はじめに
国立科学博物館館長で遺伝人類学者 #篠田謙一氏 の「人類の起源」新刊記念対談。特に気になった #日本人の起源 に関するポイント二点。過去記事あわせて妄想解説
目次
本文
日本人の起源
近年 日本人の起源 について、遺伝子学(DNA分析)からの研究成果が次々と発表されています。
その中で、興味深い記事が報道されました(ダイヤモンドオンライン/2022年7月26日/「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説。)
篠田謙一氏(遺伝人類学者、国立科学博物館館長)と橘玲氏(作家)の対談(後編)です。
オンライン記事は消えることがあるので、私が注目した2つのポイント(青文字)に絞って記事を抜粋し、紹介(&開物の妄想解説)しておきます。
北海道縄文人のDNA解析
記事(p2)より)篠田謙一:私たちは 北海道の縄文人のDNAを多く解析したんですけども、そこには(ロシア南東部の)バイカル湖周辺にあった遺伝子も多少入っている んです。もしかすると、ユーラシア大陸を北回りで東にやって来た人たちの遺伝子も、東南アジアから来た人たちと混血して、日本に入ってきたのではないかと考えています。
以前、アムール・ハイウェイ(開物の造語)について書いたことがあります。
三日月型のバイカル湖南東を源流に、ロシアと中国の国境を流れるアムール川(大河)は、樺太(サハリン)を目前にした間宮海峡(タタール海峡)に注いでいますが、縄文時代以来、このアムール川を介した交易路があったという話(出雲伝承)。
篠田先生のコメントは、北海道縄文人の遺伝子に、アムール・ハイウェイのこん跡が刻まれているということを意味しています。
アムール・ハイウェイは、日本古代製鉄(たたら製鉄=直接製鋼法(鍛鉄))が伝来したルートであることも添えておきます。
大陸・半島で発展したのは間接製鋼法【鋳鉄】で、たたら製鉄【鍛鉄】とは根本的に異なります。
日本のたたら製鉄が、大陸・半島を経由したものでないならば、たたらの伝来ルートは、アムール・ハイウェイしかありません。
縄文・弥生・古墳時代のDNA三段階説
記事(p5)より)橘玲:古墳時代に文字を使うリテラシーの高い人たちが大量に入ってきて、ある種の王朝交代のようなものが起きて、『古事記』や『日本書紀』の世界が展開する。縄文から弥生への二段階説ではなく、縄文・弥生・古墳時代の(DNA)三段階説ですね。
篠田謙一:そうしたことが、おそらくこれからゲノムで読み取れるんだろうなと思います。
私は時々、出雲弥生時代、物部古墳時代 と書いたりしていますが、この二つの時代画期において、古代王権の移動があったことを前提として考えているのがその理由です。
(出雲は都市国家群で弥生〜古墳時代前期、古墳時代中期〜(実質)物部王権〜丁未の乱)
特に、古墳時代中期(西暦350〜400年代)に古墳が巨大化した時代、つまり、仲哀天皇(第14代)・神功皇后(住吉第四神)・皇子の応神天皇(15代、八幡神)ファミリーから始まる 倭の五王 時代に、何らかの王権移動が起きており、私が調べている限り、そのことを否定する根拠は今のところ皆無です。
この時代、河内期物部氏が(出雲に変わる新)王権を支え(迎え入れ)、実質的な支配構造の頂点に立ちましたが、その源泉が半島交易、具体的には ヒスイと鉄の交換ビジネス を通じて蓄積した巨富。
なお、これは司馬遼太郎理論というべきものですが、交換市場は、通貨単位としての秤量(数学)と、伝達手段としての文字(国語)を発達させます。
結果、鉄器が多用され、より大きな古墳の築造が可能になるとともに、不足する労働力は半島経由で供給されました(渡来人)。
急増する国内の食糧問題には、巨大古墳を造る際に削りとって平地にした周囲を、水田地帯化し、対応したと考えられます。(百舌鳥・古市古墳群の地勢をグーグルマップで眺めると、その様子がよくわかります。)
巨大古墳の築造に伴う、渡来人の数は、数万以上・・・いや十万人を超えたかも知れません。
弥生時代(終末期)の列島人口が約五十万人であることを考えると、古墳時代中期の人口は多くても百万人に満たず。
その中で、十万単位の渡来人口はぼう大で、その結果、列島トータルのDNAに大きな影響を及ぼしたことでしょう。
これがDNA三段階説の三段階目・・・古墳時代の列島DNA変化の歴史的背景であると考えています。