ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【阿倍王子神社(1)】導きのヤタガラスの社【熊野街道】

京都伏見から淀川を下り、天満の八軒家浜に上陸。大阪市内を南北に縦断する #上町台地 を南に下る #熊野街道。遠い紀伊路への休憩と遥拝のために設けられた熊野九十九王子の一社。#阿倍王子神社 前半

目次

本文

熊野街道大阪市内、上町台地を南北に通る)

大阪市内の熊野街道は、平安時代(中期)に興った熊野信仰で、紀伊路に向かう熊野詣の出発地として、朝廷の熊野行幸を始まりとして以来、人々の往来が盛んでした。

阿部王子神社 熊野街道マップ

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阿倍王子神社

(34.6309375, 135.5094883)/大阪市阿倍野区阿倍野元町9−4/駐車場あり。阪堺上町線チンチン電車天王寺駅前あべのハルカスの前)発、東天下茶屋駅下車。バス:天王寺駅前発(住吉車庫行)王子町下車

当社に伝わる「摂州東成郡阿倍権現縁記(せっしゅうひがしなりぐんあべごんげんえんぎ)」によると、

西暦300年代終盤、仁徳天皇(第16代)によって創建されたと伝えられています。

<阿部王子神社(東の鳥居)

主祭神:熊野王子神(伊弉諾命・伊弉冉命・速素盞嗚命)、応神天皇(第15代)

神社の西の鳥居前を通る熊野街道 北にあべのハルカス

遥か熊野へ。導きのヤタガラス

王子社とは、熊野詣の休憩と遥拝を兼ね、熊野九十九王子と云われるように熊野街道沿いにたくさん設けられた社のこと。

当社は旧・安倍野村に鎮座していたので、中世以降、阿倍王子神社と呼ばれるようになりました。

阿倍王子神社 御本殿

大阪市内には、窪津、坂口、郡戸、阿倍の王子社がありましたが、創建地に現存するのは当社だけです*1

阿倍王子神社 狛犬さん

熊野信仰の導きのヤタガラスが境内のそこかしこに。

阿倍王子神社 神使・ヤタガラスの紋

ナギの葉が描かれたヤタガラスの大絵馬

境内末社の御烏社。御神体のヤタガラス。

あなたに代わって、願い事を熊野へお伝えいただく仕組み😀

御烏社 御神体のヤタガラス像

古代氏族・阿部氏(安倍氏)のかつての本拠

仁徳天皇の古墳中期、難波に都が設けられた時(第一次難波宮)に、大和桜井の阿部氏が移住し、この地を本拠としたのが始まりであることが、先の摂州東成郡阿倍権現縁記に伝えられています。

かつては阿部氏の氏寺の安倍寺(奈良時代)があったことや、おそらく現在の阿倍王子神社の前身である氏神の社が鎮座していたとも伝えられています。

このあたりの古代史について、近所の安倍清明神社とともに次回、紹介(妄想😁)したいと思います。

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奥さんが初詣で引いたおみくじ入りのヤダカラス。中吉だったそうです。

阿倍王子神社のヤタガラスのおみくじ(辰は別にいただいた御守)

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*1:窪津社は現在の堀越神社境内、坂口社は南大江公園内に碑、郡戸社は高津神社境内に碑