝦夷
- 北海道庁サイト(たいへんわかりやすい)
- アイヌ語の文化圏(東北北部も含まれます)
- 続縄文、オホーツク、擦文、アイヌ文化
- 日本海ネットワーク
本文
文化圏が交わったところ
京阪神で生活していますと、津軽の古代史に触れる機会がありませんでしたが、仕事の関係で三年続けて青森を訪問し、合い間に史跡や神社を訪問し、新しいことを学ぶことができました。
津軽の面白さは、歴史的に大きな文化圏が交わった所であることで、雄大な自然の中に、それぞれのこん跡が、ほぼ手つかずのまま、数多く残されていることだと思います。
● 一つめは、縄文時代以降。津軽海峡を挟んで北方文化圏どうしで交わったこと(北海道には弥生時代はなく続縄文時代)
● 二つめは、縄文~弥生時代。日本海ネットワークで他の文化圏と交わったこと(糸魚川(越)、出雲など)
● 三つめは、6世紀、古墳時代から飛鳥時代への移行期以降。蝦夷(えみし、えぞ)として中央の文化圏と交わったこと
本記事では、津軽に関係する『モノ』の分布について、基本的なものですが、過去記事とあわせて紹介しておきます(個人的な備忘録でもあります)
旧石器時代
縄文時代(中・後期)
縄文時代になると、北海道の黒曜石(道北の白滝産、道南の赤井川産)が三内丸山遺跡で発見されるなど、津軽海峡を挟んだ交流・交易が見られるようになります。
このことからも、三内丸山遺跡が縄文の港町だったことがわかります。
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糸魚川のヒスイ加工品(大珠・小珠)が、北日本では、津軽地方を中心に東北北部で集中的に出土しています。
北海道で出土する縄文のヒスイは、津軽地方を経由してもたらされました。
この時代は縄文(海人)の日本海ネットワーク交易ということになります。
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円筒土器はバケツ型が特徴で、津軽地方の縄文遺跡を中心に出土します。
古い時代の下層式は北海道の渡嶋(わたりじま)地方、それより後の時代の上層式は礼文島(上泊遺跡)、さらには樺太(サハリン)にまで届きます。
なお、下層式の時代、佐渡、さらには能登半島が南限であることから、縄文の日本海ネットワーク交易の明らかなこん跡と言えるでしょう。
そして、巨大なウッドサークルのある真脇遺跡が能登の先端にある「意味」が見えてきます。
縄文から弥生時代への過渡期(亀ヶ岡文化)
遮光器土偶(シャコちゃん)に代表される土偶様式の分布圏を亀ヶ岡文化といいます。
マップに北海道側の遺跡名は書かれていませんが、分布円で囲まれているように、この時代も、道南の渡嶋地方との交流・交易が継続して行われていました。
古墳時代~(平安時代)。蝦夷
西暦300年代前半までの前期古墳時代(埴輪のない時代)、黄色のエリアが古墳の空白域。
弥生時代を超えて縄文文化が色濃く残っている中央山岳エリアのほか、北東北エリア以北も大きな空白域になっています。
古墳時代の中期以降、500年代(6世紀)にかけて、南側から順番に空白域が消えてゆきますが、北東北エリアは空白域のままとなります。
この頃から「まつろわぬ者」つまり「蝦夷、えみし、えぞ」勢力圏として、古墳時代末期~飛鳥時代の中央政権から認識されるようになりました。
考古学でも、新潟平野と福島県阿武隈川河口を結ぶラインが、古墳文化の北限、つまり『古墳様式を受け入れなかった蝦夷文化の南限』と考えられています。
北海道庁サイト(たいへんわかりやすい)
アイヌ語の文化圏(東北北部も含まれます)
北海道博物館アイヌ民族文化研究センターのページです
続縄文、オホーツク、擦文、アイヌ文化
日本海ネットワーク