はじめに
淡路国一之宮 #伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)。日本書紀で #日之少宮(ひのわかみや)と呼ばれた社。境内の #ひのわかみやと陽の道しるべ の碑に、当社を中心とした #二至二分(春分・夏至・秋分・冬至) の方位版
目次
本文
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)
(34.46022055176024, 134.85245673829658)/兵庫県淡路市多賀740/神戸三宮・高速舞子に直行する高速バスあり(伊弉諾神宮前下車すぐ)、専用駐車場あり
南面する御本殿に向かって、まっすぐの参道を真北に上がってゆきます。
御祭神は、日本神話の国産み・神産みに登場する夫婦神二柱。
古書(幽宮御記)によると祭神は『伊弉諾尊一柱也』とあり、本来は男神のイザナギを祀った神社と考えられます。
記紀(日本書紀・古事記)に『神代』とありますが、詳しい創建年代や由緒は不明。
御祭神:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
御由緒(文字起こし))延喜の制・淡路國一ノ宮、官幣大社。古事記に故其の伊邪那岐大神は淡路の多賀になもいますなり。日本書紀に伊弉諾尊(中略)是を以て 幽宮(かくりのみや)を淡路の洲につくり静かに長く隠りましきとあり、淡路の島は二柱の大神が一番初めに御開拓になった地であり、この多賀は伊弉諾大神が国土経営の神業をおえられた後、お鎮まり遊ばされた御終焉の地で、大神の御陵がそのまま神社として祀られるようになった我が国最古の神社である。
御神徳)延寿の神。伊弉諾大神が夜見ノ國の境にお出向かれた時『我は一日に千五百の産屋を建てむ』とおおせられたことにより古来命を司られる大神として寿命乞の信仰が厚い
御神徳)縁結びの神。御祭神二柱の大神が国土御経営のため、天降られ淡路の島でお建てになった宮殿のお社を巡り、始めて御夫婦の契りを結ばれ多くの御子神をお生みになった故事にあやかる縁結びの神としての崇敬が深い
二至二分のレイラインの中心に鎮座する淡路國一ノ宮
伊弉諾神宮に参拝した最大の目的はこれ(↓)を見学するため。
碑文、一部文字起こし)(前略)当神宮の創祀は神代にさかのぼり、伊弉諾尊の宮居跡に営まれた神陵を起源とする最古の神社である。また日本書紀に「仍留宅於日之少宮〈矣少宮此云倭柯美野〉イザナギは(成すべきことを終え)日之少宮(ひのわかみや)にとどまりました」の記述があり、これは伊弉諾尊の太陽神としての神格をたたえ、御子神である天照大御神のさしのぼる朝日の神格と対比する日之少宮として、御父神の入り日(夕日)の神格を表現している。ちなみに全国神社の本宗と仰ぐ伊勢神宮(内宮)は、この神域の同緯度上に鎮座し、さらに、その両宮を挟んだ中間点に最古の都「飛鳥宮藤原京」が営都されているのである。専門家の協力を得て、当地からの太陽軌道の極致にあたる方位を計測すると、夏至・冬至・春秋仲日(春分・秋分)の日出と日没の地に神縁の深い神々が鎮座していることを次の通りに確認することができた。緯度線より北への角度29度38分にあたる夏至の日出は信州の諏訪湖(諏訪大社)、日没は出雲大社日御碕神社への線上となる。春分秋分は伊勢神宮から昇り、海神神社(わたつみ、対馬國)に沈む。南への角度28度30分にあたる冬至の日の出は熊野那智大社(那智の大滝)、日没は天孫降臨伝承のある高千穂峰(高千穂神社・天岩戸神社)となるのである(後略)
伊勢神宮(内宮)は、この神域の同緯度上に鎮座する、つまり、遥拝所鳥居-祠のラインは、真東を向いています。