はじめに
鳥羽市立海の博物館 #白浜遺跡 展示。伊勢志摩の潜水漁(#海女)の古い歴史を語る集落跡から #小型銅鐸 が出土。また、その地理的なポジジョンは対岸の渥美半島との古代 #海人 交流の歴史を感じさせてくれます
目次
本文
潜水漁(海女さん)の歴史
3世紀の魏志倭人伝の記録では、半島から対馬海峡を渡って、倭人の国に最初に上陸したところが末盧國(まつろこく)。
「又渡一海千餘里至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前 人好捕魚鰒 水無深浅 皆沈没取之」
(海を渡って千里あまりで末盧國(まつろこく)に至る。四千戸余り。浜・海・山に住んでいる。草木が茂り道がよく見えない。人よく魚鰒を捕る。深い浅いにかかわりなく、みな沈没してこれを取る )
日本各地で、縄文時代から「沈没漁」😀が行われていたんですね。
鳥羽市立海の博物館には、近くの鳥羽白浜海水浴場の砂浜から発掘された白浜遺跡の展示コーナー。
上の歴史年表の「弥生時代」に紹介されている遺跡です。
その面白さを四点にまとめることができます。
① 漁村の原型とも言うべき浜辺の弥生集落であったこと(竪穴式住居と貝塚)
② 貝塚からは、鹿角製のアワビオコシとともに、多種多様な貝類など、潜水漁の遺物が多数、出土
③ (弥生出雲の威信財である)銅鐸が出土
④ 島伝いに、対岸の伊良湖岬(渥美半島)との海路による交流を窺わせる位置にあること
小型の銅鐸がポンと展示されていたのにはビックリ!
これはレプリカでしょうか。
小型銅鐸は初期型の銅鐸というのが私の認識で、製造は紀元前後、もしかしたら紀元前…
全国的にも数は多くない文化財級であるように思うのですが、詳しい説明はありませんでした。
調べてみると、三重県では草山遺跡(松阪市)の小型銅鐸と合わせて二個発見されているそうです。
弥生出雲文化の影響が及んだ首長を置いた都市国家が、三重県にはいくつかあったのでしょうか。
伊良湖岬(渥美半島)から先に拡がる広大な東国との交流の重要拠点になるわけですからね。
先日紹介した伊勢志摩と富士山の関係は、浅間信仰が盛んだった江戸期よりも、はるか昔に交流を通じて始まっていた可能性は高いです。
【白浜遺跡 参考資料】
古代の海人交流を推理させる地理的ポジション
渥美半島の「渥美」は「安曇、あづみ」に通じる「アド」地名のひとつで、古代の海人の交流と文化伝搬の点から白浜遺跡を見るのも面白いと思います。