ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【名柄遺跡】初期型の銅鐸・銅鏡がセットで出土 弥生時代の祭祀のスガタ

はじめに

奈良県御所市の #名柄遺跡。大正七年にセットで出土した初期型の #銅鐸(流水文横帯文銅鐸)と #銅鏡(多紐細文鏡)。いずれも #国宝 として #東京国立博物館 に収蔵されています。#葛城の大鳥 #長柄神社

目次

本文

名柄遺跡(奈良県御所市)

www.zero-position.com

先日紹介した長柄神社の西の(葛城・金剛)山麓側(葛城の大鳥側)に名柄遺跡(ながらいせき)。

セットで出土した初期型の銅鐸と銅鏡

大正七年(1918)、農業用水のため池を造成した際、地下約60センチのところから、いずれも初期型(弥生時代中~後期)と考えられる銅鐸1つと、銅鏡1枚が出土しました。

名柄遺跡(名柄遺跡第4次発掘調査報告書(H7、1995)御所市教育委員会を参考に作成)

いずれも国宝 で現在は、東京国立博物館に収蔵されています。

一般的に知られる銅鏡は、後背のヒモを通すところ(紐、ちゅう)が中心にひとつですが、これは二つ横並びで、ゆえに『多紐、たちゅう』の名が付けられています。

左)多紐細文鏡(直径156mm)、右)流水文横帯文銅鐸(高さ230mm)

e-国宝サイトより抜粋。要約)銅鏡は日本では10遺跡11面でしか出土例がない(福岡・佐賀・長崎・山口・奈良・大阪・長野)。銅鐸は小型できわめて稀な文様(身の主文様がA面は流水文、B面は袈裟襷文)。銅鐸の変遷過程では4段階のうちの第2段階目(外縁付鈕式)に位置づけられる

(おそらく埋納された初期型の)銅鐸と多鈕細文鏡がセットで出土した例は大変珍しく、葛城山麓の古代史と関連して、その意味を考えることはきわめて重要です。

金剛山葛城山が両サイドからなだらかに下り、真ん中(大鳥の頭)にあたる水越峠から、水越川 が豊かな水をこの地に運んでくれます。

出雲(鴨)族の弥生時代葛城の大鳥 を見晴るかす麓、長良神社と名柄遺跡の点を繋げてみると、ここに初期型の銅鐸と銅鏡がセットで埋納された意味、また、ここで行われていた祭祀のスガタが浮かび上がってくるのではないでしょうか。

(次回。水越峠)

名柄遺跡(小田中池跡の方向と葛城の大鳥、左(南)が金剛山、右(北)が葛城山

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