はじめに
先日紹介した「奇跡の松帆銅鐸展~砂山からの軌跡~(玉青館)」より。出土全七点整理(写真&情報)。四号銅鐸をみると赤銅色に輝き鳴り響いていたことが確認できます #同笵銅鐸 #荒神谷遺跡 #加茂岩倉遺跡
目次
- 【銅鐸の編年(玉青館)】「鳴らす聴く」ものから「飾る観る」ものへ
- 松帆銅鐸 一号/菱環鈕式 弥生時代前期末~中期初期
- 松帆銅鐸 二号/外縁付鈕式 弥生時代中期/松帆四号・慶野中の御堂銅鐸(兵庫県南あわじ市)と同笵
- 松帆銅鐸 三号/外縁付鈕式 弥生時代中期/加茂岩倉27号銅鐸(島根県雲南市)と同笵
- 松帆銅鐸 四号/外縁付鈕式 弥生時代中期/松帆二号・慶野中の御堂銅鐸(兵庫県南あわじ市)と同笵
- 松帆銅鐸 五号/外縁付鈕式 弥生時代中期/神庭_荒神谷6号銅鐸(島根県出雲市)と同笵
- 松帆銅鐸 六号/外縁付鈕式 弥生時代中期
- 松帆銅鐸 七号/外縁付鈕式 弥生時代中期
本文
右から順に一号、二号・・・七号の展示。
【銅鐸の編年(玉青館)】「鳴らす聴く」ものから「飾る観る」ものへ
銅鐸のカタチは、①菱環鈕式(りょうかんちゅうしき、弥生時代前期末~中期初期)、②外縁付鈕式(がいえんつきちゅうしき、弥生時代中期)、③扁平鈕式(へんぺいちゅうしき、弥生時代中期)、④突線鈕式(とっせんちゅうしき、弥生時代後期)と変遷します。
①②③は小~中型。カネ(鐸)の中にぶら下げた舌(ぜつ、鳴らすための棒)があり、銅鐸を振るとカランカラン・コロンコロンと鳴る 鳴らすもの
(前回記事中で、精確に復元されたレプリカを鳴らしている様子を動画掲載しています)
④になると大型化・装飾化し、舌(ぜつ)がない 飾るもの・観るもの になったというのが考古学の定説です。
松帆銅鐸の貴重さの一 は、①~②(弥生時代前期末~同・中期)の時代の、いわゆる 古銅鐸 が、ひも付きの舌(ぜつ)が入ったほぼ完形で出土したことです。
これにより、初期の銅鐸は『(吊るして)鳴らすもの』という考古学的解釈が確定しました。
松帆銅鐸の貴重さの二 は、7点のうち4点が 同笵(どうはん)銅鐸 であったことです。
銅鐸は、砂岩など加工しやすい石製の鋳型を使って鋳造されますが、同じ鋳型を使って造られたものを同笵銅鐸といいます。
(銅鏡の場合は、同じ鋳型を使って造った鏡を同笵鏡といいます)
特に、松帆五号は神庭_荒神谷6号銅鐸(島根県出雲市)と、三号は加茂岩倉27号銅鐸(島根県雲南市)と、それぞれ同笵であり、古代の出雲と淡路島、さらには大和・葛城・摂津河内との繋がりを考える上で、たいへん貴重な史料です。
松帆銅鐸のどれが、どの銅鐸と同笵であるのかは、表示してあります。
松帆銅鐸 一号/菱環鈕式 弥生時代前期末~中期初期
【参考】(ここで紹介した27号とは違いますが)加茂岩倉12号銅鐸は慶野(南あわじ市)から出土した銅鐸と形状が類似しており同笵と推定されています。そしてこの加茂岩倉12号銅鐸の鋳型が、鬼虎川遺跡(大阪府東大阪市)から出土しています
赤銅色に輝いていた銅鐸 の様子がよくわかりますね。