新穂村玉作(にいぼむらたまつくり)遺跡群
国中(国仲)平野にある弥生~古墳時代の集落遺跡。遺跡総面積が47万平方メートル以上の国内最大規模の玉作遺跡群(東京ドーム10個分以上)
蔵王、竹の花、桂林(かつらはやし)、平田、塚田、城ノ畠などの遺跡で構成される。
中心と考えられるのが蔵王遺跡。ここから内行花文鏡や建物の礎板(そばん)が出土した。
神殿と考えられる建物跡や鏡(内行花文鏡、珠文鏡)が出土していることから、遺跡群の中でも祭祀に関わる場所だったと考えられている。
礎板というのは上の写真(右)のような窪みのある杉板を土中に置き、窪みに柱を立てるための基礎のことで、柱が重みで沈み込むのを防ぐ。この杉材の年輪測定をしたところ、西暦290年代に伐採されたものであることが確認されている。
290年代とは、ヤマトで古墳時代が始まり、以降、「埴輪のない前方後円墳=前期古墳」が(東北以北を除き)普及した時代。
以前紹介した雪野山古墳のように、各地域の首長(王)クラスに、権威財(内行花文鏡)が配られ、王墓に埋納されるのがひとつのパターン。
佐渡では前方後円墳は見つかっていないが、内行花文鏡が配布されるほどの地域王権があったことを意味する。
もしかしたら、将来、新穂を見下ろす段丘や山で、未知の古墳が発見されるかも。
蔵王遺跡ではほかに、枕木を敷いて柱を立てたりしており、当時の(海退で現れて間もない)軟弱地盤に木造建物を立てるのに苦労したのかも知れない。今の地震の液状化対策のようなものだろうか。
竹の花遺跡からは、管玉やヒスイの勾玉の製作(途中)品が多数のほか、石鏃(せきぞく、矢じり)や石包丁が出土していて、これらの加工所(工房)だったと考えられる。
他の遺跡については情報や資料がなく、ほとんど未発掘の状態なのだろう。
その広大さと未発掘の多さ。今後が楽しみだ。
古代のタイムカプセル
古代佐渡は縄文海人以来の「日本海交易ハイウェイ」の要衝だったが、時代が進み、陸路の発展とともに「離島化」したと見立てて(妄想して)いる。
もちろん金山(きんざん)の時代に発展したが、離島化とともにタイムカプセルのように「古代」を閉じ込め、今に繋がっている部分もあると思う。
次回から、新穂歴史民俗資料館の展示の紹介を通して、古代の佐渡を考えてみたいと思う。
(三~四回シリーズ)
資料館の目玉、内行花文鏡は訪問時、貸し出し出張中で、実物を見ることができなかった。代わって佐渡市サイトの画像を使用させていただいた。
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佐渡市 新穂歴史民俗資料館
0259-22-3117
8時30分〜17時(入館は16時30分まで) 毎週月曜日休館、12月1日~2月末は冬期休館